Index Top 第2話 招かれざる来訪者

第2章 クキィへの支給品


 ログ市はアクシアム地方南部最大の街である。
 その市中央区の一角に、国際科学技術連盟ログ市支部があった。五階建ての白いビル。クキィたちを乗せたキャンピングカーは寄り道もせず、連盟支部へと向かっている。
「というわけで。先生は出掛けてくるから、みんな仲良くするよーに」
 タレットが笑いながら、びしっと右手を挙げた。眼鏡越しにウインク。
 ビル裏手にある連盟支部の裏口。まだ七時前なので、正面入り口は開いていない。キャンピングカーは駐車場に停めてあった。
「おう。じゃ、先に行ってるぜ、おっさん」
 ガルガスが手を挙げる。それから言葉通り、タレットに背を向け歩き出していた。襟足の長い黒髪と黒いコートの裾が、揺れている。
「さっさと片付けてきてね」
 目を擦ってから、クキィはそう声をかけた。タレットは連盟からのエージェントとして本部との連絡を行うと言ってる。気楽に休んでいられる身分ではないらしい。
 残ったクキィの得物である大鉈は、布に包んで背負っていた。
「それでは、報告お願いします。何かあったら連絡して下さい」
 肩から鞄を提げたリアが、最後にそう締めくくる。


