Index Top 第4話 猫神の凉子

第1章 凉子現れる


 ドッ。
 と鈍い音を立てて、リリルの拳が浩介の横隔膜にめり込む。
「くはッ……!」
 身体の芯まで突き抜ける衝撃。肺の空気を吐き出し、浩介は竹刀を落とした。小さな身体で体重も四十キロに満たないというのに、リリルの打撃は重い。
 続けざまに、下腹、みぞおち、心臓と拳がめり込み、足刀で臑を一撃。身体が前に傾いたところに、顎への掌打。それできれいに脳震盪を起す。
 なすすべもなく地面に倒れたところで、リリルは浩介の頭を踏みつけた。
「ハーハッハッハァ! 気分、爽快ッ!」
 勝ち誇ったように哄笑している。
 目の前の地面を見つめながら、浩介は呻いた。サンダルの裏が痛い。
「いいから、足どけて治してくれ……」
「へーい」
 投げやりに返事をしつつ、リリルは足をどける。適当に呪文を唱えてから、これまた適当に手を振った。
「Recovery」
 魔法によって身体から痛みが消える。回復力を高める単純な魔法らしい。
 浩介はその場に立ち上がり、身体に付いた土を払った。髪とキツネミミについた埃を払い、ぱたぱたと尻尾を振ってから、リリルを見つめる。
「何で……何で勝てないんだ? 力も速さも俺の方が上だろ? 竹刀まで持って、何で一発も攻撃当たらないんだよ? 変だろ!」
 日曜日の朝。身体の具合を確かめるために、リリルと組み手することとなった。楽に勝てると思ったら、あっという間にボコボコこにされる。気を取り直して本気で挑んだが、結果は変わらずなすすべなくボコボコに。これで四度目だった。
「これが技術と経験の差ってヤツだ。お前、身体能力はあるけど、破滅的に素人なんだよ。アタシは昔から迫撃戦が得意だったからな。勝てるわけがねぇ」
 腰に手を当てて胸を張り、リリルは断言する。リリルの動きは素人のものではない。恐ろしく滑らかで無駄のない動き。だが、それでここまで差が出るとは思えない。
 用意してあった椅子に腰掛け、浩介は言い返した。
「でも、草眞さんには負けたんだろ?」
「あんなバケモノ相手にどう戦えってんだよ……!」
「バケモノ?」
 叫ぶリリルに尋ねる。金色の目には、うっすらとした恐怖が見て取れた。
 腕組みをして、リリルは尻尾を跳ねさせる。
「腹の辺りで身体ぶった斬ってやったら、上半身と下半身と……切れた両腕から、一瞬で全身再生させて、四人になって襲ってきたんだぞ! 急所も痛覚もないし、殴っても斬っても突いても吹っ飛ばしても……焼き尽くしても一瞬で再生するし……! 骨格も関節も呼吸も無視した動きはスライムだし。どうしろってんだよ!」
「いや、想像できないぞ。それ……」
 正直に告げる。
「レッド・ドラゴン。ヘルパート」
 声は唐突だった。
 浩介とリリルは同時に声の主を見る。
 猫神の少女。身長約百七十センチ弱、外見年齢十六歳くらい。長い黒髪とぴんと立った猫耳。脳天気そうな顔立ちで、両頬に三本のヒゲが生えていた。足下まであるワンピースのような漆黒の服と、純白の羽織を纏り、腰に三本の刀を差している。
「魔術士オーフェンに出てくるヘルパートを、もっと過激にしたのが草眞さんの戦い方だよ。草眞さんに勝とうと思うなら、守護十家の当主を連れてこないと無理じゃない?」
 黒い尻尾をゆらゆらと揺らし、人差し指を立ててみせる。
 浩介は少女が誰であるかを理解した。
「凉子……さん?」
「うん、はじめまして、浩介くん。宗一郎さんから聞いてるでしょ? 私は猫神の凉子。四級位の死神。これからあなたの面倒見るから、以後よろしく」
 快活な笑顔で自己紹介をする。
 だが、浩介は微かに顔をしかめた。
「……死神?」
 その呟きを聞いて、凉子は苦笑いを浮かべる。仕方ないという、どこか諦めに似た表情。死神という言葉に嫌悪感を覚えられるのは慣れているのだろう。
