Index Top 第6話 夏休みが始まって

第7章 新たなる力?


 運動着に着替えてから浩介は庭に出る。
 白いシャツと紺色のジャージ、新しく買った黒いスニーカー。普段から運動をするときはこの格好だった。靴以外は以前使っていたものである。狐神の身体になっても、極端に体格は変わっていないので着ることができた。多少無理はあるが。
「おまたせ」
 家の庭はちょっとした公園ほどのもある。舗装や芝生などではなく、踏み固められた土の庭。東側に車庫があり、塀の近くには花壇が作ってあった。
 縁台に据わっている凉子。傍らに救急箱が置いてあることに、嫌なものを感じる。
 庭の中心に佇む結奈。歩いて来た浩介を腕組みしながら見つめる。
「普通の格好ね」
 苦笑いを見せながら、浩介は訊き返した。
「どんな格好なら満足なんだ?」
「聞きたい?」
「いえ、全然」
 怪しげに目蓋を下ろす結奈に、首を振って答える。ろくな答えでないのは簡単に想像できた。体操服とブルマと言われるなら、まだマシだろう。
 浩介は結奈の前で立ち止まり、両手を下ろした。尻尾を動かしながら、
「何するんだ?」
「面倒な説明は省くけど……。あんたは今、身体の法力発生機構を使っているの。これから魂の霊力発生機構を動かせるようにするから、それで霊力が作れるようになるわ」
 結奈の説明は適当だが、それなりに理解はできた。
 人は魂と肉体の両方で術力を作り上げているらしい。噂では力が強い者ほど魂に依存し、弱い者ほど肉体に依存する。しかし、肉体、魂で別の力を作り出すことはできない。ただ、魂と肉体が別のものなら二種類の力を作ることもできるとか。
 つまり人間の魂と狐神の肉体を持つ自分なら、二種類の力を作れるかもしれない。
 しかし、納得はできない。浩介は訝しげに首を傾げた。一緒に尻尾を曲がる。
「そもそも、何で俺に霊力が必要なんだ?」
「逆式合成術かしらね?」
 頬に人差し指を当てて、結奈が明後日の方向を見つめた。
「二種類以上の力で大火力を作り出す合成術の真逆の原理。二種類以上の力で精密な術を作り出すのよ。血継術じゃないから理屈上誰でも使えるけど、二種類の力を自然に作れる人は珍しいから、日本中探しても使える人は十人程度しか居ないわね」
「そういうのって慎一に聞いた方がいいんじゃないか? あいつ日暈の人間だし」
 狐耳を撫でながら、浩介は続けて尋ねた。他人事のように。
 名前からして合成術の一種とは想像できる。合成術は日暈家の血継術。ならば、慎一に教えて貰うのが手っ取り早いだろう。結奈よりは信用できる。
 しかし、結奈は目蓋を半分下ろしたまま、声を小さくした。
「あと、逆式合成術って凄く頑丈な術が作れるのよ……。表向きは精緻な術を作る原理とか言われてるけど、本質は合成術の数少ない対抗手段ね。そんなの日暈宗家のあいつに訊けるわけないでしょ。原理はそれこそ大昔から言われているけど」
「え……。俺死ぬの? 殺されるの?」
 浩介は自分を指差し、狐耳と尻尾を下ろした。口元に乾いた笑みが浮かび、嫌な汗が頬を落ちる。日本で最も戦闘に特化した一族と戦って生き延びる自信はない。
 結奈はぱたぱたと手を振って見せる。
「戦わされることはないでしょ、さすがに。逆式合成術って頑丈な術は作れるけど、規模と爆発力が犠牲になるから、戦闘じゃほとんど使えないわ。ましてや日暈家相手にはね。草眞さんの考えがどこにあるかは知らないけど」
 浩介は無言で結奈を見つめた。本当のことを言っている保証はない。嘘を付いているようにも見える。その場の気分で適当なことを言うのはいつものことだった。
 考えても無駄そうなので、追求するのは止めておく。
 浩介は背筋を伸ばして、腰に手を当てた。
「つまり、どうやって霊力を作れるようにするんだ? 魂の術力発生機構ってどうやって動かす? 物凄く嫌な予感がするんだけど」
「まぁ、ねぇ。あんたに逃げられると思ったから、いきなり来てみたの」
 言い終わるよりも早く。
 浩介は身体の前後を入れ替え、走り出す。大きく広がる狐色の髪。
 声もなく――全力で大声を張り上げながら、地面を蹴った。おそらく今まで生きていた中で早いと断言できる。涙を流しながらの全力疾走。
 ドッ。
 身体のどこかに衝撃を受けて、音が消えた。
 結奈は末席に近いとはいえ守護十家の正式退魔師。接近戦は得意でないらしいが、それでも浩介を圧倒する実力はあるのだ。逃げられる理由はない。
(ああ。やっぱり……)
 痛みはないが、殴られたらしいと理解する――と思ったが、違ったらしい。黒い杭のようなものが三本、胸と腹を貫いている。背中から正面まで貫通。
「これは、死んだ?」
 他人事のように考えながら、浩介は意識を失った。


