Index Top 第7話 妖狐の都へ

第2章 妖狐族族長 空魔


「久しぶりだな、爺さん」
 銀歌は座布団に正座したまま、座卓の向かいの相手をジト目で見つめた。緊張で口の中が乾いている。できれば会いたくない相手だった。
 向かいに座った老狐がゆったりと微笑む。
「ああ、久しぶりだ。わしの記憶が正しければ、二十年ぶりかな? 先日お前が都に戻ってきた時は、顔を合わせていなかった」
 人間年齢にして九十は越えているだろう。
 妖狐族族長、空魔。霞模様の入った紺色の着物を纏った金狐だった。背中の中程まで伸びた自慢の金色の髪も七本の金色の尻尾も、年齢のせいか随分とくすんでいる。見たままを言うならば、気の好さそうなお爺さんだろう。しかし、妖力の強さと知識、頭の回転の速さは族長の名に相応しいものだ。
(あたしはガキの頃から身近に知ってるけど、外見は普通の爺さんなんだよな。ただ、人の見た目と実力は一致しないやつの見本……厄介なやつだ)
 心中で愚痴をこぼしつつ、それを視線で空魔に向ける。
 銀歌の考えが読めないわけではないだろう。だが、空魔は何事も無かったように銀歌を見つめていた。その翡翠色の瞳から思考を読み取ることはできない。
「何しに来た?」
 率直に尋ねる。
「お前がどうなっているか気になってな」
 口の端を上げながら、空魔が答えた。何を目的としているのかは理解できるものの、その意図は読めない。考えるだけ無駄だろう。
「割合元気にやってるよ」
 銀歌は右手を動かし、無難で的確な返答をする。他に答えようもないだろう。
 部屋に葉月はいない。自分がいるべきではないと判断して、どこかに行ってしまった。的確な判断だろう。
 空魔は一度頷き、
「そうだろう。白鋼から話は聞いているよ」
「そうか……」
 短く呻いてから、数秒の沈黙を挟む。
 銀歌は窓の方へと視線を逸らした。窓の外に見えるのは晴れた空と、薄い霞。淡い妖力が変化した霞。外からの危険に対して都を守るための結界のようなものだった。
「すまなかった。色々と迷惑かけて」
 外を眺めたまま、銀歌は囁くように口を動かす。
「反省してるなら、まあいい」
 空魔は静かにそう答えた。
 数秒の沈黙が流れる。
 その沈黙を破ったのは銀歌だった。
「爺さん、体調は大丈夫なのか?」
 尋ねながら、空魔に目を戻す。
 妖狐として生きてきて、千二百歳は過ぎていると言っていた。妖狐族としては最も長生きしているだろう。だが、空魔は長い寿命を持っているというだけで、不死というわけではないのだ。いずれ寿命が尽きる。
 そして、空魔の寿命はそろそろ限界のようだった。
「この所は大丈夫だよ。医者にも体調は安定していると言われている。ただ、あと百年は持たないだろうな……。わしも長生きしたが、そろそろ年貢の納め時か」
 どこか寂しげに笑ってみせる。
「次の族長は雷伯か」
 銀歌は視線を持ち上げた。
 妖狐族二位の雷伯。六尾の銀狐で、年齢は六百歳ほど。見た目は壮年の渋い男である。能力的にも次期族長として相応しいだろう。
「ただ、爺さんが居なくなると強い妖狐が減るな……」
「減るな、確かに」
 頷く空魔。
 単純な妖力の強さだけでなく、他者をねじ伏せるような圧倒的な力を持った者。一族を支えるにはそのような強い力が必要なのだ。雷伯は能力的には問題ないものの、単純な強さという意味ではやや頼りない。
 空魔は今でこそ老いてはいるが、かつては最強の妖狐として名を轟かせていたらしい。以前の銀歌以上に強く、狐神族最強の草眞にも勝てると自称していた。前者はともかく、後者はかなり怪しいと思う。
「わしとしてはお前を雷伯の補佐役として考えていたんだが。今のような姿のままでは、どうしようもないな。まさに仔狐……」
「それは本当にすまないと思ってる」
 愚痴る空魔に、銀歌は頭を下げた。
 かつての銀歌の強さ、桁違いの妖力とそれから作り出される戦力は、一族にとっては不可欠なものだった。しかし、自分は妖狐族から離れて今はこの有様だ。
