Index Top 第4話 猫神の凉子

第4章 浴室への闖入者


 結局、一升瓶の酒を飲み干しても酔い潰れることはなかった。草眞はかなりの酒豪らしい。浩介の身体も酔いに耐性を持っているのだろう。
「なんか、色々疲れた……」
 浩介は風呂場の腰掛けに座った。あの後、身体能力テストの名の元、凉子に八回もぶっ倒される。全力で挑んでも、浩介は凉子に触れることすらできなかった。
「はぁ」
 プラスチック製の椅子。正面の鏡には全裸の女が移っている。
 服も下着も着ていない、一糸まとわぬ裸。だが、いまさら興奮することもない。若い女だろうが、所詮は自分の身体である。ようするに、慣れてしまった。興奮するべき時期は、体調不良でそれどころではなかったが。
「明日は憂鬱だなぁ。何言われるんだろうな?」
 ぼんやりと呟き、浩介はシャワーで身体を流した。
 スポンジにボディーシャンプーを乗せ、両手で揉んで泡立てる。基本的にやることは男と変わらない。スポンジで丁寧に身体を洗っていく。
 腕や首、脇や胸の谷間、乳房の下、お腹、下腹、脚と順番に洗っていった。胸を洗おうが、大事な部分を洗おうが、もう特に何も感じることはない。
「慣れって、残酷だな」
 ぼんやりと頷いてから、浩介は手桶でお湯を身体にかけ、泡を洗い流した。
 身体を洗うことはさほど苦労ではない。
「面倒なのは、ここからだ……」
 呻きながら、浩介はコックを捻った。ノズルからでるシャワーを手に当てる。温度が自らお湯へと変わっていった。温かくなったところで、髪を濡らす。ある程度濡れたところでキツネミミを弾き、シャンプーを手に取って、それを髪に馴染ませていく。
 シャンプーを泡立てつつ、泡を髪全体に広げていく。背中の中程まで伸びた髪を撫でるように、泡を伸ばしていった。両手で揉むように、髪を洗う。
「男なら、一気にがしがし洗えるのに」
 両手で丁寧に髪を洗いながら、浩介はぼやいた。
 女の長い髪は短い男の髪とは洗い方が違う。力任せに洗っては髪が荒れてしまうのだ。シャンプーやリンスのCMを見るたびに、女の大変さを他人事のように感じていたが、実際に女になってみると、事実大変である。
 数分かけて一通り髪を洗い終わった。
「疲れた」
 一息ついてから、キツネミミを洗う。両手でほぐすように耳の毛を洗った。耳を触るたびに、ぞわぞわとした悪寒が首筋を撫でる。
「慣れないよな、これ」
 呟いてから、浩介は手を放した。
 シャワーで髪全体から泡を洗い流す。男とは髪の長さも質も違った。絡みついた泡は簡単には落ちない。左手でお湯をかけながら、右手で梳くように泡を落としていく。
 しばらくして、泡を流し終わり、用意しておいたタオルで髪を拭く。やはり、丁寧に撫でるように、髪から水気を取っていく。あとはドライヤーで乾かし、櫛で梳かせば終了。
「あとは――」
 浩介は尻尾を抱えた。
 髪とも毛の質が違う。そもそも人間にはない器官。石鹸やボディーシャンプーで洗ってみたのだが、どうにも馴染まない。なんとなく、毛が荒れているように思える。
「尻尾は専用のテイルシャンプーがあるんだよ」
 ドアの開く音と凉子の声。
 浩介が振り向いた先に、凉子が立っていた。
 全裸で。
 下着も水着も着けていない。筋肉質の細く引き締まった身体。浩介より若干胸は小さい。下腹部にはうっすらと産毛が生えている。
「にゃははは」
「………」
 シャンプーボトルとバスタオルを振りながら笑う凉子。目を点にする浩介。
「何驚いてるの、浩介くん? 女の子同士でしょ? 恥ずかしがることないじゃない。それに、お風呂は裸の付合いって言うでしょ?」
 笑いながらそんなことを言い、浩介の真後ろまで歩いてきた。
 それなりに広い風呂場。普通の風呂場の二倍はあるだろう。二、三人一緒に入るくらいはできる。持ち出した椅子に座る凉子。狭くは感じない。
