Index Top 第6話 銀歌、街に行く

第10章 白鋼のお仕事 前編


 白鋼は望遠鏡を持ち上げる。
 某所の山奥。戦場は人気のない山奥の河原だった。さきほどから桁違いの破壊力が炸裂し、既に地形すら変わっている。大気を裂く衝撃派がこちらまで届いていた。
「相手はたかだか古代精霊の飼い犬……と言っても、厄介極まりない相手なんですけど。もう一人くらい呼べば良かったです」
 山頂の岩に座ったまま、白鋼は尻尾を動かしつつ声には出さずに愚痴ってみた。
 黒い大きな獣人が河原を跳び廻っている。そこだけ景色の色が抜けたような不自然な闇色の獣人。空間の切り抜けのような獣人が、文字通りの音速で飛び回っていた。
 それを追いかけるのは二人。
 一人は、迷彩模様の式服を纏った五十歳ほどの髪の長い男。日暈克己。
 もう一人は、灰色の着物を纏った背の高い六尾の狐神の女。高速形態の草眞。
「とはいえ、アレに対抗できる速度を出せて、なおかつアレ相手に攻防を行えて、とりあえず手が空いているのはこの二人しかいませんしね」
 狐耳の付け根を指で掻きつつ、感想を漏らす。声には出さずに。
 二人がかりで獣人相手に攻防を行う克己と草眞。いくらか押してはいるものの、圧倒しているとは言い難い。気を抜けば逆転されるだろう。もっとも、二人ともそう簡単に気を抜くほど甘い鍛え方はしていない。
 白鋼は岩から腰を上げた。眼鏡を動かし、振り返る。
「神代さん。そろそろ」
「はい」
 白鋼が振り向いた先には、一人の少女が立っていた。
 十代後半くらいの年頃で、長い黒髪に、整った顔立ち、登山服であることを除けば、このような場所に似つかわしくないお嬢様だろう。だが、日本の退魔師を総べる神代の一員。その黒い瞳には、少女と思えない威圧感が灯っている。
「雷をお願いします。右腕が戻ったので、力も増しているはずです」
「分かりました」
 会話は最小限。
 名前は知っているが、名前で呼ぶことはない。神代家の人間相手にはみだりに名前を呼んではいけないという決まりがある。
 神代は両腕を広げた。
 異質な術式が展開され、空間一体に霊力が広がる。
 術式から湧き出す膨大な力。空渡当主すら容易に凌駕する、凄まじいまでの量だった。それは、かつて日本に現れた雷獣の妖力である。空気が帯電し、風が強まり、晴れていた空が見る間に曇り始めた。雲間に走る稲妻と雷鳴。
 紫色の光が神代を包み込み、雷獣へと変貌させていく。
 白鋼は口元を押さえた。
「神代とはカミの依代なり。神代は自らに怪物の力を憑依させることにより、その力を自在に使いこなす……無茶な血継術ですよ、本当に」
 かつて日本の退魔師が斃した怪物の力を一族で封じ、自身の身体で再現できる。再現だけでなく、怪物の力は神代家の元で成長を続けるのだ。結果、神代が自身に怪物を憑依させた時には、本来の力をも上回っている。反則じみたこの能力こそが神代家の力であり、世界的に類を見ない異常な血継術だった。
「僕も始めますか」
 白鋼は右手を持ち上げた。口寄せの術。
 手に現れる大人の背丈ほどもある片刃の大剣。銘はないが、長年死線をともにした得物だった。左手には機関銃のように改造したペイロードライフルが現れる。最近手に入れたお気に入りの武器だ。
「問答無用の戦闘力のリスクが三分ほどの半無防備状態というのは、安すぎますよね?」
 白鋼は振り向きざまにトリガーを引いた。爆風に銀髪と尻尾が跳ねる。
 轟音とともに放たれた対精霊強化徹甲弾が、小さな闇の獣を打ち砕いた。
 獣人の放った分身。鼠ほどの大きさとはいえ、四級位に匹敵する力を持つ。雷獣の力を察知して寄ってきたのだ。さほど強くはないが、無視できる相手ではない。
 照準哨界の術で周囲を探り、縮地の術による移動から右腕を一閃。
 大剣が分身ごと地面の岩を叩き斬った。
「数は二百四十一体。捌けない数ではありません」
 放たれた弾丸が、二体の分身を粉砕する。