 凉子はごくりと喉を鳴らす。
 地面に倒れた浩介の身体を三本の槍が貫いていた。透過しているわけでも幻術の類でもなく、物理的に貫通している。槍と言うよりも杭のような形の鉄鬼蟲。急所は外して傷口も塞いでいるため出血は少ないものの、紛れもなく致命傷だった。
 ぴんと伸びる尻尾。何をするかは知らされていたとはいえ、背筋が寒くなる。
「凉子、早く」
「分かってる」
 凉子は短く返事をして、乖霊刃を抜いた。既に浩介の傍らに移動している。
 右手の刃、朝顔。凉子は峰の先端で、浩介の首筋を軽く叩いた。肉体と魂の結合に微かな亀裂が入る。これで自分の仕事は完了だった。
「終ったよ」
 刀を納めて凉子は告げる。緊張させていた尻尾から力が抜けた。
 一度死の縁に置いてから、乖霊刃を用いて魂の結合をほんの少しだけ外す。それが、狐神の身体で人間の霊力を作り出す方法だった。特殊な術で強固な結合を施されているからこそ可能な荒技らしい。そうでない場合は、十年以上もの修行が必要になる。
 この処置を施しても霊力を作れるようになるには数年必要らしい。
「さて、あとは治療ね」
 結奈が右手を持ち上げた。右手の平から湧きだす灰色の粉。命鬼蟲。沼護の人間なら必ず宿している治療用の蟲だった。治癒から体組織の一時代理まで効果は幅広い。
 凉子は素直に後ろに下がる。
「大丈夫かな?」
 儀式のためとはいえ、致命傷は致命傷。早急に治療しないと死亡するだろう。仕事の時は感情を消すことが出来るが、友達相手に使いたくなはかった。
「安心しなさい、凉子。こいつの身体は頑丈だし、回復力も桁違いよ。あたしが治療すれば一時間で元通りに治るわ。これで、DVDボックスが買えるわ。フフフ」
「やっぱり大丈夫かな?」
 怪しげに笑う結奈は、正直不安だったりする。


 黒い着物を纏った少年が、あわただしく動いている。人間に変化した飛影。
 まな板の上に万能ネギを乗せてから、包丁を動かした。小気味いい音とともに刻まれていくネギ。包丁の扱いも手の動かし方も、慣れたものである。
 切ったネギを小皿に移し、今度は大根を下ろしていた。
「アタシ、何もやることないな……」
 椅子に座って益体無く尻尾を動かしながら、リリルは愚痴ってみる。
 飛影に言われたことは鍋の見張りだった。うどんを放り込んだ大きな鍋が吹きこぼれないように見ている仕事。危なくなったら火を止めるのだ。
 大根下ろしを小皿に盛る飛影。
 辺りを見回してから、金属製のボウルを取出し、中に水を入れる。それをテーブルに置いてから両手で印を結び、指先を水面に触れさせた。
「氷よ」
 ピシ、と硬い音を立てて、ボウルの水が凍る。
 そのまま、よく洗ったタライに放り込んだ。半球型の氷。そこに拳を打ち込む。普通なら手を痛めるが、クナイの憑喪神は鋼鉄のように硬い。氷に亀裂が走り、割れる。さらに拳で何度か叩いて、粉々に砕いた。
 そこへ水道水を流し込む。これで氷水の完成。
「なあ、アタシ何かやることあるか?」
「そうですね。ごまだれとか作れます?」
 両手をタオルで拭きながら、飛影。ゴマダレ。茶色いメンツユではなく、薄い茶色のソースだろう。舐めたことはあるが、作り方は分からない。
 リリルは額を抑えて、
「無理。てか、お前作れるのか?」
「作れますよ。大抵の料理は作れる自信ありますんで」
 当然とばかりに言ってくる。普段から作り慣れているのだろう。料理の腕は本物だった。浩介もそれなりに料理ができるが、飛影には遠く及ばない。自分は論外である。
「凄いなぁ、お前……」
 リリルは本心からそう告げた。

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