「これから、どうするの?」
 自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、クキィは隣を歩くリアに目を向ける。
 安っぽい甘さと苦みが口に広がった。だが、コーヒー程度では疲れは誤魔化せない。徹夜明けで目蓋が重く、身体もひどくだるい。予想以上の疲労だった。徹夜自体はそう辛いわけでもないが、自分の身に起こった事は思考の許容量を越えていた。
 カツカツ、とリアの杖が規則正しく石畳を叩いている。
「中央ホテルで休憩ですね。私たちは昨日から眠っていませんし。クキィさんも酷く消耗しているので、休んだ方がいいでしょう。タレット先生が連盟と情報交換するのにも時間かかりますし。もしかしたら、数日ここに滞在するかもしれません」
 クキィよりも疲れているはずのリアだが、見る限りほとんど疲労は見られない。水色の聖職衣を揺らしながら、足取りも乱さずしっかりと歩いている。華奢な印象を受けるが、意外と体力はあるのかもしれない。
「案外タフなのね」
 缶を傾けながら、クキィはそう呟いた。
 店舗ビルの立ち並ぶ中央地区の三番通り。朝の日が差す歩行者専用道路を、クキィたちは中央ホテルに向かって歩いていく。空は青く、白いちぎれ雲が浮かんでいた。地面は煉瓦敷きになっている。開いている店もあるが、ほとんどが開店前で、人の姿もまだまばらだった。そこを歩く自分たちの姿は、かなり浮いている。
 数歩先を歩いていたガルガスが、肩越しに振り向き、人差し指を空に向けた。
「生き物にとって休息は大事だ。必要な時に休まないと、必要な時に力出せないからな。休む事を軽んじると、後々大変な事にあう」
 真面目な顔で語ってから、右手でお腹を押さえる。
「てなわけで、腹が減った。空腹だ」
「そういえば、昨日からまだ食事していませんね」
 リアも視線を下ろした。今になって空腹を思い出したのだろう。
 尻尾を動かし、クキィは空になった缶を眺める。昨日の夕食から、まだ何も食べていない。飲み物を口に入れた程度だった。砂糖多めの缶コーヒーでは足しにもならない。
「ホテル行ったらまずは食い物だな。飯と睡眠は万事の基本だ。この時間なら朝食バイキングとかやってるだろうから、食い放題で置いてあるもの全部食うか!」
 目を輝かせ、右手を握り締める。
 周囲から飛んでくる好奇の視線は、気にも留めていない。
「やめなさい。本当に全部食べそうだから……」
 無差別に向けられる視線に肩を竦ませつつ、クキィは呆れ声で釘を刺す。
 十人前や二十人前くらいの料理なら、ごく普通に食べてしまいそうな気がした。テレビなどで見る大食い大会参加者さながらに。常識や正論が通じない。ガルガスはそんな怖さを持っている。
 クキィは近くにあったゴミ箱に空き缶を放り込んだ。
 ガルガスからそれとなく距離を取り、他人オーラを纏う。
 リアが鞄に手を入れる。
「クキィさんに渡しておくものがありました」
「何?」
「これです」
 と、差し出してきたのは手の平に乗るほどの四角い板。
「カード?」
 カードを受け取り、それを眺める。白いプラスチック製のICカードで、月の教会と太陽の教会の聖印、国際科学技術連盟の紋章が薄く記されていた。裏面を見ると、黒い磁気ストライプが取り付けられている。全体的に漂う高級感。
 視線で問いかけると、リアが答えた、
「電子通貨引替カードです。緊急時に使って下さい。月の教会と国際科学技術連盟の連帯発行で、最大五千万リング相当まで立て替えられます」
「五千万……」
 猫耳と尻尾を立て、クキィは食い入るようにカードを見つめた。
 五千万リング。目安になるものがはっきりしないが、少なくとも普通の家を家具一式付きで建ててお釣りが来る。日々の何でも屋家業から得られる収入など、比較にもならない金額だった。それがカードではあるが、手元にある。
「生きててよかった……」
 目頭が熱くなり、音もなく涙がこぼれ落ちた。身体が震えている。
 マイペースにリアが続けた。説明書を読み上げるように。
「一日に一万リング相当以上の購入を行う場合は指の静脈認証、五万リング以上の購入を行う場合は加えて網膜認証が必要です。また、不要な購入を行ったと判断された場合、その金額はクキィさんの借金として扱われますので注意してください」
「あ、うん」
 我に返って、クキィは目元の涙を拭う。一度大きく深呼吸をしてから、力を抜く。あまり興奮しすぎてはいけない。そう自分に言い聞かせ、ポケットから財布を取り出した。誤魔化し笑いとともに、リアを見る。
「やっぱり縛るわね……。タダで五千万も出せるカード渡すとは思えないけど。でも、これはありがたく預かっておくわ」
 一度カードをリアに見せてから、財布に収め、財布をポケットにしまう。
「一応訊いておくけど、あたしが持ち逃げするとか考えてないの?」
 純粋に気になった事を問いかけた。
 五千リング相当の価値のあるカード。全て貴金属に換金して、そのまま逃走ということも可能である。クキィにその意志はないが、やろうと思えば可能なのだ。
 緑色の髪を揺らし、リアが微笑んだ。
「教会と連盟を甘く見ないで下さいね?」
「……怖いって」
