Index Top 第1話 旅は始まった 

第5章 天才科学者カッター=タレット


 窓の外を夜の景色が流れていく。
 助手席に座ったクキィは、大鉈を鞘ごと抱えてため息をついた。両足と腕はリアの法術によって治されている。違和感すら残らない完璧な治療である。リアの扱う医療法術は、クキィが想像したものを数段上回っていた。元々高い力を集中させた結果らしい。
「タレット教授……ね」
 運転席に座った人間の男。
 四十歳ほどで、痩せ気味の身体である。適当に切った灰色の髪と無意味に気取った表情で、四角い眼鏡を掛けていた。細い身体を包むのはくたびれた灰色の背広と、なぜかぴしっと糊まで利いた白衣である。学者っぽい恰好ではあった。
「本職はウィール大学の旧史学教授だよ。通称、ウィール大学の天才先生」
 ハンドルを握ったまま、タレットが本気とも冗談とも付かない事を口にする。
 ウィール大学は世界的にも有名な名門学校だ。世界の頭脳の頂点が集まる場所とも比喩されるほどに。天才と自称するのも嘘では無いらしい。
 その背景の技術力によるものか、運転席には小型モニタやボタン、レバーがこぎれいに並んでいた。さながらコックピットのような雰囲気である。
 クキィは尻尾の先を動かしながら、首を傾げた。
「旧史学って確か……」
「大崩壊以前の文明を研究する学問。その中でも、オレは大体大崩壊時に起こった事を専門に研究してる。だから、こうして引っ張り出されたわけだ」
 と、眼鏡越しにウインクする。
 納得してから、クキィは目を細めて白衣の男を眺める。
「エージェントって言ったけど……そうは見えないわよ?」
「言っておくが、破壊工作とか潜入工作とかそういう映画っぽいことは期待するなよ。あくまでも、オレは学者だからな。エージェントって肩書きも、重要研究対象に派遣される優秀な調査員って意味だから」
「じゃ、何ができるの?」
 クキィの胡乱げな質問に、タレットは灰色の髪の毛を掻き上げ、視線を持ち上げた。フロントガラスの上辺りへと。外灯の灯りが、ガラスを照らしている。
「大抵のことはそつなくこなせる自信あるけど、詳細は秘密。というか、何て言っていいかわかんね。あ、そうだ。五感強化の妖術が使える」
 思い出したように付け加えた。
 妖術。自身との契約によって、術を一能力にまで集中特化させたものである。法術以上の効果を得られるが、他ががら空きになるなど欠点も目立つ。術力の足りない者が、自分の力を一点集中させる強化法としても使われるらしい。
「あくまで実験器具の代用だから、変に期待されても困るけどな」
 苦笑いをしながら、タレットは眼鏡を動かした。
 ヒゲを指で撫で、クキィは視線を移した。
 運転席近くに置かれた五台のモニタ。そのひとつには、小さなダイニングキッチンのような場所にいるガルガスとリアの姿が写っていた。ガルガスは椅子に座って寝ていて、リアは小さな机に向かってノートパソコンを動かしている。
「教会の方に連絡するらしい。お前を保護した報告だとさ」
 視線に気付いてタレットが説明する。
「保護……」
「隔離と言う方が正しいがな」
 呟くクキィに、タレットは笑ってみせた。皮肉の混じった、不敵な笑み。右手で灰色の髪の毛を掻き上げる。律儀に建前を使う気はないようだった。
「正直ね、おじさん」
 空笑いを見せるクキィ。
 タレットは気取った仕草で眼鏡を動かす。
「リアに訊けないことはオレに訊け。泥臭いことはオレの担当だ」
「じゃ、さっそく質問ね」
 クキィは茶色の前髪を撫でながら、タレットを眺めた。気取った仕草と隙の多さ。相手を警戒心を緩めるための演技か、素の性格なのかは分からない。なんとなく前者の振りをした後者のような気もする。
 お言葉に甘えるということで、クキィはとりあえず訊いてみた。
「そもそも何でこんな少人数で、しかもキャンピングカーで移動なの? なんか違うんじゃない? 一応世界の運命を左右するとかいう事でしょ?」
 事が大きいと言われている割には、動きが小さい。クキィを守るといいながら、その人数は三人。大掛りな護衛を期待したわけではないが、守ると言う割にはあまりにも頼りない規模である。
「少人数ってのは、端的に言って人手不足」
「正直ね、ホント……」
 目蓋を下ろし、クキィは呻いた。なんとなくそんな予感はしていたが、実際に告げられると虚しいものがある。しかし、それを考えても奇妙な構成だった。
 タレットが少し背中を丸める。
「オレたちの背後にある"鍵の盟約"てのも、千年近く前の条文だから、今まで生き残ってる団体自体ほとんど無いんだよ。科技連盟だって盟約には途中参加だし、盟約に署名してる太陽の教会は様子見決め込んでるし……」
「大体分かったわ」
 愚痴になる前に、遮っておく。
 明後日の方向に口を尖らせてから、タレットはハンドルを指で叩いた。
「移動がこれなのは、四人で長距離移動するには、どうしても宿泊生活設備は必要になってくるからだ。それに、こいつは見た目こそ普通だけど、色々とハイテクとローテク積んでるからな。一台十億リングもするんだぞ、戦車一台買えるわ」
「十億……、それだけあれば一生安泰ね」
 桁違いの金額に、クキィは頭を押さえた。
 運転席にはモニタやメーター、ボタンやレバーなどが並んでいる。どこかコックピットを思わせる。モニタは五個。ひとつは後ろの様子、もうひとつは車の四方の映像が映っていた。残りは何も写っていない。
 この車が、外見以上の性能を持っていることは事実らしい。
 車はナブラ川道路と呼ばれる幹線道路を、静かに北に走っていた。
 納得したクキィに、タレットは続ける。何故か楽しそうに。
「んで、現在各国が考えている、お前が本物である可能性は五パーセント未満」
「低いわよ、それ――」
 思わずツッコむ。
 だが、実際はそんなものだろう。リアが言っていた。初めて観測された鍵人で、誤作動説も多くあり、鍵人に関する条約なども事実上死文化している、と。その状態で、それらしき者が現れたと言っても、素直に信じる理由はない。
「とはいえ……だ。無視もできないから、鍵人条約を利用して、お前を捕まえようとしている。積極的――というほど積極的でもないけどな。ようするに、まずお前を捕まえてから後のことを考えるって立ち位置だな。捕まったら後が大変だぞ」
 と、にやりとした笑みを浮かべる。
 クキィは腕組みをして、目蓋を下げた。
「そこら辺は想像付くわ」
 可能性は低いが世界の命運を左右する存在かもしれない。その正否を調べるためには、手段を選ばないだろう。クキィの意志が完全に無視されるのは容易に想像がついた。かなりぞっとしない事になるのは間違いない。
 赤信号でブレーキを踏み、タレットが車を一時停止させる。
「早く手を打ててよかったよ、正直なところ……。お前は一応、月の教会と国際科学技術連盟の保護下に置かれることになる。ま、書類上って意味だが。これで、さっきみたいな強行的な逮捕は無くなるだろう。表向きは……だけど、あくまで」
 最後の方は声が小さい。
 クキィは何も言わずに頭を押さえた。表立った派手な動きが無くなるだけで、クキィを狙う者は変わらず現れるということだろう。そこまでは手が回せないようである。
「お前が――いや……」
 言いかけてから、タレットが言い直す。
「オレたちが注意するのは、お前の命を狙うヤツだな。人の手に余る危険過ぎるものは、存在しない方がいいと考える連中。少ないけど、かなりいる」
「マイナス要素が増えるわね……」
 クキィは顔をしかめた。
 鍵人が事実ならば、人智を超えた力が解放されるらしい。それを危険と考え、鍵人を封じる。リアの話では生きた本人でないといけないらしい。殺してしまえば、鍵人の機能は失われるはずだ。鍵人自体が真偽不明だが、だからといって放置もしないだろう。
 何かと面倒くさい身分になってしまったことを、陰鬱に認める。
 信号が青に変わり、タレットがアクセルを踏んだ。車が走り出す。
「それと、その他の特別な連中だ」
 正面に顔を向け、そう言った。今までとは言葉の雰囲気が違う。
 尻尾を曲げつつ、クキィは眉を寄せた。
「その他の特別?」
「世界にはオレたちが知らないもんが、沢山あるってこと」
 左手を持ち上げ、そう苦笑する。

