Index Top 第2話 招かれざる来訪者

第4章 追い迫る者


『待て待てエッ! 昨日の今日で、いきなりンな大物かよッ!』
 リアが耳に当てた携帯電話から、タレットの声が漏れてくる。電話の向こうで思い切り叫んでいるようだった。うるさそうに右目を閉じ、一度耳から離すリア。
 一度吐息してから、てきぱきと言葉を続ける。
「どうしますか? 今はガルガスさんが足止めしてますけど」
『三分耐えろ、何とかする!』
 それで切れたらしい。
 携帯電話を鞄にしまってから、リアが振り向く。その顔には、困ったような呆れたような何とも言えない感情が浮かんでいた。しかし、状況の割に緊張感が薄い。
 裏通りを小走りに進みながら、クキィは後ろを振り返った。もうガルガスたちの姿は見えない。朝方で人通りは少ないため走るのに苦労はしない。左右にそびえるビルの壁面。周囲に被害が出ないようにと移動した人気の無い道である。
 今の状態で警察が頼りになるとは思えなかった。
「あいつ何者?」
 四方に注意を向けながら、クキィは前を走るリアに尋ねる。
 いきなり現れた男。長い銀髪に黒衣という目立つ容姿をしているのに、ガルガスに指摘されるまで気付かなかった。ガルガスに言われなければ、攻撃を受けるまで気付かなかったかもしれない。
 周囲に注意を向けながらリアが答える。
「通称、ディスペア。国際危険人物の一人で、護衛から暗殺まで多岐に戦闘を行うフリーの傭兵です。術や銃を一切用いず、常軌を逸した格闘能力を持ち、徒手空拳での戦闘なら世界最強と言われます。私が知っている情報は、多くありません」
 連ねられた言葉に、クキィは尻尾を下げる。
 マンガのような肩書きを持つ男。話だけ聞くなら、誇張と思うかもしれない。だが、実物を見れば、その話もあながち誇張ではないと理解できる。徒手空拳の世界最強。
 左右に跳ねるリアの緑色の髪の毛。
「また、不死の男、不死身とも呼ばれ、およそ五百年前から存在するようです。本当に不死なのか、別人が同じ名を名乗っているのかは知りませんけど」
「………」
 続けられた言葉に、クキィは右手で頭を押さえた。気のせいか、頭痛がする。
 言葉では別人か同一人物かは不明としているが、おそらく同一人物なのだろう。なんらかの方法を用いて、死を乗り越えた者。そのような不死者の噂はいくつも聞くが、公式には確認されていないらしい。だが、いても不思議ではない。
「それが何であたしらの前に現れたのよ」
 背負った鉈から布を取って腰のベルトに差す。手元にある武器はデリンジャー一挺とこの鉈だけだった。心許ないことは自覚している。
「訊いても答えてはくれないでしょう。目的は、正直ぞっとしません」
 一度足を止め、リアが杖を両手で水平に構える。
「奏でよ、銀の音色。風は流れ届け響け」
 周囲に展開される法力。探知系の術だろう。目に見えて変わるものは無かったが、リアの知覚が一気に広がるのが見えた――気がした。
 杖を下ろし、リアが首を横に動かす。
「困りましたね。ガルガスさんが退けられたようです。こっちに向かっています。三分待てと言われましたけど、一分も無理そうですね。仕方ありません。迎え撃ちましょう。幸い伏兵はいないようですし」
「無謀じゃない……」
 救いの無い台詞に、クキィは両腕を左右に広げた。もはや逃げるのは無駄だ。追い付かれるのは目に見えている。追い付かれたら殺されるか連れ去られるか。それでも、助かるという極めて低い可能性に賭けて戦うしかない。
「てか、あいつ倒すってどんだけ強いのよ」
 ヤケ気味に奥歯を噛み締める。
 ガルガスの強さは凄まじい。訓練を受けた軍人を五分程度で一掃するほど。その強さの背景は理不尽なまでの頑強さだ。その強度を貫かれれば、倒されるかもしれない。
 リアが視線を持ち上げる。
「ガルガスさんは強いですけど、倒さないというのなら、退ける方法はいくらでもありますから。埋めるとか沈めるとか投げ飛ばすとか」
「意外と役に立たないやつ……」
「大丈夫ですよ。クキィさんは私が守ります。私も無策では無いですから」
 にっこりと笑うリア。この絶望的な状況でも、自分を失わない冷静な表情だった。それを見るだけで、クキィの心も落ち着いてくる。
 リアは杖を自分の左肩に立て掛け、頭に乗せていた帽子を脱いだ。高さ十センチほどの円筒状の帽子。そこから一挺の拳銃と銃弾一発を取り出す。ごく自然に。
「ぁ……ぇ。なに、それ」
 思わず脱力しつつも、クキィは半眼で尋ねる。
 拳銃は中折式で、弾倉は無く単発らしい。グリップと銃身にトリガーが組み込まれた単純な構造である。銃弾は大型で、薬莢も含めて長さ十センチほどだろう。口径も大きい。弾頭は銀色で、先端が凹んだホローポイントだった。