「ま、わしも無策ではない。お前の一件の時に、ひとつ白鋼と取引しているからな。一族の戦力不足は何とかなる。その点は安心していい」
 そう言って、空魔は笑った。目を細めて、口元を怪しげに曲げる会心の笑み。何かしらの策は考えてあると思っていたが、予想通りだった。
 銀歌は狐耳を撫でながら、
「何を取引したのかは、訊かないよ」
「大体お前の想像している通りのことだ」
 そんなことを言ってくる。
 転生――銀歌はそう考えていた。人外は殺されない限り、死ぬことはない。寿命で力尽きても、再び別の者となって蘇る。ただ、その際に記憶や力はなどはほとんど無くなってしまうので、事実的な死と言える。しかし、記憶や力をある程度残したまま、生まれ変わることも不可能ではない。そういう秘術は存在していた。
 つまり、空魔が死ぬと、その力と記憶を糧に、七尾の金狐が生まれる。
 銀歌はジト目で空魔を見つめた。
「さすが爺さん……」
「ホレるなよ?」
 顎に指を当てて、流し目を送ってくる空魔。翡翠色の瞳がきらりと輝く。もっと若かったら説得力はあったかもしれない。
「アホ……」
 眉間を親指で押さえ、銀歌は唸った。
 大抵は打算や知略で動いているが、時折こういう冗談じみたことを行うのも空魔だった。見た限り、お調子者の方が本来の性格のようである。
 尻尾を振ってから、銀歌は話題を変えた。
「そういや、ひとつ訊きたいんだが、いいか?」
「わしに答えられることなら」
 空魔の言葉に、続けて尋ねる。
「白鋼があたしを手元に置いてる理由は何だ? あいつの考えは爺さん以上に分かりにくいけど、何も考えずに行動を起すことは……多分、いやおそらく、無い、と思う」
 無いと言い切れないのが白鋼の怖いところである。
 何にしろ、白鋼は助手を欲しがっていた。そして、自分は白鋼が求めている素質を持っている。そこまでは聞いていた。実際、銀歌は理の力のほんの一端を手にし、言霊という切り札としている。到底実用に耐えるものではないが。
 しかし、それは銀歌である必要はないだろう。
 空魔は褪せた金色の尻尾を一撫でし、
「噂程度にしか聞いてはいないが……。約束、だそうだ」
「誰との、だ?」
 目付きを鋭くして訊くが、
「そこまでは知らん」
 嘘だ、と銀歌は思った。空魔自身も嘘であると分かるように言っている。知ってはいるが、言えないのだろう。いや、言わないのだろう。
「白鋼殿は公私は分ける主義だ。で、私的な部分に第三者を踏み込まれるのを嫌がる。特に約束や友情に他人が口を挟んでくることを、極度に毛嫌いしている。それは、白鋼殿なりの礼儀なんだろう。それはわしも同意見。わしが口を挟むことではない」
「そうか、ありがとう」
 銀歌は素直に礼を言った。
「お前も随分と素直になったな。地の性格が出てきたと言うべきか」
「ほっとけ」
 嬉しそうに笑う空魔に、銀歌は目付きを険しくした。だが、気恥ずかしさに頬が赤くなっている。最近性格からトゲが無くなっている自覚はあった。環境のせいなのだろうか、自分が良い子になっているような気がして、気持ち悪い。
 銀歌が誤魔化すように和菓子をかじっていると、
「そういえば、銀歌。お前に会いたいという男がいてな」
 音もなく、背中に嫌な汗が流れる。本能が告げていた。ここに居ては危険であると、今すぐ逃げ出さないととんでもないことになると。
 銀歌は茶菓子を呑み込みながら座布団から立ち上がり、窓へと向かった。
「じゃ、あたしは逃げるから、元気にしてろよ爺さん」
 空魔に手を振ってから、開いた窓に向き直り。
 目の前に背の高い銀狐が立っている。誰なのかは考える間でもない。
「やあ、Good Mooning My Sister 銀☆歌――♪」
 思考よりも早く、銀歌は床を蹴っていた。全身を駆けめぐる妖気が、瞬時に迫撃術を構成する。空中で身体を捻り、撃ち抜くように右足を繰り出した。

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