Index Top 第3話 浩介の休日

第1章 着替え着替え着替え


 深く息を吸い込み、吐き出す。
 午前十時三十七分。
 朝食を食べ終わり、後片付けも終わり、自分の部屋に戻り一休み。
 浩介はベッドの上に広げられた服をじっと眺めていた。
 白い無地のブラウス。水色のロングスカート。ソックス。靴。小さなバッグ。
 そして、ブラジャーとショーツ。
 最後に、それらの着方が記された紙。
 草眞に渡された普段着である。一式だけ。これからは、狐神の女として生きていかなければならない。女としての生活に慣れるため、休日は女として過ごすようにと、手紙に書かれていた。今日は色々買い物をしなければならない。
 危険物でも触れるような手つきで、ショーツを掴んでみる。
「着るんだよな、これ?」
 他人事のように自問した。尻尾が不安げに動いている。
 ショーツの両端を摘み、横に広げる。三角形の小さな白い布。ビキニタイプとでもいうのだろう。一般的に想像する、ありふれたショーツである。綿百パーセントの滑らかな手触り。股下部分が二重になっている。模様や柄はない。
「これを穿くのか?」
 ごくりと、唾を飲み込んだ。顔が赤くなっているのが分かる。心臓の鼓動が耳まで届いていた。本物のショーツを観察するなど、生まれて初めてである。
「何やってんだ?」
「のおおおおおおおおおおッ!」
 浩介はその場にひっくり返り、転がるように窓まで移動した。頭がガラスにぶつかって止まる。がくがくと震えながら、部屋の入り口を見る。
 じと目で見つめてくるリリル。服装については、諦めたらしい。
 右手で指差しながら、浩介は叫んだ。
「おおお、お前! ッリリリリル! 脅かすな!」
「……何焦ってんだよ」
 言ってから、リリルは右手に気づく。握り締めたショーツを三秒ほど眺めてから、心得たとばかりに頷いてみせた。にんまりと笑う。
「なるほど、なるほど。下着を初めて観察して、滅茶苦茶緊張しているわけですか。いやぁ、ウブですなぁ。あんな痴態晒して今さら恥ずかしい、と?」
「うるさい。俺は一週間前まで男だったんだ! それに、つい昨日まで体調がおかしくて気にする余裕すらなかったんだぞ!」
 ありえないくらい顔を赤くして言い返す。言い訳にしかなっていないことは自覚していたが、黙ってはいられないかった。
 リリルは口元に手を当てて、
「ほー。言い訳は見苦しいぞー」
「なら、お前は今何穿いてるんだよ?」
 反撃のつもりで訊く。
 リリルはそっぽを向いて、答えた。
「お前には関係ないだろ」
「答えなさい」
 命令する。
 ギシと歯を食い縛ってから、リリルは浩介に向き直った。答えたくはないようだが、命令と言うのならば意思とは関係なく答えなければならない。
「スパッツだよ。文句あるか!」
 頬を赤く染めて、叫ぶ。
 棍棒で殴られたような衝撃に、浩介はよろめいた。窓ガラスに背中を預けてから、左腕で額の汗を拭うような仕草をする。
「そうか……。うん。なるほど。うんうん」
「何だよ……その反応」
 自分の身体を抱えて、訊いてくるリリル。
 浩介は真顔で答えた。
「今見せてもらおうか、それとも後で見せてもらおうか考えてる」
「絶対に見せねえ!」
「裾を摘んで見えないくらいまで持ち上げろ」
 命令された通り、リリルはワンピースの裾を掴んで、三十センチほど持ち上げてみせた。膝より五センチほど上。恥ずかしさと怒りと悔しさで、凄い表情をしている。
 浩介は肺に溜まった息を吐き出して、呟いた。
「ご馳走は後に取っておこう」
「殺ス……」
 ギシギシと聞こえるほど歯軋りをしながら、リリルは唸る。
 浩介は手を動かして、裾を下ろすように合図した。
「もういいぞ。正直、調子に乗りすぎた」
 吐息とともに告げる。
 リリルは叩きつけるように、裾を下ろした。
「絶ッッ対本気だっただろ!」
 その指摘には答えず、浩介は立ち上がる。右手に握ったままのショーツをベッドに放ってから、背筋を伸ばした。いい加減覚悟を決めなければならない。
 パジャマとシャツを脱いでベッドに放る。
 浩介は自分の胸を見下ろした。
 細い身体と、白くきれいな肌。ほどよい大きさの膨らみ。その頂上で、淡い色の乳首がそっと存在感を主張している。手で触ってみると、ふにふにと柔らかい。それでありながら、適度な張りと弾力を兼ね備えている。
「そういうことは、一人でこっそりやれよ」
 我に返り、浩介はリリルを見た。
 冷たい眼差しで見つめてくる。
 咳払いをして、浩介はリリルから目を離した。ブラジャーを手に取る。白い綿の生地で、フリルや模様はない。カップの形には個人差があると聞いているが、草眞が選んだものなので大丈夫だろう。
「よし」
 腹をくくり、浩介はストラップに両腕を通した。
 腰を曲げて前屈みになり、カップの下側をアンダーバストに合わせる。乳房にすっぽり納め、カップの頂点に乳首が来るように調整。意外と難しい。
 カップを合わせたら、背中に両手を回してホックを留める。見えないので上手くいかない。何度か失敗してからカチと留まった。
 右手でストラップを持ちながら、左手で胸の近くの肉をカップに移動させる。右胸が終わったら左胸も同じように肉を寄せた。
 身体を起こし、ストラップの長さを調整する。背筋を伸ばしてから、腕を動かしたり身体を捻ったりしてみた。
「……おお!」
 背筋を伸ばして、唸る。耳がぴんと立って、尻尾がぱたぱたと跳ねる。
 なんと表現していいのか分からない。あるべきものがあるべき場所に収まったような感覚。今まで感じていた肩の重さが消えている。
「凄い……! なんとゆーか、フィット感?」
「そんなに驚くことでもないだろが」
 リリルが言った。
 浩介は不服げにリリルを見る。女にしてみれば驚くことではないが、元男にしてみればこの感覚は未知のものだ。驚くに値するものである。
「……すまないけど、外で待っててくれないか?」
「へいへい」
 両腕を広げて首を左右に振り、リリルは部屋を出て行った。バタンとドアが閉まる。足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
 戻ってこないことを確認し、浩介はパジャマのズボンを脱ぐ。
 トランクスも脱ぎ捨てた。
 何もない股間。下腹の辺りから手を下ろしても、何にも引っかかることなく股下に抜けてしまう。子供のような秘部には、産毛すら生えていない。傍らを指で押してみると、ふにふにとした柔らかさが返ってくる。触られている感覚もあった。
「やっぱり女なんだよな……」
 頬を赤くしながら、浩介はショーツを手に取る。
 前後を確認してから、左右に広げ、右足、左足と順番に通した。腰の辺りまで一気に引き上げてから、前と後ろの食い込みを直す。
「……これは」
 感嘆の吐息が漏れる。
 適度な圧迫感が股を包み込んでいた。男物と下着とは明らかに違った履き心地。大事な部分をすっぽりと包み込み、それでいながら邪魔な感じは微塵もない。
「今の俺って、ものすごい格好してんだよな」
 そのことに気づいて、思わず呟く。若い女の下着姿。彼女もいない人間が、その姿をじっくり眺める機会はまずないだろう。
 だが、クローゼットを開けて鏡を見る勇気はなかった。
 苦笑して、ため息をつく。

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