Index Top 第4話 猫神の凉子

第2章 リリル vs 凉子


「真名?」
 浩介はリリルを眺める。
 追い詰められたような表情で、脂汗を流していた。尋常な様子ではない。どうやら、真名とは知られてはならないことのようである。
「……って何だ?」
「精霊の本名だよ。これを人間に知られると、完全に魂を拘束されちゃうんだ。普通なら絶対に喋らないけど、浩介くんの命令なら答えるんじゃない?」
 光彩の細い猫目を光らせながら、凉子は人差し指を立てる。うねうねと動く尻尾と、ぱたぱた跳ねるネコミミ。興味津々な態度。
「嫌だ……! 絶対に喋らない!」
 リリルは自分の口を押さえ、言い切った。だが、説得力はない。恐怖に震える身体と、じっとりと滲む脂汗、ぴんと伸びた尻尾。命じられれば、答えるだろう。
「一応訊くけど、俺に真名を知られると、お前はどうなるんだ? 魂の拘束って意味が分からない……。答えろ、リリル」
「……身体だけじゃない。感情も心すらも逆らえなくなる。真名を知られたら、アタシはお前に完全に服従して、崇拝みたいな感情を持つようになる……。絶対忠誠――意味は分かるだろ? アタシがアタシじゃなくなる……!」
 弱々しく首を振りながら、必死の形相で言ってくるリリル。嘘ではないようだった。目元には涙まで浮かんでいる。演技ではない。本気で怯えていた。
 その様子を見ながら、浩介は目を逸らす。キツネミミを引っ張りながら、
「分かったよ。真名は聞かない」
「何だぁ。つまんないのー」
 口を尖らせる凉子。
「あんたは……」
 尻尾と耳を萎えさせ、浩介は戦きの眼差しを凉子に向けた。宗一郎の言っていた通り、ぶっ飛んだ性格である。気の良い女の子に見えて、その実危ない。
「にゃはははは」
 両手を動かし楽しげに笑う凉子。
「お前は……ッ」
 リリルは両手を振り上げる。手の中に一振りの剣が現れた。刃渡り百センチはある十字剣。魔法で召喚したのだろう。大人の身体に合わせて作られたようで、子供の身体では明らかに大きすぎる。
「一度死ねええッ!」
 一気に踏み込むリリル。振り下ろされる豪剣。
 凉子は両手と尻尾で三本の刀を引き抜いた。両手の剣を交差させ、リリルの振り下ろした剣を受け止める。突き出される三本目の刀。
 間髪容れず剣を引き、次撃に移るリリル。魔法で身体を強化しているのだろう。凄まじい速度で斬撃が繰り出される。
「死神が死ぬって――職務怠慢で死神長に怒られるよ」
 冗談を言いながら、リリルの剣を受け流していく凉子。三刀が踊る。右手と左手。そして、三本目の腕のように動く尻尾。身体の向きも入れ換え、剣舞のように三本の刀を操っていた。奇妙な動きであるが、その剣の腕は本物である。
「おい……」
 もっとも、純粋な剣の腕はリリルが上のようだった。素人判断であるが。とはいえ、身体能力も術力も凉子が数段上である。結果として……
「はい。おしまい」
 凉子の刀がリリルの剣を弾き飛ばした。後退しようとしたリリルの首筋に、尻尾の刀を突付ける。爽やかに勝利の笑顔を見せた。
「ちくしょう……」
 切先を凝視し、リリルは悔しげに毒づいた。拳を握り絞める。
「身体が全然ついていかねぇ!」
「仕方ないじゃない。子供なんだから」
 刀を納めて、凉子は笑った。
 浩介は地面に落ちた剣を拾い上げる。重さは三キロほど。西洋剣のようであるが、微妙に違う気もした。なんとなく重く感じる。
 剣が浩介の手から抜けた。空中を滑るように、リリルの手元まで飛んでいく。
 剣を受け止め、どこからか持ち出した鞘に納めた。
「その剣、何なんだ?」
「緋色の魔剣……鍛冶師ガラカが作った業物だ。昔のアタシに合わせて作ってもらったんだけど、今の身体には全然合ってねぇ」
