Index Top 第7話 夏の思い出?

第6章 水着を買いたい


「ちわー」
 街外れの小さな店のドアを開ける。店内に漂う衣類用防虫剤の香り。店内の棚やに並んだ色々な服。ほとんどは和服基調のものであるが、洋服基調の服も少し置いてあった。
 奥のカウンタでノートパソコンを弄っていた狗神の男が顔を上げてきた。
「おや、リリルちゃんじゃないか。いらっしゃい」
「よう」
 右手を挙げて挨拶をする。
 カタイ衣服店。かなり昔からある服屋で、この辺りの神や妖怪などが使う特殊な服を仕立てているらしい。凉子から教えられた店だった。やや値段は張るものの、服の品質は高い。普段来ている寝間着を買ったのもこの店である。
「今日は何買いにに来たんだい?」
 カウンタから店内へと歩いてくる男。
 白いシャツと黒いスラックス姿の狗神。外見年齢は三十歳半ばほどだろう。灰色の髪を肩辺りまで伸ばして、眼鏡を掛けている。頭の上には犬耳があり、尻尾が左右に動いていた。店長の片井直弘、見た感じ普通のおじさんである。
「水着欲しくてな」
 リリルは手短にそう答えた。裏家業屋同士のように腹の探り合いなどをする必要もなく、気楽に話せるのはありがたいことだった。直弘もリリルのことはこの辺りに住んでいる魔族の少女としか考えていないようである。
「水着?」
「ああ。アタシの居候先のやつが来週の終わり辺りに海行くって言ってるんだ。で、水着買ってこいってね。でも、普通の服屋じゃアタシの気に入る水着売ってなくて」
 直弘の呟きに、リリルは両腕を広げて答えた。ワンピースの裾が小さく揺れる。
 来週の終わり頃、サークルの合宿で海に行くので、その時用の水着を買ってくるように浩介から言われていた。水着を買う金も貰っている。海に行くこと自体に文句は無いものの、気に入った水着がないのは問題だった。
「うちでも、リリルちゃんが気に入りそうな水着は扱ってないけどね。スクール水着とか競泳水着とかなら扱ってるけど」
 店内を眺めながら、直弘が腕組みをする。犬耳を伏せた。
 この店で扱っているのは、日常的に着る服だけである。海やプールで使うような水着などは売っていなかった。本人が言っている通り、学校などで使うようなスクール水着や競泳水着しか置いていない。
「いや、そういうんじゃないんだ」
 リリルは右手を持ち上げながら、そう言った。
「水着の生地が欲しい。加工とかはアタシでやるから」
「生地?」
 再び訊き返してくる直弘に、リリルは続けた。
「水着用のツーウェイ生地。ちょっと厚めで薄く光沢あるのを頼みたい。生地の色はアタシの前髪と大体同じくらいって言ってわかるかな? この色」
 と、前髪を指差す。銀髪の中、血のように鮮やかな赤色の前髪。この前髪はかなり気に入っている。こまめに手入れをしているため、毛質もいい。
「うーん、生地は取り寄せられるんだけど……」
 腕組みをしながら、直弘は首を傾げた。
「それより、加工って自分で縫う気かい? 水着の加工は普通の服を仕立てるよりも難しいんだ。やるって言ってできるものじゃないよ」
 そう見つめてくる直弘の表情は、本当に心配しているものだった。自分に仕立ての仕事を引き込むために、ブラフを口にしているものでもない。普通なら、ここは商売のチャンスとして客を騙す気で行かないといけないだろう。
(そう思うのは、アタシが汚れてるからなんだけどな……)
 誰へと無く空笑いをしてから、リリルは得意げに口端を持ち上げた。右手の人差し指を左右に動かしながら、尻尾も一緒にピンと立てる。
「アタシは魔族だ。布の加工は魔法でできるよ。水着用の生地を水着の形に組み替えるくらいは、そう苦もなくできるさ」
「便利だねー」
 感心したように首を上下に動かしている直弘。服の仕立ては色々と技術を要する。それを魔法ひとつでできるというのは、一見反則じみたものなのだろう。
「小物作りには便利な力だよ。おっさんみたいな複雑な仕立ては無理だけどな。魔法ってのは、術使いが思うほど便利でもないさ」
