Index Top 第6話 銀歌、街に行く

第11章 白鋼のお仕事 後編


 安全地帯まで待避し、克己は空を見上げた。
 雷雲に穿たれた穴の中心、地面から五百メートルもの高さに浮かぶ草眞。
 両手で印を結んでいる。それほど複雑な術ではないものの、術式に込める法力の量と密度は並のものではなかった。許容量限界まで引き出した法力を何度も術式へと組み込んでいく。多重装築。極めて大規模な術を作る時に使う高度な技法だった。
 ただ、それもほんの瞬き一つ分の時間。
「巨人の術!」
 術が発動し、草眞の身体が爆ぜるように巨大化する。百七十センチほどだった身体から、五十メートル以上もの巨大な体躯へと。
 身体を巨大化させる巨人の術。ただ、三十倍以上に身体を巨大化させられる者はそう居ないし、それを実戦で実行する物好きは草眞くらいだろう。
 全身を捻るように、草眞が右拳を振りかぶった。その腕がさらに巨大化する。
「極大豪打。話には聞いてたけど、初めて見る……」
 息を呑む克己。草眞の持つ、必殺の最大攻撃。
 金属の軋むような異音。
 ドグォン!
 爆発音とともに、拳が撃ち出された。
 巨人の術で身体を巨大化させ、錬身の術の爆発力から迫撃術を乗せ、思い切り殴りつける。戦法も何もない、無茶苦茶な攻撃方法。だが、その破壊力も無茶苦茶だった。喩えるなら、小型隕石の衝突。
 十メートルほどもある巨大な拳が、精霊を閉じ込めた旋刃の檻を捕らえる。五百メートル以上もの距離を半秒で撃ち抜き、地面へと叩き付けた。
 ―――!
 鼓膜が破れるかと思うほどの大音声が響く。衝撃波が辺りの木々を薙ぎ倒し、衝撃に大地が激しく震えた。地面に走る亀裂。剣気の硬化を施していなかったら、直径数百メートルはあるクレーターが出来ていただろう。
「ここからが本番だ……」
 巨人化の術が解除され、草眞の身体が縮み、代わりに大量の法力が空間に放たれる。地面を硬化させた剣気も、霊力と気に分解し、解放した。
 空間に満ちる三種類の力。
 克己は用意しておいた術符を放った。自分と草眞の血で書かれた特殊な術式。
「三種逆式合成・封結界!」
 大量の霊力、気、法力が収束し、高密度の堅力を生み出す。堅力は術符を貫き、術式を刻み込まれ、周囲の空間全てを埋め尽くし、一転して収束し、小さな結界を作り出した。
 一辺二メートルほどの正八面体の堅力の結界。
 中では定型に戻った精霊が結界を壊そうと暴れている。しかし、破ることは出来ない。ダイヤモンドの硬度とゴムの柔軟性を併せ持つのが堅力である。さらに三種合成から結界として作り上げたものの強度は推して知るべし。
「準備完了」
 結界を固定したまま、克己はその場からさらに遠くへと離れる。
 空中を走る巨大な獣。体高十メートルを越えるイタチのような雷獣だった。全身に青白い雷光をまとい、稲妻のような尻尾を振りながら空中を走っている。帯電した空気が激しく音を立てていた。獣の姿をした雷の塊。
 日本の歴史の中では、八岐大蛇や九尾の妖狐の次点の大破壊力を持つ雷の魔獣。
「来る。雷の閃塔」
 雷獣が咆えた。重厚な汽笛のような咆哮。
 全身から放たれた稲妻が空に伸びる。空を覆う雷雲が激しく放電を始めた。黒い雲の中に渦巻く電力。それが一撃の落雷として全て放出される。六百年前の戦いで、日暈の退魔師二人と空渡の退魔師一人を跡形もなく消し飛ばした雷撃。
 光の柱が、結界ごと精霊を撃ち抜いた。
 空間を引き裂く超高電圧。数十万度まで加熱された空気が、爆音を響かせる。
 落雷は一瞬。まさに一撃必殺。堅力の結界ごと精霊を消し飛ばす。
 光が消え、木霊のような唸りが大気に残った。
「終わったか……?」
 近くに移動していた草眞が、静かに呟いている。残心は忘れていない。
 ただ、無事とはいない。極大豪打の使用で、法力総量の半分近くを消費している。残りの法力は一割未満、負荷も尋常ではないはずだ。戦いを続けるのは無理だろう。
 それでも、気合いで平気な素振りを見せる余裕は残っていた。
「分かりませんね……」
 克己は静かに答える。
 地面に降りた雷獣が無言のまま攻撃跡を見つめていた。放電は落ち着いている。だが、即座に次の雷撃を放てる姿勢でもあった。