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妖術
自身との契約によって、術を一能力にまで集中特化させた術系統。法術以上の効果の上昇を得られるが、集中させた能力以外はほぼがら空きになる。また、自分の意志との契約のため、意志力が弱いと契約を作ることもできない。また、意志力低下から契約が壊れて、妖術を失うこともある。その場合は、契約の再構築で力を取り戻せる。
効果は大きいが、安定性に欠ける術系統。
術力の足りない者が、自分の力を一点集中させる強化法としても使われることもある。
タレットは実験器具の代用として、五感強化の妖術を習得している。

ウィール大学
世界的に有名な名門大学。世界の頭脳の頂点が集まる場所とも比喩される。世界の天才、秀才が集まる学校で、教授や学生のレベルは非常に高い。

旧史学
大崩壊以前の文明を研究する学問。その中でも、タレットは大崩壊時に起こった事を専門に研究している。

キャンピングカー
見た目は白いキャブコンタイプのキャンピングカー。四人で長距離を移動するための、生活宿泊設備。見た目こそ普通のキャンピングカーだが、要所要所に最新技術から枯れた技術まで、多彩な機能が詰め込まれている。
一台の値段は10億リング。

鍵人条約
国家間での鍵人に対する条約。施行されたのは千年近く前。事実上死文化していたが、クキィの鍵人疑惑によって復活。鍵人の保護という建前のもと、クキィを捕まえ調べるために利用される。現在、ほぼ世界全ての国が条約に従っている。

鍵の盟約
非国家組織による、鍵人に対する盟約。施行されたのは千年近く前。月の教会が主軸となり、鍵人を保護し、導くという内容。事実上死文化していたが、クキィの鍵人疑惑によって復活。内容通りに実行はされているが、盟約に署名している組織で現存しているものが非常に少ないため、有効には働いていない。
事実上、月の教会と世界科学技術連盟だけが動いている。

10/11/20