Index Top 第2話 シェシェノ・ナナイ・リリル

第6章 その夜、そして翌朝


「おい、起きろ。リリル」
 声をかけられ、リリルは意思に関係なく覚醒した。
 浩介の部屋のベッドの上。枕を抱きしめ、布団に包まってる。部屋は明るいが、朝ではない。無機質な蛍光灯の光が目に痛い。夜中の三時頃だろう。
 目覚まし時計を見ると、三時三分。
 リリルは頭をかきながら起き上がった。
「何考えてんだよ……こんな時間に」
 不機嫌に呻きながら、ベッドの横に立っている浩介を見る。
 男物の縦縞パジャマを着て、腰に手を当てていた。寝る前に見た格好と一緒である。リビングのソファで寝ると言っていた。言葉通り、リビングで寝ていたはずだ。
「………?」
 眉根を寄せる。何かおかしい。
 浩介はリリルの前の右手を突き出した。
「お手」
 ぽんと、出された手の上に右手を乗せる。
 リリルは浩介を睨んだ。
「何がしたいんだ、お前は……からかいにきたのか? こんな夜中に」
「いや。どうということではない。本当に命令通りに動くかと思っての」
 浩介は口元に手を当てて、小さく笑った。
 リリルは眉根を寄せる。
 やけに動作が女っぽい。浩介は男だ。身体は狐神の女だが、言動は紛れもなく人間の若い男だ。しかし、ここにいる浩介は、紛れもなく女である。
「誰だ? お前……」
「草眞じゃ。お主に言いたいことがあって、無断で浩介の身体を動かしおる。意識も眠っていて、動かしてるのが他人とはいえ、お主に命令しているのは浩介じゃからの。お主は逆らえない。ちなみに、わしは神界の本殿で休んでおる」
「そうかい」
 リリルは布団を引っぺがし、草眞に投げつけた。
 視界を奪ったところで、顔面を殴りつける。
 だが、そこに草眞はいない。拳はむなしく、布団だけを叩いた。
 床に落ちた布団の上に立って、部屋を見回し、
「お座り」
「!」
 その場で、犬のようにお座りをする。拒否しようとしても、身体が動かない。
 どこに隠れていたのか、飄々と目の前に歩いてきた草眞。尻尾を動かしながら、余裕たっぷりにリリルを見下ろし、ゆっくりと腰を下ろした。
 仔犬でも扱うように、リリルの頭を撫でながら、
「よしよし、かわいいヤツめ」
「お前……なんか、アタシに、恨みでも、あるのか? くそババァ」
 視線だけで殺せるほどの殺意を乗せて、草眞を凝視する。
 しかし、草眞はそよ風よろしく視線を受け流し、
「神殿侵入事件の時、お主は逃げようとして炎の魔法使ったじゃろ? その炎に巻き込まれて、一冊の本が燃えたのじゃ。お主が盗んだ禁術の写本じゃな。それはの、わしが長年の交渉の末に、ようやく貸し出し許可を貰ったものじゃ。原本は持ち出し禁止。族長ですらないわしでは、見ることは叶わぬ」
「…………」
 脂汗を流す。
 言葉とともに、草眞の顔に不気味な笑みが浮かんでいる。不気味という言葉では生ぬるい、魔物のような笑み。見ただけで呪われそうな、そんな表情。
「わしはな、恩お仇もきっちり返す主義じゃ。お主への恨みもきっちりと返す」
 草眞はリリルの頬を撫でた。
 形容しがたい恐怖に、全身が粟立つ。声も出せない。
「そうじゃの。ちょっと犯してやろうか?」
「…………」
「安心せい。言ってみただけじゃ。お主は浩介の所有物じゃからの、わしが手を出すわけにはいかぬ。それに、わしは女に興味はない」
 草眞は立ち上がり、数歩下がって部屋のドアに背を預けた。ゆったりと息をついてみせる。さきほどの呪い殺すような笑みは、跡形もない。
 リリルは唾を飲み込み、声を上げた。
「あたしに復讐するために、コースケに身体を貸したってのか!」
「いや。浩介を生かすために、お主を使うのじゃ。ま、立て」
 命令されて、その場に立ち上がる。
 草眞は続けた。
「浩介は、人間の魂と神の身体のつなぎに、魔族の魔力を使っておる。しかし、神の身体では魔力を作れず、取り込んでも消費してしまう。そこで、お主を遣い魔にして、定期的に魔力を摂取できるようにした」
「何だそりゃ!」
「魔力を持っておれば誰でもよかったのじゃが、誰もそんな役割引き受けてはくれぬからの。復讐ついでに、お主に白羽の矢を立てたわけじゃ」
「今すぐアタシを開放しろ」
 リリルは草眞に詰め寄り、右腕で胸倉を掴む。自分より背の高い相手の胸倉を掴むのは間抜けだが、どうでもよかった。
「契約を破棄しろ。お前ならできるだろが!」
「お主は、まだ自分の立場を理解しておらぬようじゃな」
 草眞は軽く手を振り払い、ため息をつく。
 人差し指を動かし、リリルの胸を突いた。心臓の真上。
「呪印」
「………!」
 後ろに飛んで、胸を押さえる。
「何しやがった!」
「呪いを追加しただけじゃ。説明は面倒じゃから、自分で解析するように」
 答えてから、草眞は手を動かした。
 段ボール箱が空中から現れる。それを部屋の隅において、
「あと、これはお主の服じゃ。わしが直々に選んでやった。朝起きたら、ちゃんとこの服に着替えて浩介に見せるのじゃぞ。命令じゃ」
 目をこすりながら言って、草眞はドアを開けた。
「伝言は終わりじゃ、もう寝ろ」
 ドアが閉まる。
 命令通り、リリルはベッドに戻って眠りについた。

       ◇

「おい、コースケ。起きろ、朝だぞ」
 肩を揺すられ、浩介は目を開けた。
 ぴくりとキツネ耳を動かしてみてる。ぱたりと尻尾も動かしてみた。狐神の女になったのは夢ではないと確認。ここ最近の日課である。
 昨日はリリルを自分の部屋に寝かせた後、ソファで眠った。
 目をこすって起き上がり、両腕を伸ばす。調子が戻ったとはいえ、女の身体はどうも朝が辛い。生理現象が違うのだろう。
 布団を押しのけて、欠伸とともに背伸びをし。
 浩介は、固まった。
「………なんだ、その格好は?」
 リリルの格好。
 半袖のワンピース。すっきりした作りで、色は曇りのない純白。丈は膝まで。飾りや文字はない。頭には白い帽子。ゲームなどに時々出てくる、猫耳を思わせる帽子。色は純白。淡褐色の肌に映える。
 尻尾が居心地悪そうに動いていた。
「ソーマが昨日送って来た」
 ぎしぎしと歯軋りをしながら、リリルは答える。両手を硬く握り閉め、羞恥と怒りの視線を浩介に向けていた。この格好は控えめに言っても辱めだろう。
「笑いたきゃ、笑え」
 自虐的な笑顔を見せるリリル。
 浩介は答えず、窓辺に移動する。土曜日の朝日が眩しい。
 ひしゃげた窓枠と割れたガラスは、昨日のうちに片付けてあった。
 一度深呼吸をしてから、リリルに向き直る。キツネ耳と尻尾がぴこぴこぱたぱた動いていた。人差し指を立て、頬を紅潮させながら、真顔で訊く。
「ぎゅーっと抱きしめて思い切り頬ずりしていいか?」
 言い終わる前に、リリルは全速力で逃げ出していた。

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