Index Top 第2話 招かれざる来訪者

第3章 黒衣の襲撃者


 あくまで落ち着いた表情のリア。
 ポケットの中のデリンジャーを手で弄りながら、クキィはため息をついた。青い朝の空を白い綿雲が流れている。街中の空は、どことなくくすんでいた。
「教会ってあたしが思ってたよりも、過激なのね」
 自分の中で幻想がひとつ壊れた気がする。
 月の教会が潔癖であると思うほど純粋ではない。それでも、いきなり拳銃渡すような組織ではないと思っていた。しかし、手段は選ばないようである。
「現実主義と言って下さい」
 両手で杖を握り、リアが困ったように言ってきた。
 耳の後ろを指でかき、クキィは目を移す。視界の端っこに映っていた黒い姿が無い。一応立ち止まって、その姿を探す。
「ん?」
 少し離れた所でガルガスが足を止めていた。紙袋から取り出したチョココロネをもそもそと食べながら、本屋を眺めている。本屋は開店時間前だった。
「どしたのガルガス?」
 クキィは小さく鼻息を吐き、そちらに近づく。
「って、あれ」
 そこで、見知ったものを見つけた。
 本屋のガラスに貼られたポスター。そこに映る男。四十歳ほどの灰色の髪の人間で、四角い眼鏡を掛けている。灰色の背広の上に白衣という恰好だった。カメラ目線で片目を瞑り、キザな笑顔を見せている。
「これ、おじさん……だよね?」
「タレット先生ですね」
 近くに来たリアが頷く。
 ポスターに映っているのは、紛れもなくタレットだった。この特徴的な容姿と恰好と立ち居振る舞いは、写真でも見間違えるはずがない。
『科学者の喜怒哀楽 〜 知性の果てに我々は何を見るのか 〜』
 ポスターの内容は本の紹介である。本は科学をテーマとしたやや難しめのエッセイのようだった。ついでに、かなり売れているらしい。
 ポスターの下の方に著者の肩書きが書かれている。
「ウィール大学院旧史学教授カッター=タレット……。おじさんって本当に偉い人だったんだ。てっきりキザで怪しいおじさんとばかり思ってたんだけど、本物だったんだ……」
 左手で額を押さえ、尻尾を垂らす。
 ポスターから数歩後退り、クキィは首を左右に振った。
「それほど驚く事でしょうか?」
 と、リア。リアは以前からタレットを知っていた様子なので、当然かもしれないが、クキィにとっては昨日現れたインテリ眼鏡のおじさんである。その正体が、本物の天才というのは、何かを裏切られた気分だった。
 パンを選びながら、ガルガスが口を開く。
「二人とも、客が来たぞ」
 コッペパンを持ったまま指を向けた方向に。
 男が一人、佇んでいた。
 人間のようだが、人間ではない。亜人でもない。
 見た目の年齢は二十代半ば。だが、纏う空気は老人のように老け込んで見える。腰まで伸びた白銀の髪と、感情の見えない顔と赤紫色の双眸。漆黒の長衣とマントという重苦しい恰好だった。武器は持ってないらしい。目立つ容姿をしているというのに、まるで存在感を感じさせない。幻のように。
 その異様さに、クキィは息を止めた。
「誰?」
 男との距離は二十メートルほど。すぐに攻撃が届く距離ではない。しかし、既に相手の射程内にいるのだと、本能が教える。歩行者道路の雰囲気が、冷たく変化していた。朝のけだるい空気から、冷たく鋭く張り詰めたものへと。
 道を歩いていた人たちが、遠巻きに眺めている。
「私はディスペア」
 静かに、男がそう答えた。ディスペア、絶望――偽名だろう。
 ディスペアの姿が掻き消える。一瞬消えたかと思うほどの、凄まじい加速。
「阻め、大空の霊壁!」
 ほんの少しだけ早く唱えられた聖文。クキィとディスペアとの間に、透明な壁が作り出される。無色透明のガラスのような素材で、厚さは五十センチくらいはあるだろう。歩行者道路の半分を遮るような壁である。
 防御用の障壁法術。
 軋むような音を立て、障壁に亀裂が走った。ディスペアの右拳が障壁を叩いている。足元のレンガが砕け、長い銀髪と黒いマントが翻った。
「!」
 リアの顔に映る驚き。緑色の目を見開いている。相当に強力な防御術だったのだろう。少なくとも、ディスペアの攻撃を防ぐ自信があったようだ。
 それをディスペアは拳で破りに掛かっている。
「やばいわね……」
 クキィは片目を瞑った。右手でデリンジャーを取り出し、安全装置を外す。
 ディスペアの左拳が激突し、障壁が砕けた。
 空中に溶けて消える障壁。同時に、ディスペアが滑るように前進する。走っているはずなに、移動している気配が無い。どのような技術なのか不明だが、異様な移動法だ。全身を包む黒い長衣とマントも、身体の動きを読めないようにしている。
 長衣の袖から出された右手が、五指を伸ばした。
「断絶せ――」
 リアが次の術を組むが間に合わない。
 だがその瞬間、風斬り音とともに振り抜かれる黒い脚。ディスペアの頭を狙っての飛び蹴りだったが、脚は空振りした。ディスペアが後ろへと退いている。元いた位置へと。
 間合いはおよそ二十メートル。
 一回転してから着地し、ガルガスが親指で自分を示した。
「おっも、もむもも……」
「食べてから喋りなさい!」
 コッペパンを咥えながら喋る姿に、クキィは思わず叫ぶ。
 クキィを一瞥してから、ガルガスは咥えていたコッペパンを一口に呑み込んだ。左手で抱えたパン屋の紙袋はそのままで、ディスペアに向かい改めて告げる。
「おっと。俺を無視してくれるのは困るぞ」
「ガルガス。やはりお前からか……」
 ディスペアが赤紫色の瞳をガルガスに向けた。両手を下ろしたまま、クキィたちから視線を移す。口振りからするに、ガルガスとは顔見知りのようだった。その顔や目から感情は読めないが、警戒しているらしい。
 歩行道路を歩いている者たちが、驚いたような顔で目を向けている。
 クキィはデリンジャーの銃口を向けるが――
 ガルガスがそれを阻んだ。遮るように右手を横に出す。
「やめとけ、無駄弾は使うな。あいつにそんな豆鉄砲は効かない。それに、ケンカは俺の役割だ。俺が足止めしてる間に、お前たちは上手く逃げろ」
 ゴッ。
 ガルガスの胸に、ディスペアの右手が打ち込まれた。駆け出しから接近、踏み込み、突きまで、全てがきれいに連携している一打。思考を置き去りにする神速である。防御はおろか、知覚すら許さないような流れ。それは、どこか芸術的な美しさを持っていた。
 ディスペアが微かに顔をしかめる。
「普通はこれで心臓が砕けるのだが」
「この程度じゃ、俺は倒せんンッ!」
 元気な咆哮とともに、ガルガスの右拳がディスペアの顔面を打つ。ただ腕の振り回しただけの素人パンチだが、威力はディスペアをたやすく吹っ飛ばすほどだった。銀髪と黒衣を尾のように引きながら、宙を舞う。
 それでも、空中であっさりと体勢を立て直すディスペア。
「リア。逃げるわよ」
「はい」
 人外の殴り合いを始めた二人を横に、クキィとリアは逃げ出した。


