Index Top 第5話 割と平穏な週末

第1章 約束の口付け


 リビングのドアを開け、鞄を放る。
 捻るように身体を動かしながら台所へと歩いていき、浩介は変化の術を解いた。さらりと髪が背中に流れ、尻尾がズボンを抜ける。
「あー。疲れた……」
 首を動かしながら、椅子に座った。
 全身がなんとなく重い。食事も休息も取っている。以前と同じ生活を送っているはずで、疲れることなどないのだが、疲れている。身体の芯に残るような疲労感。
 理由は分かっていた。
「あれから、一週間」
 カレンダーを眺める。リリルが来てから一週間。今日は金曜日。漫研で時間を潰してから帰宅した。午後六時。結奈に何かされることも心配していたが、幸いにして何もされなかった。どうやら、何か別の面白いことを見つけたらしい。結奈の思いつきには関わらないのが無難である。
 さておき。
「魔力が減ってるのか」
 自分の身体と魂をつなぐのに、リリルの魔力を使っている。魔法を構成する魔力。人間にも狐神にも作れず、徐々に消費していくのだ。なくなっても死ぬことはないが、身体がほとんど動かない状態となる。
 無理矢理動かしていた一週間を思い出し、浩介は顔をしかめた。
「リリルー。いるかー? いたらすぐ来ーい!」
 家全体に届くように声を上げる。これは命令。家の中にいるなら、リリルの意志に関係なくここに来るだろう。いなければ、時間を改めればいい。
 数秒してから玄関の開く音。足音が近づいてくる。
「何の用だ?」
 リビングにリリルが入ってきた。家の外で何かしていたらしい。浩介のいない時間は一人で何かしている。鍛錬と言っていたが、詳しくは知らない。深く訊くなとも言われているため、追求したことはない。
「いや、ちょっと頼み事があって」
「何だよ?」
 浩介の言葉に、リリルは不服げに尻尾を動かした。
「魔力の補給」
 単刀直入に告げる。
 その言葉に、リリルは嫌そうな顔をした。
「あー。もうそんな時期か」
 自分の魔力を他人に奪われるのはいい気がしないだろう。もっとも、浩介もリリルの魔力をないと動けないだから、いい気がしなくとも貰わなければならない。
「すまんな」
「謝るなら最初から人の魔力をあてにするな」
「あとで、ケーキ食わせてやるから」
 浩介は告げた。
 リリルは諦めたように吐息する。
「どうやってあたしの魔力を受け取るんだ? 方法聞いてないぞ」
「それなんだがな」
 浩介はリュックから本を取り出した。草眞に渡された本――狐神としての生活について。大雑把にしか読んでないが、おおまかな内容は覚えている。リリルから魔力を取る方法も書かれていた。
「この印を結んでから……」
 両手を動かし、七つの印を結ぶ。法力を通して、印を結ぶだけでよい。複雑な術式を組む必要はないし、そもそも組むこともできない。
 浩介は右手をリリルに向けた。
「開」
「ッ!」
 びくりと身体が跳ねる。
 リリルの身体に組まれた術式が動いた。身体を構成する魔力を崩す術式。前回のようにバラバラ寸前になるほどではないが、魔力の集結力が崩れる。
「ちょっと待て。何する気だ?」
 一歩下がり、呻くリリル。草眞の本によると、この状態では魔法が使えないらしい。許可無しに攻撃してくることはないが、より安心できる。
 ぐるりと視線を巡らせてから、浩介は告げた。
「口付けによって魔力を自分に移し取る……そうだ」
「うげぇ」
 露骨に呻くリリル。
「よりによってキスかよ」
「一番最初にキスしただろ覚えてないのか?」
「ほとんど覚えてねーよ」
 腰に手を当て、言い切る。あの時のリリルは忘我状態だった。覚えているという方が凄いだろう。実のところどうでもいい話しだ。 
「俺は覚えてる。一日のうちにファーストキスと処女と童貞を全部失ったんだ、俺は」
 尻尾を一振りし、浩介は告げた。探せばいるだろうが、世にも珍しい体験だ。他人に威張って言えることでもない。
「同情はしないぞ」
 そっぽを向いてリリルが呻く。
 キツネミミを撫でてから、浩介は尋ねた。
「ところで、キスってどうやるんだ?」
「はぁ?」
 呆れ顔を見せるリリルに、続ける。堂々と。
「俺は彼女いない歴=年齢だ。生まれてこの方、キスなんてしたこともない。中学、高校と、家族と先生以外の女と話したのは数えるくらいだ。しかも、日常的に会話している女は全部腐女子だ。文句あっか!」
「自慢できることじゃないだろ」
 リリルは冷淡に告げた。
 威張ることではないが、威張るしかない。本気で威張るのは、三羽烏の域に達してからだろうが、ヒトとしてあのレベルまでは逝きたくない。
「そこでお前に訊いている。なんかそういうのに詳しそうだからな。答えろ」
「あー。何だなぁ……」
 命令され、リリルは渋々答えた。
「まず、会話とか食事でで上手くムードを盛り上げるんだよ。それから、頃合いを見てがばっと唇を奪う。そんなところじゃねえか?」
「物知りだな」
「普通に言われてることだろ」
 素っ気ない回答。
「なるほど」
 浩介は両手を伸ばした。リリルの両頬を掴んで自分に向かせる。
「へ?」
 虚を突かれた顔のリリルに。
 浩介は唇を重ねた。
 唇に伝わってくる張りのある感触。唇を通して、リリルの魔力が身体に流れ込んでくる。最初と同じ味も何もない力の流れ。ほんの二、三秒ほどの時間。
「おあぁッ!」
 状況を理解し、浩介を突き飛ばす。
 椅子から落ちそうになり、浩介は背もたれに捕まった。
「何考えてんだボケ!」
 噛み付きそうな顔で叫んでくる。
 浩介は具合を確かめるように両腕を動かしてみた。全身に感じていた微かな重みは消えている。魔力は充分に補給されていた。
「言われた通りにしてみただけだ。会話で上手くムードを盛り上げてから、頃合いを見計らって、がばっと。……こんな感じじゃないのか?」
「違うに決まってんだろーが!」
「だろうなぁ」
 他人事のように頷いてみる。
 がくりとリリルは肩を落とした。
「じゃ、ちゃんとケーキ食わせろよ」
 それだけ言い残して、リビングを出て行く。

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