Index Top 第9話 橙の取材 |
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第6章 お手伝い |
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玄関のドアが閉まった。 足音が遠ざかっていくのを、ニニルはぼんやりと聞いていた。 着替えを済ませ歯を磨き髪の毛を整え荷物を持ち、千景は部屋を出て行った。ニニル含めた六人がそれを見送る。ニニル以外の五人にとっては日常的な光景らしい。 「さて」 シゥが振り返り、全員に目を向けた。その背に、白い鞘に収められた氷の大剣を背負っている。妖精郷にいた時は抜き身で背負っていたが、いつの間にか鞘を作ったらしい。 「千景も出掛けたし、掃除するか」 「肯定」 「はい」 ノアとネイが頷いている。 ニニルは他人事のように三人を眺めていた。こちらも慣れた態度である。いつもシゥ、ノア、ネイの三人で掃除をしているのだろう。 思いついたようにニニルに視線を向けてくるシゥ。どこか心配そうに、 「お前、掃除はできるよな?」 「当たり前です。その質問はさすがに失礼ですわよ」 目蓋を下ろし、ニニルは呻いた。 幻影界では一人暮らしをしていたし、家の掃除も新聞社の掃除も自分だけでやっていた。建物の大きさこそ違うが、今さら掃除ができないということはない。 「なら、お前は台所の床掃除な。棚の上とかはネイに任せる。流し周りはノアに任せる。オレは千景の部屋やるから。ミゥとピアは休憩だ」 てきぱきとシゥが指示を出していく。 台所の隅に置かれている箒とちりとり。人間の使うものではなく、フィフニル族の体格に合わせたものだ。掃除をするために作ったのだろう。 「では、お願いしますね」 「ボクはいつも通り薬の調合をしていますので、何かあったら呼んでくださいねー」 ピアとミゥの言葉に、シゥが頷いていた。 ふと右腕を持ち上げ、手首に嵌められた木の腕輪を眺める。 「飛べないのは、やはり不便ですわね……」 と、ため息。 人間の術によって作られた妖精炎封じの木の枷。両手首と足首、そして首に嵌められている。どのような仕組みかは読めないが、完全に妖精炎の顕現を封じている。おかげで飛ぶことすらできない。重さや違和感がないのが幸いか。 「不便があったら言ってください。抱えて飛ぶくらいはしますので」 胸元で手を握り、ピアが言ってくる。 ニニルは表情を緩め、一礼した。 「お気遣いがとうございます。司祭長はいつもお優しいですね……」 「いえ。そんなことはありませんよ」 微苦笑しながらピアが手を動かす。 真面目で礼儀正しく、分け隔てなく誰にでも優しく接する司祭長。妖精郷では誰からも好かれ慕われる存在だ。そして、優しさと同時に強い意志を持ち、非情な決断を下す勇気も持ち合わせている。立派な人物であると、ニニルも尊敬していた。 緩く腕を組み、シゥが小さく呻く。 「ピア。あんまりこいつを甘やかすなよ、調子に乗るから……」 「あなたは全然優しくありませんわね」 鼻息を吐き、ニニルはシゥを睨み付けた。 「おかげさまでな」 苦笑しながらシゥが両腕を広げる。当たり前だが、怯んでいる様子もない。妖精騎士団主翼長。妖精郷でも最強の一人である。ニニルの威嚇程度で動じる理由もない。 「そうだ――」 かすかに目蓋を下ろし、シゥがニニルを見据えた。 「まだ聞いてなかったな。お前の妖精石の場所。例の資料には書いてなかったからな。オレに渡したのに載せてなかっただけかもしれないけど。書いてなかった以上お前から直接聞く必要がある」 「なぜ、私がその質問に答える必要があるのですか?」 唾を飲み込み、訊き返す。 フィフニル族の核である妖精石。妖精炎の源であり、最大の急所である。脳や心臓よりも大事な部分だ。それを他人に教えることは、普通は無い。 「決まってるだろ。暴走した時にお前を殺すためだ。こっちの事情で人間に迷惑かけるわけにもいかないからな。オレたちの始末はオレたちでつける」 シゥが眉を傾ける。呼吸が止まるほどの威圧感。 「ただ、妖精炎出力七万なんて、正攻法じゃ止めようがない。ここにいる全員が束になっても無理だ。なら、暴走始める前に、妖精石を砕くしかない。答えろ」 青い瞳に映る刺すような意志。 