「逃げたか」
 逃げていくクキィとリアを目で送ってから、ディスペアはガルガスに視線を戻した。最後に見た時と変わらぬ姿。とりあえず今用があるのは、目の前の男である。パンの入った紙袋を左手に抱えたまま、右手を握り締めていた。
「お前と拳を交えるのも久しぶりか。ひとつ質問がある」
 戦闘態勢は崩さず声をかける。この男にまともな攻撃は通じない。それは充分に理解しているが、かといって気を抜くことはできない。
「旧友のよしみだ。答えられるものだったら答えるぞ」
 右手を左右に振りながら、気さくに言ってくるガルガス。
 表情も声も変えず、ディスペアは尋ねた。
「お前が鍵人を守る理由は何だ?」
「うー……む。いきなり難しい事を訊くな。少しは遠慮しろよ」
 ガルガスが困ったように頭をかく。
 間を取るように、ディスペアは周囲に目を向けた。人通りのある場所で襲撃。通行人が通報するのは確実で、警察官が駆けつけるまでそう時間は無いだろう。
 数秒ほど考えてから、ガルガスが口を開いた。
「そうだなー。親友が今、困っているからな、あの猫娘はその助けになるかもしれない。だから守る。あと、あの猫娘は面白いヤツだから気に入っている」
「返答感謝する。実にお前らしい」
 右手を持ち上げ、礼を言う。殴っても斬っても撃っても、物理的攻撃だろうと術攻撃だろうと。人の考え得る攻撃では倒せない事はわかっていた。だが、倒そうと考えなければ、ガルガスを退ける方法はある。
 パンの袋を抱えたまま、ガルガスが右手を横に振った。話を切り替えるように。
「じゃあ、世間話も終わったことだし、続きを始めようじゃないか! お前なら、久しぶりに気合いの入ったケンカ楽しめるだろ。さあ、かかってこい!」
「あいにくだが、私はお前とまともに戦う気は無い」
 一拍で間合いを詰め、ディスペアはガルガスの右腕を掴んだ。逃げられないように、しっかりとその手首を拘束。左足払いで、ガルガスの両足を払う。
 そして、力任せにガルガスを放り投げた。

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阻め、大空の霊壁
周囲の大気を固めて巨大な壁を作り出す防御用法術。術式が単純なので、簡単に組み上げられる。詠唱無しの術では、最も高い防御力を持つ。あくまでも固めた空気の壁なので、強度限界を超える力を加えれば壊れる。
ディスペアの打撃二発で砕ける。
難易度5
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