 目を泳がせながら、浩介は口を動かした。
「いや、俺――男だし」
「身体は女の子でしょ? それより、尻尾はテイルシャンプーで洗わないと毛が荒れるよ。髪の毛とは質が違うんだから。それに洗い方もちょっとコツがいるしね。私が教えてあげるから、ちゃんと覚えてね?」
 言いながら、尻尾を手元に引き寄せる。
 浩介は肩越しにその様子を眺めていた。
 凉子は持っていたテイルシャンプーとやらを尻尾全体にかける。ボディーシャンプーやヘアーシャンプーとは違うように見えた。
「狐族の尻尾は大きいから、洗うの大変なんだよね。友達の妖狐族の女の子も大変って言ってたし、猫族は細いから楽だけど」
 お喋りをしながら、撫でるように泡立てていく。
 凉子の身体に視線が向かうのを自制しつつ、浩介は自分の尻尾を見つめた。
 くねくねと自分の尻尾を動かしながら、指で梳くように毛を洗っている凉子。時々、長い毛を揉むようにこすっている。
「やっぱり、荒れてるね」
 凉子が呟いた。
「つい一週間前まで人間だったし、尻尾なんて洗ったことなかったんだから、当然だけど。髪洗うみたいに、芯もきっちり洗わないと」
 毛の奥に指を差し込み、尻尾の芯を洗う。
「うっ……!」
 背筋を駆け上がる悪寒に、浩介は身体をくねらせた。
 両手で肩を抱き締め、キツネミミを伏せる。尻尾を直接触られる感触。どうしてもこの寒気は慣れることができない。
「他人に敏感な部分を弄られるのはくすぐったいけど、我慢してね」
 凉子は尻尾の根本から先端まで、何度も尻尾を引っ掻く。髪の毛を洗う時に頭皮を揉みほぐすのと同じである。しかし、敏感な尻尾。しかも、自分ではなく他人に弄られるのだ。どうにもくすぐったい。
「シャンプーはおしまい」
 凉子はシャワーで尻尾の泡を洗い落とした。
 用意してあったタオルでごしごしと尻尾を拭いていく。タオルの動きに合わせて、尻尾が揉みほぐされた。ぞわぞわとした悪寒が背筋を這い上がる。
「うぐぐ……」
 歯を食いしばり、耐える浩介。
 ほどなくして凉子は尻尾を拭き終わった。脱力してから、浩介は後ろを見やる。濡れてぼさぼさになったキツネ色の毛。荒れているようにも思えた。
「終わった……」
 安堵の吐息を漏らす。あとはドライヤーで乾かすだけだろう。トリートメントやリンスーなどの道具は持ってきていない。
「まだ、終わってないよ」
 一言呟くと、凉子は浩介の首に腕を回した。
 ぐっと自分の胸を背中に押しつける。背中に伝わる柔らかい感触。
「……? 何でしょう? 凉子さん……」
 身の危険を覚えつつ、浩介は訊いてみた。
 あっけらかんと笑う凉子。
「にゃはは。私、実は女の子が好きなんだ」
「……俺、男だけど?」
「身体は女の子でしょ?」
 さらりと言い返しながら、さりげなく左手で浩介の胸を撫でる。実のところ、凉子が風呂場に入ってきた時点でこの状況は予想できていた。宗一郎が言った時点で気づいていたのかもしれない。諦めの心境でそんなことを想う。
 キツネミミの先を甘噛みしながら、凉子は続けた。
「それに、私に尻尾弄られて感じてなかった? もしかして、自分で尻尾の性感開発してたとか? 健全な男の子なら、女の子の身体で自慰とかしてると思うし、ねぇ?」
「いや、身に覚えがない」
 答えながら、浩介は下腹部に伸びた凉子の右手を掴む。身に覚えがないのは嘘であるが、そう言っておいた。
「そう? でも、じっとしててねー」
 凉子は左手を持ち上げて、掌底で浩介の顎を突く。
「ッ」
 軽く叩いただけ――であるのだが、衝撃はきれいに脳へと届いていた。視界が一度揺れてから、身体から力が抜ける。軽度の脳震盪。
「うぅ……」
「じゃ、お楽しみ♪」
 呻く浩介とは対照的に、凉子は嬉しそうに笑った。

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