Index Top 第4話 猫神の凉子

第3章 偵察者


「あー」
「うー」
 浩介とリリルは、ぐったりとソファに腰を沈めた。
 二階ごと崩れたビングと半壊したキッチンを元通りに修復。休憩も含めて一時間ほどで終わったが、疲労は大きい。
「二人とも元気ないねぇ」
 割と元気そうな凉子。
「無茶言わないでくれ……。俺の法力ははっきり言って少ない」
「そうかな? 草眞さんには、浩介くんは私と同じくらいの法力があるって言われてるんだけど……。やっぱり身体が慣れてないのかな?」
 尻尾を動かしながら、凉子は首を傾げた。凉子は浩介の二倍ほどのペースで修復の術を使っていたというのに、大きな疲れは見えない。
 腰に手を当て、リリルを見やる。
「何でリリルはそんなに疲れてるの?」
「やかましい……」
 リリルは凉子を睨んだ。
「アタシが一番直したんだぞ……! それに、お前の大砲避けるのに使った空間転移の魔法が響いてるんだよ。この身体で十メートルも飛べば、魔力の四割は持ってかれるわ」
 半ば怒鳴るように言い返す。
 転移の魔法が激しく消耗するのは想像がつく。今の子供の魔力で、転移魔法を使用したのだ。その後、修復の魔法を何十回も使えば、動けなくなるだろう。
「あ。お酒」
 凉子はぴんと尻尾を伸ばした。
 冷蔵庫から一升瓶を持ち出している。二ヶ月ほど前、宗一郎がお裾分として置いていったものだ。どこぞ事件を解決した御礼として大量に貰ったものらしい。
「呑んで構わないぞ。俺は酒呑めないし」
「ありがとう」
 笑顔で答える凉子。
 ふとリリルを見やり、
「呑む?」
「いや、呑まねぇ」
 一瞥もせずに答えるリリル。
「あ、もしかして……お酒、呑めない?」
 言ってくる凉子に対して、リリルは答えた。やけ気味に。
「ああ。酒なんか一滴も呑めないぞ。体質のせいだろうな。アタシはガキの頃から刺激物が駄目なんだよ。炭酸飲料ですら飲めないし、辛い食べ物も駄目だしな。カレーすら甘口じゃないと喰えないぜー。はっはっはーっ」
 乾いた声で笑ってみせる。
 何かしらネタとしてからかおうと思っていたのだろう。凉子は残念そうにネコミミと尻尾を垂らしていた。だが、さらりと立ち直る。
「ねえ、浩介くん」
「なに? 酒は飲まないぞ……一応」
 若干の警戒を込めつつ、浩介は答えた。凉子に隙を見せるのは、ぞっとしない。なんというか、身に覚えのある危機感を覚える。
「お酒じゃないよ」
 言いながら、リビングテーブルにオレンジジュースを二本置いた。
 冷蔵庫に入っていたジュースである。リリルはそれを手に取り、念入りに確認していた。何か仕込まれていることを警戒しているらしい。
 一升瓶を持ったまま、浩介の横に座る凉子。
「じゃあ、何だ?」
「さっき気づいたんだけど……」
 言いながら右手を伸ばし、浩介の髪を梳く。背中まで伸びたきつね色の髪に指を通し、先端まで手を移動させた。何の意味があるかは分からない。
「これ」
 凉子が手を開くと、砂のようなモノがあった。
 黒い砂粒が、六粒。黒い砂のように見えるが、なんとなく違う。人ならざる者。浩介の髪の毛に絡まっていたのだろう。気づかなかった。
「……何、これ?」
「黒鬼蟲。守護十家の『蟲使い』が使役する蟲だね」
 黒い砂粒を見ながら、凉子は答える。
「守護十家――?」
 浩介は身体を強張らせた。守護十家。日本の退魔師の頂点に立つ者たちである。噂でしか聞いたことがないが、なんとなく凄いのは理解できた。
「危険なのか、そのムシ?」
 その守護十家の使役したモノ。浩介のような素人がどうにかなるものではない。
「うーん。危険と言えば危険だね。霊力とか法力とか妖力とか、そんな生き物の力を食べちゃうんだ、コレ。この大群に襲われたら、私でも逃げるしかないよ。でも、今は攻撃態勢じゃなくて、諜報態勢だね。ずっと浩介くんの様子を探ってた」
 朗々と解説する凉子。
「……誰が、こんなことを?」
「結奈だね」
 訝る浩介に、凉子は一言答えた。
 数秒の沈黙を置いて、浩介は深呼吸をする。凉子の猫目を凝視し、確認するように尋ねた。自分の勘違いであることを願いつつ。
「ゆいな……って、木野崎結奈?」
「うん。その結奈」
 答える凉子に、再び固まる浩介。
 十数秒の沈黙を挟んでから、震え声で確認する。
「身長百六十センチくらいの骨太で、黒髪ポニーテールで縁のない眼鏡かけてて、いつも緑と白の暑そうな服着てて、早瀬工大二年生で、漫画研究会の四位で、イラスト描くのは上手いけど腐女子で、やたら馬鹿力で、我侭で自分勝手な……あの木野崎結奈?」
「うん。彼女、『蟲使い』の分家の次女だから。試験に合格して、近いうちに正式な退魔師になるって言ってたよ」
 凉子はあっさりと頷いた。
 ぐるりと三回転ほど思考を捻ってから、浩介は擦れ声を漏らす。
「つまり、俺の部活友達の結奈は守護十家の一員で……? 最低でも金曜日から今朝までの俺の行動を全部知ってるってことか?」
「そうなるね」
 無慈悲に肯定する凉子。
 天井を仰いで、浩介は頭を抱えた。吼えるように大きく口を開くが、声は出てこない。流れた涙が頬を伝っていく。頭の中が真っ白で何も考えられない。
 だが、大学で何か言われるのは確実だ。
「あの結奈に!」
 ギッと凉子を睨む。
 その形相に気圧されて仰け反る凉子。
「貸せ!」
 浩介は凉子の手から一升瓶を奪い取ると、口で栓を囓り抜いた。
 栓を吐き捨て、コップに注ぐこともせずにラッパ飲みしていく。高級な酒であるが、味など分からない。そもそも、味も風味もどうでもいい。今はひたすら酔いたいのだ。アルコールの刺激が、喉を流れていく。
「一気呑みすると身体に悪いよ」
「うるせー!」
 心配する凉子に、浩介は泣きながら言い返した。
「あんたは結奈を知ってるんだろ! あのサディストを……! 明日、大学で会ったら、何言われると思う? 俺にも分かんないぞ……! 考えたくもない」
 言い終わってから、酒瓶を煽る。
 口に流れ込んでくる酒。甘味とアルコールの刺激。
「そんなに性格悪いのか、そのユイナってヤツは?」
 オレンジジュースを飲みながら、他人事のようにリリルが呟く。事実他人事であり、結奈がどういう人物であろうと、リリルには関係がない。
 だが、浩介は言い切った。
「お前にとっての草眞さんのようなモノだ」
「大変だな……」
 悲惨といった顔を見せるリリル。一言で納得したらしい。
 浩介は泣きながら酒を煽った。

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