「そう、死神。死者の魂をしかるべき場所に連れて行くのが私の仕事。あなたのご両親は私がしかるべき所に連れて行ったから、安心して」
 凉子はウインクして見せた。
 浩介は一歩踏み出し、畳み掛けるように言う。
「しかるべき場所……って何だ? 天国とか極楽とか言われる場所か? それとも、黄泉の国って所か? それだけじゃ分からない」
「しかるべき場所は、しかるべき場所だよ。ごめんね。これは死神だけの秘密だから、あなたには教えられないんだ」
 凉子は困ったように答える。
 死者の向かう所という意味だろう。それがどこで、どのような場所なのかを確かめる術はない。死神になるか、実際に死んでみるか、どちらかだろう。
「それで、お前……」
 リリルが声を上げた。仏頂面で凉子を見つめている。
 凉子がそちらに顔を向ける。にっこりと笑って、頬を赤く染めた。
「うあ。可愛い♪」
「何で刀を三本も持ってるんだ? それ、魂を斬る乖霊刃だよな。別に破魔刀みたいに振り回すわけでもないし、一本で充分だろ。三本も必要ないんじゃないか?」
 凉子の反応を思い切り無視し、リリルは告げた。
 しゅんと尻尾を下げてから、凉子は二本の刀を引き抜いてみせる。
 刃渡り七十センチほどの刀――というか、長い鉈。反りのない分厚い片刃の剣身で、切先はない。鍔もない。柄には滑り止めの布が巻かれている。
 右手の刀と左手の刀で、微妙に刃渡りが違うようだった。左の方が僅かに短い。
 ひゅんと音を立てて、尻尾が三本目の刀の柄に巻き付き、鞘から引き抜く。不自然だというのに、手慣れた動きだ。両手に二本、尻尾で一本の刀を持ち、構えを取ってみせる。三本目の刀は、切先が作られていた。
「三刀流!」
「いや、それ違う。色々な意味で違う」
 浩介は即座に手を振った。
「口に咥えるより、こっちの方が自由度高いよ。錬身の術で尻尾動かしてるから、腕と同じくらいの力が出せるしね」
 尻尾をくねくねと動かし、凉子が笑ってみせる。尻尾で握られた三本目の刀を眺めながら、浩介はため息をついた。やはり、根本的な何かが違う。
 リリルが腕組みをして、呻いた。
「それで、何で乖霊刃を三本も持ってるんだよ。一本で事足りるだろ?」
「私、死神の仕事と一緒に神界機動隊の仕事もしてるんだ。時々危ないヤツと戦わないといけないからね。乖霊刃は破魔刀と似てるから武器にも使えるよ」
「万年人手不足国家……」
 剣を納める凉子を眺め、リリルはぼそりと呟いた。
 的確な意見に、浩介は失笑する。口元を引き締め、尋ねた。
「俺は何すればいいんだ? どんな術を覚えればいい?」
「とりあえず、ね。狐族の基本六術と、迫撃術の基礎と……草眞さんの十八番錬身の術かな? 難易度の高い技術系の術はその後だね。身体は草眞さんのモノだから、基本的なことは割と早く覚えられると思うよ。その後は大変だけど」
「……錬身の術って何だ?」
 凉子の答えに、訊き返す。
 さきほどから言われているが、浩介は術のことをまだよく知らない。草眞に変な術を吹き込まれたり、宗一郎に基礎的な術を教えられたりしたが、それはそれとして。
「体組織を自在に操る術ってところかな? 腕や足を伸ばすのに使われたりするね、普通は。私は尻尾にかけてるけど。草眞さんは相性がいいみたいで、錬身の術を限界まで極めてる。不老不死と、神界最強クラスの迫撃戦力……! 憧れるなぁ」
 得意げに話す凉子を見ながら、リリルは嫌そうな顔をしていた。自分を倒した者の話を聞くのは、いい気がしないだろう。
「あ。そうだ」
 ぽんと手を打つ凉子。
「浩介くんって、この子の真名聞いてる?」
「!」
 リリルは逃げるように跳び退いた。

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