Index Top 第9話 橙の取材

第7章 取材ですわ


「改めて見ても、普通の部屋ですわね」
 掃除が終わり自由時間となる。朝九時。
 ニニルは千景の部屋に戻り、改めて部屋を眺めていた。昨日からこの部屋にはいるが、冷静に眺める余裕はなかった。幸い今は十分に余裕ができている。
 ベッドと机、金属製の棚と本棚。かなりきれいな部屋である。ピアたちが毎日掃除していることも理由だろうが、千景自身余計なものは置かない主義なのだろう。
「何する気ですか、ニニルさん」
 横から声をかけられる。
 一緒に部屋に入ってきたネイ。どこか不安げにニニルを見ている。
「取材ですわ。せっかくこうして相手の懐に入れたのです。やれることはきちっとやっておかないと、新聞記者の名が泣いてしまいます。中里千景も学校に行っていますし、ヴェイルシアスも黒いのも外に出ているようですし」
 ポケットから手帳を取り出し、きっぱりとニニルは答えた。
 ピアは自室で本を読んでいる。ミゥは実験器具とにらめっこ。シゥとノアは外に行ってしまった。ニニル自身は軟禁状態であるが、室内の移動は特に制限もされていない。見張りもついていない。
 ならば、やるべき事をするまでである。
「だからといって、勝手に部屋をあさるのはよくないと思いますよ」
「別に禁止されているわけではありませんわ。中里千景もこの部屋は自由に使えと言っていましたし。文句を言われる筋合いはありません」
 苦笑するネイに、ニニルは得意げに拳を握りしめた。
 人差し指で頬をかいてから、ネイが続ける。
「あまり勝手な事をしていると、ピアさんに怒られますよ」
「……ぅ」
 声が詰まった。
 数拍の沈黙を挟んでから、
「た、確かに勝手に部屋をあさるのは、あまり行儀がよろしくないですわね……」
 視線を落としつつ、ニニルはぼそぼそと口を動かす。直前まであったやる気が削れていくのがはっきりと自覚できた。
 普段は優しく真面目なピアだが、怒ると怖い。シゥに脅されてもある程度反発できる自信はあるが、怒ったピアに睨まれればそれだけで何もできなくなる。
 息をつき、改めて室内を眺める。
「あれは、パソコンでしょうか?」
 ニニルは机を示した。
 机に置かれた四角い箱。テレビのような薄い箱。
「そうですね。ノアさんが小さいの持っていますけど」
 ネイが視線を上げる。
 ノアが持っているということを頭のメモに書き込みつつ、ニニルは足を進めた。部屋を横切り机の前まで。真下から見上げてみると、大きい。人間に合わせて作ってあるので、当然だが。
「よっ、と」
 ニニルは床を蹴り、椅子の背を掴んだ。両腕に力を込め、身体を椅子の上へと引っ張り上げる。飛べば簡単に移動できるのだが、飛べないなら五体を使って上るしかない。
「手伝いましょうか?」
 不安そうにネイが声をかけてくる。
 しかし、ニニルは気丈に笑ってみせた。
「お気遣いありがとうございます。でも、一人で何とかします」
 椅子の上に立ち、机の縁に手を置く。両足で床を蹴ると同時に、腕の力で身体を机の上へと持ち上げた。ゆっくりと身体を起こし、大きく吐息。
「やはり、飛べないのは……大変ですわ」
 袖で額をぬぐい、改めて感心する。
 自分たちフィフニル族がいかに飛行能力に依存しているか、思い知らされた。
 赤い羽を広げたネイが横に降りる。微かな音を立て、顕現していた羽が消えた。
「これが、パソコンですか。こうして実物をじっくり見るのは初めてですわ」
 ニニルはパソコンを眺める。
 電気店などに飾ってあるものは何度か見ていたが、実物を間近に見るのはこれが初めてである。本体部分の縦長の箱と、ディスプレイ、キーボード、マウス。それらがコードでつながっている。
「ネイさんは、触った事あります?」
「いえ、ワタシはこちらの機械には疎いもので」
 両手を上げて、ネイが気恥ずかしそうに笑う。
 机の上にはパソコン以外にもノートや教科書などが置かれていた。しかし、さほど興味を引くようなものはない。ニニルが興味を引くようなものを起きっぱなしにするほど、千景も甘くはないだろう。
「ん、これは……?」
 ニニルはパソコンの横に置かれたものを手に取った。
 両手で持ち上げられる大きさの薄い銀色の箱に、平たい円筒がくっついている。見覚えのある形。ニニル自身よく使っているカメラに似ている。
「それはデジタルカメラです」
「!」
 前触れ無く聞こえた声。
 目を向けた先に佇む黒い人影。黒い髪の毛と黒い長衣。ノアだった。無感情な黒い瞳でニニルを見つめている。さっきまではいなかった。だが今はいる。
「ひっ」
 息を呑み、半歩退き……。
