Index Top 第6話 夏休みが始まって

第6章 迷惑来訪者


「こんにちはー。浩介くん」
 玄関に入ってきたのは見慣れた女だった。
 骨太の体格とポニーテイルの黒髪。気の強そうな顔と縁のない眼鏡。緑色の半袖ジャケットと白いスラックス。右手に手提げを持っている。
 いつもと変わらぬ木野崎結奈。
 一方、結奈を出迎えたのは長身の女だった。長い黒髪と穏やかな表情、白いブラウスと水色のスカートという恰好で、白い靴下を穿いている。
「すみませんが、浩介さんは本日出掛けております。今日中に帰ってくる予定はありませんので、日を改めてもう一度お越し下さい。よろしくお願いします」
 さわやかな微笑みで、そう告げた。両手を腰の前で組んで、丁寧に一礼。
 結奈は眉根を寄せてから、吐息した。
「そういうことなら仕方ないか。ごめん、邪魔したわね」
 そう言ってから、踵を返す。ふわりと揺れるポニーテイル。
 分厚い木の扉を開けて、結奈は大人しく外へと出て行った。
 締まる扉を眺めながら、胸を撫で下ろす。
「助かった……」
「ンなわけあるかアアァ!」
 扉が開き、結奈が玄関に飛び込んできた。靴を脱ぎ捨てながら宙を舞い――
 次の瞬間には、浩介はフローリングの上に組み伏せられていた。背中に馬乗りになった結奈が右腕を掴んでいる。結奈の重さと極められた腕のせいで、動けない。
「食われるうゥゥ!」
「あたしは狐なんて食べないわよ」
 ゴシ、と後頭部を殴られ、浩介は沈黙した。
「でも、女装までして一芝居打つなんてあんたも考えたわね。あんまり迫真の演技だったから、思わず乗りツッコミしちゃったじゃない」
 よく分からない感心をしている。
 つい五分前だった。結奈から電話があり、すぐそっちに行くから出迎えろとの言葉。逃げるのは無理と悟り、慌てて草眞に貰った服を着込んで他人の振りをしてみた。我ながら何をやっているのか意味不明だが。
「何しに来たんだよ……。冷やかしなら帰れ」
「凉子があんたの所に酒が大量に余ってるとか言ってたから、処分しに来たわ」
「そうじゃないでしょ」
 と、横から声がする。
 いつの間にか、近くにカラスがいた。やや小柄な黒い鳥で、全身に淡い幾何学模様が浮かんでいる。背中には布の鞘に収められたクナイを背負っていた。
「カラスが喋った?」
「クナイの憑喪神の飛影です。初めまして」
 そう言って頭を下げる飛影。
「えっと、こちらこそ初めまして。樫切浩介です」
 碌に動けない体勢ながらも、浩介は挨拶を返した。結奈が背中から横に退く。
 極められてた腕を解かれ、浩介は自由になった。両手を突いて身体を起こしてから、その場に立ち上がる。首を振って黒髪を散らし、痛む右肘を撫でつつ、
「だから何の用だよ?」
「草眞さんに頼まれてね。あんたに術を少し教えなさいって。正確には、その身体で人間の霊力を作り出せるようにして欲しい、って言われているわ」
 いつもの無意味に自信溢れる口調。
「そのうち凉子も来るから、あたしは一足早く酒盛りー」
 言うが早いか台所へと歩いていく。
 が、思い出したように振り向いてきた。
「そうそう、ここに来る途中にあんたの悪魔っ娘捕まえたわ」
「リリル?」
「表に転がしてあるから回収してね」
 そう言い残して台所へと消える。
 リリルは朝から出掛けていた。どこに行くのかは浩介にも告げていない。だが、何故か結奈は捕まえられたらしい。どのように居場所を突き止めたのかは、考えてはいけないのかもしれない。いつものことである。
「そういうことは止めるように言ってるんですけど、姉ちゃん聞いてくれなくて……」
 嘆息混じりに首を左右に振る飛影。
「苦労してるんだな……」
「ええ、まあ」
 同情の言葉に、曖昧に頷く。黒い翼を広げてから閉じた。
 浩介は土間へとに降りて、サンダルを履く。スカートのせいで脚がスカスカしているが、もう気にしないと決めていた。扉を開ける。
