Index Top 第1話 旅は始まった 

第4章 月の教士リア・リーフ


 どん、と重い衝撃がクキィの身体を縦に揺さぶった。
「着いた」
 あっさりとガルガスが手を放す。
 抱えられていた腕から開放され、クキィは地面に両足を着いた。数歩蹌踉めいてから、尻尾を動かして体勢を整える。目が回っているが、気合いで無視した。
「死ぬかと思った……」
 クキィを抱えたまま、道を駆け抜け、壁を駆け上り、ビルを飛び移りる。道路というものを無視した疾走から、ガルガスがたどり着いたのは街外れのナブラ川だった。
 緑地公園として開発されている河川敷。街の明かりが届いているため、夜でも暗くはない。堅い地面には芝が植えられ、道路も整備されている。頭上には、十メートルほど上に鉄道橋が見えた。つい数秒前まで走っていた鉄道橋である。
「大丈夫だ。あれくらいじゃ死なない」
 気楽に手を動かしながら、ガルガスが笑っていた。
 色々と不条理なものを感じながら、クキィは肩を落とす。何を言っても無駄だということは既に理解していた。
 聞こえてきた足音に身体の向きを変える。
「こんばんは」
「おう、リア。約束通り連れてきたぞ」
 ガルガスが右手を持ち上げた。
「あなたが、リア?」
 第一印象は、背の高い亜人種の女だった。身長は百七十センチ近いだろう。妖霊族特有の細長い耳が印象的である。年齢はガルガスよりも少し上くらいか。
「はじめまして、クキィさん」
 丁寧に挨拶をしてくる。
 首の後ろで縛った長い緑色の髪と、落ち着いた感情を移す緑色の瞳。肩に布飾りの付いた長袖の上着と足首まであるスカート。頭には背の低い円筒形の帽子を載せていた。色は水色で統一され、月を模した銀の刺繍が施されている。ゆったりした聖職衣であるが、動きやすそうな造りをしていた。
 左手には月と星の紋章を頭に飾った、長い木の教杖を持っている。
「改めて自己紹介を。私は月の教会の教士リア・リーフです」
「どうも」
 クキィは手短に答えた。
 リアを見る限り、絵に描いたような優等生である。普段目にしているような社会のはみ出し者たちとは、全てが違って見えた。存在自体がひどく場違いに思える。
「とりあえず――」
 スカートを揺らしながら、リアが近づいてきた。落ち着いた丁寧な足取り。近づいてみると、その背の高さがはっきりと分かる。
「クキィさんの治療を行いたいのですが、よろしいでしょうか? ガルガスさんの話では腕と脚を射たれたようなので。あ、私は一級医療法術師の資格を持っていますので、安心してください」
 と、優しく微笑む。
 法術とは神や精霊との契約によって、その効果を一分野に集中させた術系統だ。集中させることによって効果は飛躍的に上昇するが、代償としてそれ以外の術は使えなくなってしまう。リアは自分の力を治療系統に集中させているのだろう。
「あいつもそんな事言ってたわね。無料で治療してくれるのは非常にありがたいけど。タダより高いものはないとも言うし――」
 ボウガンの矢が刺さっていた腕と脚を見てから、クキィはガルガスを眺めた。
 今は魔力で傷口を塞ぎ、痛みを誤魔化しているだけだ。病院での治療が必要であるし、治るまでは色々と制約が付く。激しく動いたり、強い魔術を使ったりできない。また、純粋に治療代もバカにならない。
 医療法術ならば、それもすぐに治せるのだろう。それは魅力ではある。
 尻尾を動かしながら、クキィはジト眼でリアを見上げた。
「まだ、あなたたちの事を信用していないのよ。なんなの、鍵って? 鍵の盟約とか鍵人条約とか……。生体キーってDNAパターンとかそういうの?」
 一度額の上辺りに目をやってから、リアが口を開く。
「結論だけ言えば、"生きているクキィさん"そのものが鍵の役割を果たします。DNAパターンや細胞などでもなく、身体の一部分でもなく、思考パターンでもなく、クキィさん自身です。仕組みとしては精神感応式の施錠術のようなものでしょうか」
「へぇ」
 頷きながら、クキィはリアの言った言葉を頭の中で繰り返す。難解なことを言っているわけではないが、すぐに納得できることでもない。
「次の質問。それが事実として、あたしを使って何が手に入るの?」
 自分を指差すクキィ。
 リアは顔付きをやや鋭くしてから、
「運命の鍵、世界改変システム。教会に伝わる名称は"世界の鍵"です。世界を書き換える力を持つと言われていますが、どのようなものかは分かっていません。伝説によると、それは千二百年前の大崩壊を起こしたと言われます」
「また大きく出たわね……」
 告げられた言葉に、腕組みをして眉根を寄せる。
 大崩壊。大昔に起った世界規模の大災害のことだ。それで世界の文明は一度原始生活レベルまで後退したと言われる。ただ、ほとんど資料が残っていないので、大崩壊で具体的に何が起ったかは分かっていない。
 止めていた息を吐き出し、クキィは自分の胸に右手を当てた。
「でも何で……よりによって、このあたしなの? ただの裏町の不良娘なのに」
 物心付かぬ頃に捨てられ、モグリの医者に拾われ、些細な事からケンカして家出。そのまま何とか一人で生計を立てている。それがクキィの生涯だった。決して幸せとは言えないが、文句を言っても仕方ない。
「鍵人は亜人種の中に極めて低確率で生まれます。鍵人を作るために、亜人という種族が作られたと言う人もいます」
 何かを朗読するような、リアの言葉。あらかじめ答える事を書いておき、それを答えているのかもしれない。いや、十中八九そうだろう。
「あたしの理解できる範囲を超えてるわ……」
 右手で額を押さえ、首を左右に動かす。
 リアの言葉が理解できないわけではない。だが、あまりに突拍子がなさ過ぎて、現実味がない。本当である証拠も、嘘である確信も無いのだ。
 リアが吐息する。
「実のところ、クキィさんが本当に鍵人なのかは誰にも分かりません。何しろ鍵人が現れたのは歴史上初めてです。探求盤が動いたのも初めてで、未だ誤作動説は多くありますし、鍵の盟約も鍵人条約も事実上の死文でしたから」
「本当か嘘か分からないのに、派手にやるわね」
 肩を落とし、クキィは夜空を見上げた。
 さきほどの特殊部隊らしき集団を思い出す。なにかとややこしい軍人職。本当か嘘か分からないからといって、適当に行動することはできない。本当だった時の事を考えれば、見逃すこともできないだろう。
「あなたはどう思ってるの? あたしが本物の鍵だと思う?」
「はい。だから、こうしてクキィさんの前に来ました」
 リアは自分の右手を胸に当て、真面目な顔で答えた。月の教会の信徒が、誓いを示す動作である。自分の本心を言っているようだった。
 クキィはヒゲを指で撫でつつ、尻尾を曲げる。
「ま。ようするに――だ」
 腕組みしたまま、ガルガスが割り込んできた。
「さっきも言った通り、選択肢はふたつだ。自力で逃げて捕まるか、俺たちと一緒に来るか。国家公務員は優秀だから、一人で逃げるのは無理だぞ。さ、決めろ」
「選択肢は無さそうねぇ」
 偉そうな言葉に、額を押さえる。言い換えれば、クキィは既にガルガスたちに捕まっているのだ。ここから逃げるのは難しいだろう。
 ぴくりと耳を動かす。エンジン音が聞こえた。
 音の方向に目を向けると、白いキャンピングカーが一台近づいてくる。トラックを改造したような形状で、後ろにドアが付いていた。キャブコンというタイプだろう。
「もう来たか。やっぱりおっさんは動きが速い」
「知合い?」
 クキィの問いかけに、リアが答えた。
「私たちの仲間のカッター=タレット先生です。国際科学技術連盟の方です」
「国際科学……技術連盟………」
 小難しい名称に眉根を寄せる。
 知らない組織ではない。偉い学者とエンジニアの国際的な集まりだ。月の教会同様、強い影響力を持ちながらも、おおむね政治的に中立な組織である。
 キャンピングカーが近くで止まった。
「お待たせ――」
 運転席のドアが開き、背の高い人間の男が一人降りてくる。
 白衣を着たインテリっぽいメガネのおじさんだった。