 足が虚空を踏み抜いた。退いた勢いのまま、身体が後ろに傾いていく。反射的に羽を顕現しようとしたが、妖精炎が作れない。
(落ち……!)
 黒い帯が身体に巻き付き、正面へと力がかかる。息が詰まる衝撃。
「自分が今飛べないという事を、自覚して下さい」
 ノアの袖口から伸びた黒い帯が、ニニルの身体に巻き付いていた。帯が引かれ、机の上に戻される。両足の裏に感じる机の堅さ。ひとまず落ちるのは免れた。
 帯がほどけ、ノアの袖口へと収まる。
 瞬きをしながら、惚けたようにネイが呟いた。
「ノア、さん。いつから、そこに……?」
「さきほどからずっと」
 答えるノア。
 ニニルは眉を寄せ、ノアを睨み付ける。睨まれたところでこの黒い妖精は何も感じないだろうが、それでも明確な敵意を乗せた視線を向けた。両手で持っていたカメラのような機械はとりあえずそのまま抱えて。
「私の監視ですか? ヴェイルシアスの指図ですか?」
「半分、肯定」
 頷く。
「変な事をしないように監視するように言われています」
「私の記憶が正しければ……あなた、さっき、ヴェイルシアスと一緒に外に行ってませんでした? 自主訓練とか言ってましたけど」
「引き返してきました」
 予想通りの答えだった。妖精炎を封じられて無力化されているとはいえ、ニニルを放置する理由はない。シゥとノアが外に出て行ったと正直に信じたのも迂闊だった。
「そう。あと、半分の残り半分って何かしら?」
 ニニルの問いにノアは半分と答えた。つまり残りの半分は別にある。
「千景さまからの指示です。ミゥかシゥに抹殺されるかもしれないから、余裕があったら見張っておくようにと言われました。今日は特に優先して処理する案件もないので、朝からあなたを見張っていました」
「………」
 ジト目でノアを見る。
「抹殺って」
「心当たりは多いと思いますが」
 あくまで淡々と、ノアが言ってくる。
「あー……」
 ノアの言う心当たりがいくつも頭に浮かび、ニニルは明後日の方向を向きつつ呻いた。捕まって牢屋に入れられたのは一度や二度ではなく、ミゥには人体実験の被験体にもされた。逃げ出すことはできたが、その時の事を思い出すと、背筋が寒くなる。
「色々やってますからね……。ニニルさん」
 ネイが乾いた笑いを見せた。
「言わないで下さい……」
 顔を伏せ、遮るように片手をネイに向ける。
 口調も声音も変えず、ノアが続けた。あらかじめ決められた文章を読み上げるように。
「そしてあらかじめ言っておきます。もし妖精炎封じの拘束が壊れた場合、自分かシゥがあなたの妖精石を破壊します」
 ニニルは右手を持ち上げた。
 手首に嵌められた木の腕輪。人間の術による妖精炎封じ。第六型拘束術と言っていた。術の強度を数字で表しているのだろう。
 不安げに、ネイが腕輪を見つめている。
「壊れないですよね? ニニルさん……大丈夫ですよね?」
 友達が殺されるかもしれないという恐怖。
 友人にそのような恐怖を持たせてしまった事に罪悪感を覚えつつも、ニニルはあくまで普通に振る舞う。ネイの赤い瞳を見つめ返し、片目を瞑ってぱたぱたと手を振った。
「大丈夫ですよ、ネイさん。あの中里千景も頑丈だと言っていましたから。バケモノを拘束するような代物だとか。まっ、そんなものを付けられるのは、気にくわないですけど」
 芝居がかった仕草で肩をすくめる。
 ニニルが暴走した際に、生み出される妖精炎出力はおよそ七万。それを知った上で、この拘束具で封じられると言われた。この拘束具を作った人間は、それだけの自信を持っている。事実、その拘束力は本物なのだろう。
 音も無く、ノアが横を向く。微かに顔を持ち上げ、何もない空を見つめる。
「絶対に壊れないものは、壊れるのです。完璧な作戦は破綻するものです。勝ったと声を上げれば負けるのです。物事が成功するには、成功確率一パーセントでなければいけません。用意された銃は撃たれなければなりません。千景さまは大丈夫と言いました。だから、不安なのです」
「えっと……」
 肩を下ろし、脱力しながらニニルはノアに目を向ける。
 ネイも不思議そうにノアを見つめていた。
 妖精郷でのノアと、今ここにいるノア。ニニルはどちらも知っている。容姿も口調も性格も同じ。同じに見えるが、何かが、決定的な何かが変わっていた。
「あなた、やっぱり性格変わってません? 明後日の方向に」
 おずおずと訊く。頬を流れ落ちる冷や汗。
 静かに、淡々と、ノアは答える。
「異文化交流の結果です」
「……絶対に違いますわ」
 絞り出すように、ニニルはただそう呻いた。

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13/12/2