 思わず尻尾を縮めるクキィ。
 穏和な微笑みと物騒な台詞のズレ。少なくとも持ち逃げした時には相応の対価を払わされることになるだろう。あえて無駄遣いさせ、その借金で縛るという使い方をするかもしれない。
(あくまでも、緊急用ね……)
 身の安全を考え、そう肝に銘じておく。
 石畳の歩道を歩く人の姿はまばらで、出勤途中の会社員や学生らしき若者が主だった。それぞれ自分の仕事などがあるのか、クキィたちには目を向けていない。
 話を逸らすようにクキィは右手を持ち上げた。
「そういえば、あたしのコレ」
 指で拳銃の形を作る。さすがに人気のある場所で、拳銃についておおっぴらには語れない。許可無く銃器を所持するのは、違法である。クキィの拳銃も違法所持品だった。
「あいつに食べられちゃったけど……」
 と、ガルガスの背中を睨み付ける。
「食べたっていうか、食べたのよね。食べものじゃないのに。鉄でしょ。鉄なのに……。何で食べるのよ。食べられるのよ。ああ、この人外は!」
 理不尽さに怒りがこみ上げてきた。忘れていたかったがそうもいかないらしい。金属で構成された拳銃を噛み砕き、咀嚼し、呑み込む。人間や亜人という領域ではなく、生物としておかしかった。悪食という程度ではなく、もはやびっくり芸。
 咳払いをして、クキィは背中に背負った鉈に親指を向けた。
「とにかく、身を守るのにコレだけじゃ、心許ないんだけど。何とかならない?」
 これから何が起こるか想像も付かないが、武器が大鉈一本では力不足である。気休めにはなるかもしれないが、気休めにしかならない。
 リアは空を見上げ、緑色の眉を寄せる。
「武器の貸し出しも検討はしているのですが、クキィさんははっきり言いまして基本的な部分が力不足です。あくまで一般人よりも一段階強い程度ですから」
「あたしも頑張ってはみたんだけど……」
 向けられた視線に、ぽりぽりと頭をかいて目を逸らす。
 裏町の不良娘、何でも屋の猫娘。そんな肩書きで、時折殴り合いの乱闘などもしてきた。一応、格闘技や術の練習もしている。だが、本格的な鍛錬を行っているわけでもなく、クキィは一般人よりも一段強い程度だった。本職の軍人などには届かず、それ以上の上級戦力には無力に等しい。
 視界に影が差す。
 横を見ると、呆れ顔のガルガスが立っていた。
「そもそも殴り合いは俺の仕事であって、お前たちがするべきではない。適材適所というやつだ。困った事があったら、遠慮無く呼んでくれ。助けに行くから」
 と、自分の胸を叩く。
「何してるの? あんたは」
 クキィは尻尾を下ろし、ヒゲを撫でた。ガルガスが左手で抱えている紙袋を眺める。大きな茶色い紙袋で、焼きたてのパンの香りが漂っていた。大量に入ってるらしい。
「買い食い」
 紙袋からクロワッサンを取り出し、口に入れる。
「ホテルまで我慢しようと思ったんだけど、いやー美味そうなパン屋があったから思わず大人買いしてしまった。大丈夫だ。ホテルで出された料理も全部食う」
 食パン一斤をそのまま食べながら、大きく頷く。手品のような勢いで小さくなっていく食パン。普通ならば、それだけで満腹になりそうな量だった。
 本人がそう言っているのだから平気だろう。
 そう結論づけ、クキィはリアに話を戻した。指で拳銃の形を作りながら、
「でも、せめてひとつは欲しいかも」
「そうですね……」
 リアは鞄に手を入れ、手を動かしてから、
「では、これを」
 クキィの手の上に小さな拳銃を乗せた。
 銃器としては頼りない軽さと、簡素な構造。
「……デリンジャー?」
 手の平サイズの二銃身小型銃である。口径は六ミリで、全長はグリップも含めて十数センチ。主に暗器、もしくは護身用などに使われる銃だ。
 一度辺りを見回してから、リアが抑えた口調で説明する。
「携帯性と破壊力から、これが妥当かと。銀製の弾頭には二型攻性法式が組み込んでありますので、威力は見掛け以上です。使用の際は気をつけて下さい」
「分かったわ」
 頷いて、デリンジャーをポケットにしまう。外側は普通だが、弾丸が特殊らしい。二型攻性法式と言われても分からないが、実際に撃てば分かるだろう。撃つ機会が無いに越したことはないが。
 クキィは尻尾を曲げ、リアを見る。
「って、普通に鞄から出してたけど、もっと大きいのも持ってる?」
「秘密ですよ」
 帽子を少し動かし、リアが微笑んだ。

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電子通貨引替カード
クキィに渡された、白いプラスチックのカード。月の教会と太陽の教会の聖印、国際科学技術連盟の紋章が薄く記されている。太陽の教会の印が記されてはいるが、太陽の教会は参加していない。
最大五千万リング相当まで引き替え可能。一万リング以上の使用には指の静脈認証、五万リング以上の購入を行う場合は加えて網膜認証が必要。
不要な購入を行った場合は、その金額はクキィの借金として扱われる。

デリンジャー
クキィに渡された二銃身小型拳銃。口径は六ミリ。暗殺や護身用に使われるもの。
銃弾は攻性法式の組み込まれた銀製。小さな見た目とは対照的に、高い威力を持つ。

11/1/20