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妖霊系亜人
妖精のような容姿を含んだ亜人種。基本的な見た目は人間と変わらないが、髪の色や目の色は青や緑、赤などメラニン色素外であることが多い。また、尖った耳を持つ。
身体能力はやや低いが、強い術力を持つ。

法術
神や精霊との契約によって、その効果を一分野に集中させた術系統。力を集中させることによって効果は飛躍的に上昇するが、反面契約した以外の術は使えなくなってしまう。使えても、効果は非常に弱くなる。力ある魔術師が、得意分野をさらに高めるために使われることが多い。また、宗教的な意味合いを持つこともある。
契約相手によって、集中させる分野に向き不向きがあり、一度決定した制約集中は、変更するのに非常に手間がかかる。
効果は大きいが、扱いにくい術系統。

大崩壊
およそ千二百年前に起った世界規模の大災害。それによって世界の文明は崩壊し、人類は一度原始生活レベルまで後退したと言われる。ほとんど資料が残っていないので、大崩壊で具体的に何が起ったかは分かっていない。
亜人が生まれたのは、この頃と言われている。


鍵人
世界のどこかにある扉を開ける鍵となる人物。最近になって、クキィが鍵人として観測された。いわゆる生体キーの一種であり、"生きているクキィ"そのものが鍵の役割を果たす。精神感応式の施錠術のようなものとリアは推測している。
クキィが本物の鍵人である確証は今のところ無い。

世界の鍵
運命の鍵、世界改変システムなどの名称を持つ。月の教会に伝わる古書によると、世界を書き換える力を持つ何か。しかし、具体的にどのようなものかは分かっていない。

国際科学技術連盟
世界中の著名な学者やエンジニアなどによって作られた組織。主な仕事は、科学技術の情報の保護と共有。有望な研究への投資育成など。貴重な研究対象が発見された時に、それを保護するなどの活動も行う。
強い影響力を持ちながらも、政治的におおむね中立な組織。

10/11/11