 敵の情報を大雑把に整理してみる。
 その一、高密度のダークマター生命体。精霊の一種。ただし、飛ばない。
 その二、知能は動物的であるが高い。だが、極めて単調でもある。
 その三、不定形だが一定の形状を維持している。時々、手足を伸ばしたりはする。
 その四、生命活動の気配はないが、一応五感のようなものはあるらしい。
 その五、攻撃のダメージはある模様。ただ、非常に頑丈で修復も一瞬、痛覚もない。
 その六、術および異能力的な力は使わない。肉弾戦のみを行う。
 その七、小さな分身を作れる。だが、こちらには使ってこない。
 その八、想像を絶するまでの俊敏性を持つ。
 情報を反芻しながら、克己は構えた。
「おそらく私が生きてきた中でもっとも危険な相手……。草眞さんと二人だから、互角程度にやり合ってるけど、一人なら苦戦は必至だ」
 一瞬。全てが一瞬。
 ひどく現実味のない闇色の獣人。ざんばら髪を振り乱した狼男のような輪郭で、身長は三メートルほど。長い両腕と長い爪を持つ。顔はなく眼もない。見た目だけならさほど強くなさそうに思えるし、事実術のような力は使わない。攻撃も爪による斬撃と獣のような粗い体術のみ。だが、その精霊は呆れるほど速かった。
「来る……」
 砕けた地面が斬られる。音もなく走る精霊。
 克己は前進した。思考は速度に追いつかない。奥義・先見と反射神経の命じるままに身体が動く。突き出される精霊の右腕を左手でいなし、右腕を前に。
 連結旋刃の槍が何もない空間を引き裂く。
「隙動が通じないってのは痛いよ」
 生体活動をしていないため、呼吸の読みようがないのだ。
 遙か後方に退いていた精霊。その脳天へと突き刺さる草眞の踵落とし。地面にめり込みながらも、次の瞬間には草眞の右足と右腕を根本から切断している。
「そろそろ頃合いか」
 左腕を持ち上げる克己。堅力で両足と地面を固定。
 その前腕に鞭のように伸ばした指を巻き付け、指を縮めて飛んでくる草眞。再生させた足で地面に着地しながら、指を引き、動きを止めた精霊を見つめる。
 精霊は顔のない顔で、近くの山の頂上を見つめていた。雷鳴とともに、山頂から空の雷雲へと伸びる紫電。克己や草眞からは完全に意識を外している。余裕の態度といういわけではない。並行思考ができないのだ。
「あのジジィめ、雷獣を呼んだようじゃな。やれやれ、この空気は好かん……。若気の至りというか、嫌な思い出じゃ、まったく。さて、来るぞ怪物が――。ここからが本番じゃ。気を引き締めていけ、若造」
「そうですね。捕獲開始です」
 草眞のボヤキに、克己は静かに答える。吹き抜ける強い風に、縛った後ろ髪が揺れていた。急激な上昇気流によって作られた黒雲が空を覆い、雲間や山麓との間に何度も雷電を走らせる。空間を埋め尽くす雷電変換された妖力。
「行きますよ」
 言いながら右足を持ち上げると、草眞が無造作にその足に跳び乗る。成人女性と同じくらいの重量。克己は一度身体を沈ませ、草眞を乗せた足を真上へと振り抜く。
 カタパルト射出のように、草眞が空高く跳んだ。狐色の髪と六本の尻尾をなびかせ雷雲を突き抜け、遥か上空へと。五百メートル以上は跳んだだろう。
 同時、自分も走る。
 無音のまま、精霊も走る。間合いが消え、交錯。
 精霊の爪が空を突いていた。克己の左手は、精霊の腹を貫いている。旋刃法二ノ秘技・旋刀。刃渡りを三十センチほどまで縮めた、平たい四角錐状の旋刃の剣。だが、この相手にはさほど通じない。
(形状を持った不定形で、急所も感覚類もない。ならば……)
 克己は飛び退いた。旋刀が分裂し、無数の白い旋刃が球状に膨れ上がる。
 旋刃法四ノ秘技・斬檻。内部から敵を引き裂きつつ旋刃を増やし、球状の檻へと閉じ込める。そこから、さらに旋刃の檻を圧縮、削るように標的を破壊する技。だが、直径一メートルほどの球体程度までしか圧縮できない。
「堅い……!」
 ボール状に固めた精霊を、真上へと蹴り飛ばす。蹴りとともに放たれた剣気の奔流が、雷雲に風穴を開けた。狙い通りその中に草眞の姿が見える。
 克己は剣気を許容量限界まで引き出し、地面に金剛の術をかけた。
「後は頼みますよ」
 そう呟き、その場から離れる。

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