「デュエルガン、などと呼ばれます。装填数一発の決闘用拳銃。こっちは、対魔獣用の破壊法術式刻印十二ミリ弾です。通称、埋葬銀弾」
 銃弾を薬室に装填し、銃身を起こす。留め具が固定される小さな金属音。左手で杖を握り直し、右手で銃を掴んだ。安全装置を外し、撃鉄を起こす。射撃準備完了。
 その慣れた動作から、初めての使用ではない事が容易に伺えた。
「我が右腕。掴め、鬼神の光枠」
 光の直線で作られた枠が、リアの右腕に装着される。肩から肘、肘から手首、指へと順番に。形状からして、筋肉の動きを補助する法術だろう。
「あなた、攻撃術封じたとか言ってなかった?」
 諦めにも似た心境で、クキィはそう口にする。目の前で繰り広げられる、常識を無視した行動や台詞の数々。これが全て夢かと錯覚するような非現実だった。
 だが、これが現実である事は、嫌というほど理解している。
 リアはこともなげに頷いた。
「はい。月の神との契約により、私は攻撃術全般を封じました。しかし、攻撃術が使えないのならば、術を補助に高攻撃力の武器を使えばいい。単純な発想です」
「あたしの知らない世界って、多いのね……」
 コンクリートの壁に額を押し付けながら、クキィは尻尾を下ろす。
 短い間に、生涯知る事もなかった世界の裏側をいくつも見せつけられた。昨日まで裏町の不良娘と粋がっていたが、それがどれほど薄っぺらな自称だったのか、イヤというほど思い知らされる。
「疾れ、我が時。捉えよ、世界――」
 聖文とともに、リアの身体を法力が駆け抜けた。
 術式が見えたが、複雑すぎてクキィには読めない。しかし、口にした聖文から内容を推測することはできる。感覚系強化と哨戒術を同時に行ったのだろう。
 リアの緑色の瞳に鋭い光が灯る。
 身体の向きを変えた。
 遅れてクキィが眼を向けた先に、ディスペアの姿があった。小細工もせずに、堂々と道のど真ん中を走ってくる。先ほどと同じ。そこに姿があるのに、リアが反応するまでクキィは気付かなかった。リアも法術を使わなければ、気付かなかっただろう。
 右手に持った銃を構え、リアがトリガーを引く。
 ドッ!
 爆音とともに撃ち出される銃弾。弾ける硝煙。
 ディスペアの胸に風穴が穿たれた。
 直径三十センチほどの円い穴。血と肉と骨と服の破片を、後ろへと飛び散らせながら。心臓を完全に失い、肺の半分近くを失い、背骨も吹き飛んでいる。
 後ろの方でアスファルトが爆裂していた。
 普通ならば即死の致命傷。
 だが、ディスペアは胸の風穴を意に介さず走ってきた。
「本当に不死身ですか……!」
 銃を持ったまま、リアが硬直する。
 銃弾はその威力を存分に発揮し、ディスペアの胸板を撃ち抜いていた。しかし、ディスペア自身そのダメージを無視して動いている。これでは、攻撃の意味がない。
 無音で滑るような移動から、ディスペアがリアの眼前まで移動していた。
 腕を振る。
「っ……!」
 右から左へ払うだけの動作。ディスペアが横に動かした手で、リアの側頭部を打つ。ただそれだけ。それだけで、リアは意識を失った。恐ろしくきれいに決まった脳震盪。
 ディスペア倒れかけたリアの左腕を掴む。
 脱力した身体を道路に下ろしてから、手を放した。力無く倒れるリアの腕。
「ただの失神だ。しばらくすれば眼を覚ますだろう」
 殺す気は無いようだった。
 ディスペアがクキィに向き直る。
「残るはお前だけだ。どうする?」
 小さな破裂音。
 クキィが放ったデリンジャーの弾が、ディスペアの額と喉を撃ち抜いた。こちらも生物にとっては致命的な傷。なのだが、やはり効いていない。
「これで死ねるようだったら、私はもう少し普通に生きられただろう」
 頭と喉の銃創。吹き飛ばされた胸板。そこが目に見える速度で再生し始めていた。傷周囲の組織から新しい組織を作り出し、傷口を塞いでいく。どこか機械的で、その実この上なく生物的で、気色の悪い光景だった。
「あんた――何者?」
 後退りながら、クキィが取り出した鉈。最後の武器。魔術も頭に浮かぶが、この緊迫した状態で術を構成する技術を、クキィは持っていない。
 その刃をディスペアが掴んだ。親指と人差し指で。
 ビジッ。
 鋼鉄製の刃に放射状のヒビが走る。厚さ一センチ近い鋼の板を、指の力だけで砕きに掛かっていた。術強化を用いている様子はない。その膂力は生物として不自然だった。
「人曰く、超人」
 鉈が砕ける。
 ばらばらになって落ちていく鋼鉄の破片。
 反射的にそれを眼で追ってから、クキィは視線を上げ。
「え?」
 視界が一瞬白く閃く。ディスペアの人差し指が、眉間を打っていた。ノイズの走った意識の中で、それを見る。痛みは感じず、ただ軽く突かれた感触があっただけ。
 だが、クキィの意識はたやすく刈り取られていた。