 浩介の問いに、不機嫌な口調で答えるリリル。
 名前からするに、炎を作り出す剣だろう。今の撃ち合いで炎を見せなかったのは、手札を晒さないためと考えられる。
 ふと思いついたように、凉子を見やった。
「ああ、そうだ。リョーコ。ひとつ訊きたいことがある」
「なに?」
「この近くに妖精と契約してる奴いるのか? なんか妖精の匂いがする……」
 リリルは剣を放った。空中でかき消える。魔法でどこかに飛ばしたらしい。
「……妖精?」
 浩介はぴんと尻尾を立てた。小さな身体で羽を持った女の子。おとぎ話や絵本などに出てくる、妖精。滅多に見られるものではないと聞いたことがある。
 凉子はヒゲを指で引っ張りながら、
「いるよ。近くの慎一さんが契約してる」
「シンイチ……? って日暈慎一か? 優等生っぽいけど、なんか危ないヤツ」
 浩介の言葉に、凉子は意外そうに瞬きをした。
「うん。その慎一さん。知合い?」
「いや、話したことはないけど、名前は知ってる――ってか、大学内じゃ有名人だし。大食い大会でカレー十三杯も喰ったり、空手部主将と決闘して全勝無敗だったり、魔術研究会の連中とケンカしたり……。今度声かけてみるかな? 妖精と話してみたいし」
「やめとけ」
 腕組みしながらリリル。尻尾が揺れている。
 浩介はリリルを見やった。
「何でだ? 一度見てみたいぞ、妖精」
「妖精ってのは、一緒にいる人間に幸運を運ぶんだよ。逆を言えば、災いを遠ざける。お前は魔族と契約してるから、近づくと危険だぞ。……妖精って連中は、どうにもよく分からんからなぁ。不用意に関わると厄介なことになるし、何なんだよあいつら……」
 明後日の方向を眺めながら、ぶつぶつと愚痴るリリル。過去に何かあったのかもしれない。訊くのは面倒なのでやめておく。
 代わりに、別のことを訊いてみた。
「俺のこと心配してくれてるのか?」
「いや、単純に気になっただけだ……」
 上の空でリリルが答える。
「ツンデレ……だね」
 したり顔で凉子が頷いた。
「つんでれ?」
「うん、ツンデレ」
 怪訝な顔をするリリルに 凉子が解説する。楽しそうに。
「種類が色々あるけど、様々な原因で相手への感情が『嫌い』から『好き』に移っていくことだね。神話の時代から続く由緒正しき萌え属性だよ。リリルは浩介くんのことが嫌い。でも、その態度や性格に惹かれて、だんだんと好きになっていく……」
「ほーうー」
 噛み付きそうな形相で睨んでくるリリルに、浩介は乾いた笑みを返した。
 空中から現れた剣をリリルが握り締める。身体を前傾させ、剣を後ろに向ける。大振りの薙払いを繰り出すように。何かの技を放つ構え。
「Starting」
「三刀飛燕……」
 緋色に染まり炎を纏う剣身と、三本の刀に込められる法力。
「Inpact!」
「百八煩悩鳳!」
 爆音とともに、炎が舞った。庭の土がえぐれ、土片が散らばる。リリルの放った炎と、凉子が放った剣風。真正面から激突し、純粋な衝撃となって弾け散った。威力はほぼ同等だろう。焼けた土と、直径三メートルほどのクレーターが残る。
 悔しげなリリルと、なぜかもっと悔しげな凉子。
「三刀砲華……!」
 三本の刀にさらなる法力が込められる。
 目を丸くし、尻尾を伸ばすリリル。かなりの無理をして力を引き出しているのが、浩介の目にも分かった。引き分けたことが気に入らないらしい。
「三百煩悩――」
「Teleport!」
「攻城鳳!」
 撃ち出される剣風の渦、空間転移で逃げるリリル、そして爆砕される屋敷の一角。
 浩介は頭を抱えた。

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