Index Top 第7話 妖狐の都へ

第1章 二十年ぶりの――


 銀歌は座椅子に座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 立ち並ぶ屋敷。古いものから新しいものまで、灰色の瓦屋根が並んでいる。大半が二階建てだが、所々に三階建ての建物も見える。古都という言葉が似合いそうな風景だった。空気を薄く染める白い霞は、以前に見た時から変わっていない。もう数百年以上も変わっていないだろう。
「妖狐の都、か――」
 我知らずそんな単語が口に出る。
 銀歌がいるのは妖狐の都。その外れの丘にある紅葉屋という宿の一室だった。道を歩いているのは、妖狐族が主である。ただ、妖狐族だけではなく、別の種族も時々歩いていた。都と言ってもさほど大きくはない。人間世界に喩えるなら県庁所在地だろう。
「あたしがここを飛び出してから、二十年。長かったような短かったような。一度はここを潰そうとしたこともあったし、色々と因縁のある場所だな」
 狐色の髪の毛を撫でつけ、ため息をつく。
 人間にして十四歳ほどの狐の少女。ちんちくりんの身体で、自慢の銀髪も狐色の毛に変わっている。服装は白衣と緋色の行灯袴という巫女装束で、首には赤い首輪が嵌められている。この姿が怖いほど似合っているのは、もはや諦めの境地だった。
 まさか、こんな姿になるとは、二十年前の自分は予想すらしなかっただろう。
 再びため息をついて、窓の外を眺めた。
「二度と来ないつもりだったんだけど……」
 白鋼にいきなり妖狐の都に行くと告げられ、ほとんど準備する暇すらなく連れてこられた。三年に一度の妖狐族の会議に呼ばれたらしい。そんな会議があったような記憶がある。白鋼自体は妖狐ではないのだが、銀歌の一件で半ば強引に呼び出されたようだった。参加するのは今回だけらしい。
「何で、あたしはここを潰そうとしたんだろうな?」
 尻尾を動かし、そんなことを考える。
 都を出奔し、しばらく当てもなく放浪した後、晴彦の元で半年ほど過ごした。それから、再び放浪生活に戻り、日本中を回りはぐれ妖狐たちを集ながら、盗賊のようなことをしていた。そして、妖狐の都に攻め入った。
 しかし、白鋼率いる討伐隊に阻まれ、敗北した。今から考えてみると、無謀な戦いだったと思う。いや、当時も分かっていた。それでも自分たちは戦った。
 何のために? そう考えるが、答えは出てこない。
「思い出せない、か……」
 銀歌は首を左右に振った。
 かつてともに戦った仲間は捕まり、裁判を受けているらしい。銀歌の永久封印を理由に減刑はされているものの、しばらくは刑務所暮らしになるだろう。仲間として過ごした者をそのような所に放り込んでしまったことに対しては、後悔していた。
 だが、気になることがある。
「白鋼は何を企んでるんだ?」
 銀歌たちと討伐隊との衝突、双方負傷者は出たものの死者は一人も出ていない。討伐隊はともかく、銀歌たちに死者が出ていないのは明らかに不自然だ。その場で殺されても文句は言えない立場であるのに、誰も死んでいない。つまり、生かす理由があった。
 あの戦線で指揮を執っていたのは白鋼である。本来なら妖狐警衛隊の仕事であり、白鋼が行うことではない。何か企んでいるのだろう。
「あいつの考えることは分からん」
 銀歌は再びかぶりを振った。
 結局自分の行ったことは、自分の手から離れてしまっている。しかも、『銀歌』はもういないのだ。今更自分の力ではどうすることもできない。
 後ろから声がかけられる。
「何してるの?」
「ん――」
 振り返ると、葉月が立っていた。
 紺色のワンピースに白いエプロン。頭に白いカチューシャを付けて、胸元に赤いリボンを飾っている。肩辺りで切りそろえた黒髪と黒い瞳。
 とりあえずそういう姿に擬態している、液体金属の戦闘生物。