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デュエルガン
中折れ式の大口径拳銃。元は決闘用の銃として作られたもので、一発で相手を確実に仕留めるような意味合いがある。装填弾数は一発。
リアは折り畳んだものを帽子に隠していた。

埋葬銀弾
対魔獣用の十二ミリ破壊法術式刻印弾。銀の弾頭に複数の攻性法術を組み込んだもので、極めて高い威力を持つ。通常の生物には基本的に使われない。並の術や攻撃が通じない魔物などに使われるもので、小型大砲並の破壊力を持つ。
しかし、生身のまま銃で撃つのは無理なので、何かしらの術補助が必要である。

奏でよ、銀の音色。風は流れ届け響け
周囲に法力の感覚を広げて、起こっている事を察知する。あまり精度は高くないが、効果範囲はおよそ半径一キロメートルと広い。
難易度5


我が右腕。掴め、鬼神の光枠
光の直線で作られた枠で腕を覆う補助術。高い出力で筋力を補助する。また、腕を防御する役割もある。肩から関節を辿るように、作り出される。
デュエルガンを撃つために使用。
難易度4


疾れ、我が時。捉えよ、世界――
意識を限界まで加速し、体感時間と感覚を研ぎ澄ます。意識に強い負荷を強いるが、短時間ほぼ脳の処理限界まで集中力を高める。
難易度6

11/2/3