ニニルが暴走したら何が起こるかわからない。妖精炎出力七万という規格外の力。もし暴走すれば、周囲を巻き込んで自分も死ぬだろう。 「左胸、やや上……中央より、ですわ」 目を伏せ、ニニルは掠れ声で答えた。 本来は答える義理はない。しかし、妖精炎の暴走で無関係の人間を巻き込むのは、フィフニル族としての誇りが許さなかった。 「ありがとよ」 シゥが小さく笑う。 それから、手を挙げ、 「よし、掃除開始だ。終わり次第、こっちも自由時間に移る」 「はい」 「肯定」 ノアとネイが答える。 シゥが思いついたようにニニルに向き直る。 「手抜いたりさぼったりするなよ?」 「それは特にあなたに言われる筋合いはありませんわよ」 ジト目でシゥを睨み付けるニニル。 箒で床の埃を掃いていく。箒はフィフニル族の身体にあわせたものなので、使いにくいということはない。毎日掃除をしているためか、ほとんど埃は落ちていない。 ピアとミゥは部屋に戻り休憩中。シゥは千景の部屋を掃除している。 「ふむ」 箒を動かしながら、ニニルは視線を動かした。 赤い羽を広げて宙に浮かび、ハタキを動かしているネイ。ノアは長い袖をめくり、紐をたすき掛けにして、流し付近の掃除をしている。 「やはり奇妙な光景です」 眉を寄せ、ニニルは呟いた。 フィフニル族の新聞記者と、中央図書館司書長代理、闇の妖精が人間の台所を掃除している。隣の部屋では、妖精騎士団主翼長が掃除をしている。居候の対価とは聞かされているが、ひどく現実離れした光景だった。 「どうかしましたか、ニニルさん?」 すぐ傍らにネイがいた。 右手にハタキを持っている。背中から顕現する固めた炎のような赤い羽が三対。浮いてはおらず、床に足をついている。 ニニルは額を軽く手で押さえ、 「私たちは一体何なのかと――少々哲学的なことを考えていました」 「は、はぁ……」 曖昧に頷くネイ。 ニニルはネイを見つめ、気になっていた事を口にした。 「そういえば、ネイさんは何故ここにいるんでしょう? 追放刑を受けたわけでもありませんですし、私のように軟禁状態というわけでもありませんですし」 ピアたちは追放刑を受けて自然界に来ている。ニニルは取材に来て捕まり軟禁状態。しかし、ネイはそれらのような理由を持たない。幻影界の者が自然界に長時間滞在することはまずないのだ。 そこには何かしら事情があるのだろう。 「ヅィさまの指示です。こちらにしばらく住むように、と」 「聖上が……」 顎に手を添え、囁く。 ピアと並ぶ妖精郷の長であるヅィ。 「普通に考えるならば、何かあった時のための伝達係でしょうか? しかし、それだけのためにネイさんをこちらに置いておく必要はないと思いますが――。聖上も何を考えているのか、わかりにくい方ですわ……」 多彩な知識を持ち、知恵も回り、強力な妖精炎魔法を操る塔の御子。その仕事は政治的なものが多く、またヅィ自身も自分の思考を表に出さないように振る舞っている。聞く話によると、元々何を考えているのか分かりにくい性格らしいが。 結局、手元にある情報が少ない以上、ここでいくら考えても答えは出ないだろう。 「?」 瞬きをする。 ネイが顔を強張らせていた。 「どうか、しました?」 尋ねながら、ニニルは視線を追い―― 目の前に黒い瞳があった。地味に切り揃えられた黒髪と、感情の見えない淡泊な表情。白い肌。いつの間にか、ニニルの目の前に佇んでいるノア。 「ひぅ!」 数拍遅れて、ニニルは後ろに飛び退いた。あまりの事に全身が泡立つ。 「な、な、何ですか!」 威嚇するように箒をノアに向け、擦れた声を上げた。音も気配もなく、いきなり鼻が触れあうほどの距離に近づいていたノア。その行動の意図が分からない。 空いた手で胸を押さえ、ニニルは息を吐き出した。意味の分からない恐怖。上がった呼吸、震える身体、心臓の鼓動が耳まで届いている。 「口を動かさず、手を動かしてください」 静かにノアが言ってきた。 「わ、わかってますわよ……! それくらい……!」 妙な気恥ずかしさに顔を赤くしながら、言い返す。つまるところ、たださぼるなと言いに来ただけのようだった。気配を消して密着距離まで近づく理由は不明だが。 「ならいいのですが」 頷いてから、ノアは黒い翼を広げ、流し台へと飛んで行った。 |
13/11/25 |