 リリルはそう説明した。単純に布の構成を組み替えているだけなので、あまり複雑な加工はできない。布の特性を知っている仕立て屋の技術には届かないのである。以前来ていた服も、半自作で重要な部分は仕立て屋に頼んでいたのだ。
「そうなんだ。リリルちゃんも色々と大変なんだね。分かった。生地は用意しておくよ。あと裏布も必要だね。会計は見積もりが来てからでいいよ」
「ありがとよ」
 礼を言うリリル。
 直弘は素早くポケットからメモ帳を取り出し、必要なものを書き込んでいく。手慣れた動きだった。四十年近くここで働いていると言っていたので、それも当然だろう。
「生地のカタログが必要だね。今持ってくるから、ちょっと待っててね」
 店の奥へと足を勧めようとしてから、直弘は足を止めた。何か思い出したのだろう。メモ帳をポケットにしまい、振り返ってくる。
「そういえば、リリルちゃん。前に言ったモデルなんだけど、やってみない?」
「モデル、ね……」
 リリルは人差し指で頬を掻きながら、明後日の方に目を向けた。尻尾がふらふらと揺れる。以前から店に飾るポスターのモデルになって欲しいと頼まれていた。容姿や雰囲気を買われてのことだろう。悪い気はしない。
「いや、やっぱやめとくよ。アタシはそういうガラじゃない」
 首を左右に振りながら、リリルはそう答える。子供になってしまったからではない。盗賊として生活していたせいだろう。自分の姿を記録されるのが単純に嫌なのだ。
「そう、残念だ……」
 言葉通り残念そうに尻尾と犬耳を垂らしている。
 多少気の毒ではあるが、同情して写真に取られる気はない。
「あ、そうだ」
 ふと思い出して、リリルは口を動かした。
 不思議そうに見つめてくる直弘を見つめながら、
「モデルっていうなら、一人調度良いのいたよ」
「知合い?」
「知合いっていうか……アタシの居候先のやつだ。狐神の女。性格っていうか神経は変わってるけど、大人しくしてたら滅茶苦茶美人だよ」
 狐神の女――浩介は元々男であり今も大して自分の容姿に気を留めていない。本人に全く自覚は無いものの、紛れもなく一級の美人である。顔立ちだけでなく、全身のバランスが取れている理想的な身体。草眞がそう作ったのだろう。
 適当に化粧をさせて手頃な衣装を着せれば、立派なモデルになるはずだ。
 リリルはにっと笑いながら、人差し指を立てた。
「そいつに話してみるよ。もしかしたら、上手いことおだてて、おっさんの欲しがってる服のモデルに引っ張ってこられるかもしれない」
「はは」
 苦笑する直弘を見ながら、リリルは続けて言葉を吐き出した。
「期待しててくれよ?」


「さてと」
 浩介は机の上に置かれた木箱を見つめた。
『術符セット』
 蓋にはそう記されている。最近草眞から送られてきたものだった。今の浩介では使えないようなやや難しめの術を使うための術符である。今まで机の引き出しにしまっていたが、今が使う時と判断し、取り出したのだ。
「何だか面白そうなことになってきたね」
 傍らに佇む凉子が、瞳をきらきらと輝かせながら猫耳を動かしていた。いつも通りの黒いワンピースのような着物に白い羽織姿である。三本の刀は腰から抜いて、近くの壁に立てかけてあった。
 浩介は軽く唇を嘗めてから、凉子に目を向ける。
「何でここに凉子さんがいるか分からないんだけど」
「私もよく分からないけど、何だか浩介くんが楽しそうにしてたから。仲間はずれはイヤだもん。それに、男は細かいこと気にしちゃ駄目だよ」
 笑いながら、凉子は断言した。そういうものなのだろうか。多分そういうものなのだろう。どちらにしろ、深く考えるのはあまり意味がなさそうである。
「まあいいか」
 浩介は木箱へと向き直り、今はいないリリルに向けて静かに呟いた。
「貸しはきっちり返してもらうぞ?」

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