 直径三百メートルはある巨大な穴。表面の土は高熱に溶けて硝子状に固まっている。周囲も元の地形を留めていない。防御も回避も不可能な圧倒的エネルギー量で跡形もなく消し去る。ここまでやらないと倒せない相手だった。
「もし、雷の閃塔ですら倒せないとなると、厄介ですね。効くかどうかは分かりませんが、私も少し無茶をする必要があります。それでは、出来れば一人でやりたい……。周りに人がいて使えるものではないので」
 克己は右手を持ち上げる。まだ、日暈一族奥義という切り札は残っていた。あの魔物相手に通じるかどうかは不明だが、必要とあれば使う覚悟はできている。
 警戒すること、数分。
「大丈夫です。倒しました」
 克己は視線を少し動かした。
 近くに現れる、背の高い銀狐の女。白い着物と紺袴という格好で、右手に大剣を持ち、左手に大型のライフルを持っている。以前と変わらぬ、無茶な標準武装。
「ようやく来たか、ジジィ」
 草眞が呆れたように呻く。
 しばらく見ないうちに、若い男から若い女になっていた白鋼。五月に起こった銀歌事件で死にかけ、相手の身体を奪い取って生き延びたらしい。公式にはそうなっている。
 尻尾を動かしながら、白鋼が笑う。女のようで、どこか男っぽい仕草。
「もう敵の気配は感じられません。今ので倒したでしょう」
「それより、あなたの身体は大丈夫なんですか?」
 爆発跡から注意を放さぬまま、克己は尋ねた。
 白鋼は銀歌事件の後に一ヶ月入院していたと聞いている。仮退院後に沼護義邦の治療を受け、かなり回復したはずだ。それでも一年の安静を言い渡されているはず。仕事柄そうもいかないことは理解しているが、危険な前線に出てくることはないだろう。
 だが、答えたのは草眞だった。右手で狐色の髪を払い、
「安心しろ、若造。こやつの頑丈さはワシが保証する。殺しても絶対に死なぬ。この程度で音を上げるような繊細な神経は持っておらぬ。心配するだけ無駄じゃ、無駄」
「草眞くん……。君は人のことを何だと思っているのですか?」
 左手に持ったライフルのストックで眼鏡を動かし、白鋼が呆れたように草眞を見やった。白鋼に対する草眞の態度は悪い。過去に何かあったと言われている。
 草眞は六本の尻尾を動かし、断言した。
「世界一のバカ、じゃな」
「ははっ、酷い言われようですねぇ」
 右手の剣の柄頭でこめかみの辺りを掻いている。のんびりと笑う余裕の態度。そう言われることは予想していたようだし、反論も否定もしない。
 克己がちらりと雷獣を見やると、音もなく眼を逸らした。
 草眞は腕組みをして狐色の眉毛を下げる。
「この一件も、本来ならお主一人で片付けるべきではなかったのか? ワシや克己だけでなく、神代まで巻き込んで一体何を考えておる?」
「あの相手を一人で倒すのはさすがに無茶すぎますよ。病上がりなんですよ、僕」
 曖昧な微笑を浮かべながら、白鋼が言い訳をしていた。
 今回の相手は白鋼だけで倒す予定だったが、急遽克己と草眞、神代が呼ばれた。この一件の話は白鋼が銀歌事件に借り出される前から決まっていたので、普通に考えれば病上がりで力が出せないことの手伝いだろう。
 しかし、普通の考えが通用しないのも白鋼という男だった。
「お主の力があれば、負傷の状態など関係ない。例えお主が半死半生でもヤツは消し去れた。手伝いの名目でワシらを呼んだのには何か他に理由がある。もっとも、素直に答えるとは思っておらぬがの……」
 白鋼を睨み付ける草眞。狐色の眉がさらに傾き、眉間にしわが寄る。
 克己、草眞、神代を呼んだのには何かしらの意味がある。ただ、白鋼は答えないだろう。今は推測しかできないし、推測が当たっている保証もない。
「さて――」
 話を遮るように克己は声を発した。
 放っておくと延々と言い合いを続けるだろう。仲が良いのか悪いのか分からない二人。何があったのかは想像がつくものの、口に出すほど無粋でもない。
 克己はポケットから無線機を取り出した。幸い壊れてはいない。
「敵も倒した所ですし、検証部隊を呼びましょう。私たちも次の仕事に移ります。ここからは今までとは違う意味で本番ですよ、お二人とも」
 振り返り、白鋼と草眞を見やった。

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