 銀歌は振り返りながら右手を振った。
「物思いに耽ってるだけだよ」
「珍しいね」
 瞬きをしながら、さらっと言ってのける葉月。
「さりげなく酷いこと言ってるな、お前は。まあいいや。こんな所にいても、やることがなくて退屈極まりないし、眠る気にもなれないしな……」
 十畳の和室で、中央に座卓が置かれている。上には茶菓子が乗っていた。隣には八畳の和室があり、風呂やトイレまで完備されている。紅葉屋、松の間。相当な位を持つ者しか入れない部屋らしく、普通に泊まるだけでも料金は六桁に行くと言われている。
 部屋に漂うのは、微かに甘い香り。床の間に置かれた香木。
「白鋼のヤツはどこに行った?」
 部屋を見回してみる。それで見つかるわけもない。
 銀歌と葉月とともに、白鋼はこの部屋に入った。お茶を飲みながら茶菓子を囓っているのは見ていたのだが、いつの間にか消えている。
「うーん」
 座卓の傍らに腰を下ろし、葉月は両腕を組んで首を傾げた。
「さっきまではいたんだけど、散歩してるんじゃないかな? 議会開始までには時間あるし……。わたしも御館様が何してるかはよく知らないんだけど」
「だろうな。何か下準備してるんだろ」
 銀歌は投遣りに言い放った。
 白鋼は人外界で最も影響力の大きな地位にある。大きな、というのは語弊があるだろう。正確には、一番面倒臭い仕事をする立場か。どちらにしろ、人に言えない部分は多く、他人の知らぬところで動いていることが多い。
 それについては、銀歌たちが口を挟む余地はなかった。
 ふと思いついて、葉月を見つめる。
「お前のその格好……。いいのか、それで? 一応ここは妖狐の都だし、メイド服ってのはちょっと問題あると思うぞ」
「これがわたしのフォーマルスーツ」
 両手を腰に当て、胸を張り、自信満々で言い切った。
 銀歌は額に手を当て、狐耳と尻尾を垂れさせる。言葉が出てこない。
「でも、御館様、何でわたしを連れてきたんだろ?」
「ん?」
 眉毛を動かし、銀歌は改めて葉月を見やった。尻尾が曲がる。
 不思議そうに天井を見上げている葉月に、続けて尋ねた。
「そういや、お前って大抵留守番してるよな」
 白鋼が出かける時は一人であることが多い。
 敬史郎と一緒に出かけることはあるものの、葉月を連れて出かけるのは見たことがない。葉月は白鋼の身の回りの世話をするメイドでしかないのだ。高い戦闘力を持っているが、白鋼は葉月を自分の仕事に巻き込む気はないようである。
「うん。わたしじゃ御館様のお仕事手伝えないから。頭もよくないし」
 少し残念そうに笑いながら、葉月が答える。
「じゃ、何で今日は連れてこられてるんだ? あたしが連れてこられるのは分かるけど、葉月が連れてこられた理由って何だ?」
「もしかして、誰かと戦うとか?」
 銀歌は窓の外を見やった。
 さきほどと変わらぬ妖狐の都。訓練の積まれた警衛隊もいる。滅多に争いごとは起こらない。外から来る者が護衛用の私兵を連れていることはあるが、葉月はそういう護衛ではないだろう。白鋼は護衛を付けない主義である。
 白鋼にとって葉月の戦闘力は守るための盾ではなく、攻めるための武器だ。
「……嫌な予感がする」
 銀歌は狐耳を撫でつつ、呻いた。
 古来より嫌な予感は的中するものと相場が決まっている。
 リン……。
 と澄んだ鈴の音が響いた。
 部屋の入り口にある呼鈴の音だろう。
「見てくる」
 葉月が立ち上がり、部屋の入り口へと向かう。葉月の体重は三百キロほど。畳には大きな負担になるようだが、術の防御が施してあるようなので、平気のようだった。
 銀歌の座っている場所からは見えないところで、扉が開く音が聞こえる。
「こっちも、嫌な予感がする」
 銀歌は頬を引きつらせながら呻いた。

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