「むー!」
「本当にいたよ」
 玄関横にリリルが転がっていた。黒い荒縄のようなものでぐるぐる巻きにされて、口に猿轡も噛まされている。脱出できないことを考えると、術による拘束だろう。
 何も言わぬまま、浩介はリリルを抱えて玄関に戻った。
 上がり框にリリルを置いてから、紐の結び目を探す――が、結び目らしきものはない。しかも、固めた砂のような手触りで、石のように硬い。
「それ、蟲の紐ですから結び目はありませんよ。普通の刃物も通じないと思うので、これで斬って下さい。多分楽に切れますから」
 飛影が背中のクナイを差し出してきた。翼の羽を指のように使って器用にクナイを掴んでいる。子供アニメの擬人化された鳥を思わせる仕草。
「じゃ、お言葉に甘えて」
 浩介はクナイを受け取り黒い縄に刃を押しつけた。砂の塊を斬るような手応えとともに、縄が切れる。思いの外抵抗は少ない。
 同じように何ヶ所か斬ると、縄全体が黒い砂となって崩れた。
 崩れたまま生き物のように動いて一箇所にまとまると、微かな音を立てながら廊下を移動していく。結奈の元に向かったらしい。
「酷い目にあった……」
 げんなりとしたリリルの呟き。右手に猿轡の布が握られていた。
 胸元に光る赤い石の首飾り。先日、あの白鋼から貰ったらしい。
「大丈夫か?」
「魔力食われたりはしていないから、とりあえずは大丈夫だ。それにしても、あの女は何を考えてんだ……? いきなり蟲けしかけるか、普通?」
 理解できないといった表情で、飛影を見やる。
 浩介は大学で結奈に捕まった時のことを思い出していた。前触れ無く蟲で拘束されて無茶なことを言われる。いかにも結奈の考えそうなことだった。
「姉ちゃんは思い立ったら即行動だから」
 飛影がフォローになっていないフォローをする。
「クナイ、ありがとう」
 差し出されたクナイ。やはり器用に羽で掴んでから、背中の鞘に収める。鳥の翼としては不自然な動きをしているが、何も言わない。
 ガチャリ、と扉の開く音。
「……? 三人揃って何やってるの?」
 凉子だった。黒衣と白羽織といういつもの恰好で、腰に乖霊刃を三本差している。浩介の面倒を見るのは一応仕事の内なので、私服は着ないらしい。
「結奈に色々……」
 浩介は手短に答えた。一言で説明するのは難しいし、説明するのも正直面倒くさい。凉子は結奈とは友達らしいので、言いたいことは察してくれるだろう。
「結奈、またやったんだ……」
 呆れたように呟きながら、靴を脱いでスリッパに履き替える。
「飛影くん、元気?」
「相変わらずですよ」
 老けたことを言いながら、飛影が翼を広げた。雰囲気からするに、飛影はまだ子供だろう。しかし、妙に老成したことを言う。気苦労が絶えないらしい。
「遅かったわね、凉子」
 一升瓶片手に現れる結奈。ツマミもなしに呑んでいるようだった。玄人は塩だけで酒を飲めるらしいが、それとは違うと断言できる。
 瓶の中身をラッパ飲みで空にしてから、笑って見せた。
「じゃ、さっそく訓練始めましょ。場所は庭で大丈夫ね、広い場所を使うような訓練はしないし。というわけで、さっさと女装は止めて着替えてきなさい」
 きびきびと指示を出していく。
「飛影はお昼ご飯お願いね。うどんがあったからそれでいいわ。あと、そこの悪魔っ娘は手伝い。断ったらすっごいことしてあげるから、逃げちゃイヤよ♪」
「分かった。他におかずになりそうなものあったら、作っておくよ」
 頷く飛影。翼を広げて台所へと飛んでいく。
 リリルは無言のまま後を追った。ゆらゆらと動いている尻尾が、不満を主張している。金色の瞳に映る苛立ち。それでも、逆らうのは危険と判断したらしい。
「あんたも、着替えて来なさい。汚れたりしてもいい服よ」
「了解ー」
 浩介は頷いて自室へと向かった。

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