Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第12章 後出しの後出し


 浩介を右手にぶら下げたまま、リリルが下降した。
 浩介の両足が砂浜に降りたところで、掴んでいた襟首から手を放し、自分も砂浜に降りる。背中の羽をたたむように消してから、砂浜に倒れた綾姫に目を向けた。
「これは……。なんか、凄く同情するぞ……。かわいそうに……」
 右手で額を抑え、沈痛な面持ちで首を左右に動かしている。同情するという言葉は、本心だろう。リリルは一回中身を見て倒れた経験があった。
 リリルを眺めてから、浩介も綾姫を見る。
「なんかなぁ……」
 白いハイレグレオタード姿で仰向けに倒れ、顔に本を乗せている。シュールな姿だ。だというのに、そこに不自然さが無いのも綾姫の凄いところである。
「手順はどうあれ、これで綾姫さんは終わりです。思ったよりも簡単でしたね」
 桜花が倒れた綾姫へと近づく。元の長さになった刀を鞘に納めながら。壊れたはずの鞘は元に戻っていた。術で直したのか、元々そういう仕組みなのかは分からない。
「これはわたくしが預かっておきます」
 顔の上に乗った本を取ると。
 白目を剥いて、だらしなく口を開けた綾姫の顔があった。一体何を見たのかは誰も分からない。ただ、一瞬で意識喪失するほどのものを目にしたのは想像が付く。
 羽ばたきながら空中に静止し、飛影が綾姫を見下ろしていた。
「一撃ですか……」
「そういう呪物ですから」
 閉じた本を袖にしまってから、桜花が鞘の先で綾姫の肩をつつく。
 綾姫の身体が崩れ始めた。どのような原理かは不明だが、音もなく灰のような白い粉となっていく。日光を浴びた吸血鬼のような姿だった。現実ではなく、夢の世界だから起こる現象だろう。数秒で身体が全て崩れ、その場から消える。
 これが、綾姫が考える死のイメージなのかもしれない。
 飛影が思い出したように口を開く。
「それにしても、あの攻撃よく防げましたね?」
 色々な元ネタが混じり合った、巨大ドリル突撃。それを、桜花は右手だけで受け止めていた。術による防御を行ったとしても、信じられないことである。
 しかし、リリルが苦笑とともに両手を広げた。
「あいつの攻撃って見た目は派手なのに、中身は大したことないんだよ。さっきのアレも見た目は強そうに見えるけど、刀の憑喪神なら防ぐのは簡単だろ」
 見かけ倒しというのは、実に綾姫らしい。
 浩介は軽く右手を持ち上げ、桜花に声を掛けた。
「ところで桜花さん? 思ったんですけど、俺がヒメさんに体当たりする必要は無かったんじゃないでしょうか? というか、俺が戦闘に参加する必要も無かったのでは?」
 綾姫を抑えている間は刀の制御に意識を向けられないから、浩介が刀を使い綾姫を捕獲する。それが最初に言われたことだった。刀が抜けず、伸びた刀に引っ張られた体当たりになってしまったが。綾姫を抑えたままでも、刀の制御は十分に可能だったようである。
「せっかくですので、何かやってもらおうかと思いまして」
 桜花の答えは軽かった。口元に手を当て、笑っている。
 浩介は何も言い返せぬまま肩を落とした。狐耳と尻尾が力無く萎える。
「残るは結奈さんですね」
 と、桜花が空を見上げた。
 無数の星が輝く夜空。星座の形も分からないほどの無数の星が散らばっている。プラネタリウムを思わせる星空だ。砂浜を流れる微かな風。空気は暑くもなく、寒くもない。現実味の薄い砂浜だった。
「あいつは、放っておいて大丈夫なんじゃないか? 一応沼護の退魔師だし、夢の世界だからって素人に負けるほど弱くはないだろ。アタシが手を出す必要もない」
 リリルが手を振っている。余計な事はしたくないという本音を隠そうともしない。
 浩介は狐耳の付け根を指で掻いた。
 木野崎結奈。蟲使い沼護一族の分家の次女らしい。本気を出せば慎一にも勝てると言い張っているが、さすがにそれは無理だと思う。しかし、下っ端の浩介から見れば、結奈の力は理解の外。少なくとも、アルフレッドや綾姫には負けないだろう。
「結奈さんだけでは、おそらく勝てません」
 桜花はため息をついた。
 普段は大人しいが、心の奥底に秘めた狂気が桁違いなのも一樹である。誰が言ったか、計算とギャンブルの鬼。真面目な人間ほど枷が外れた時が恐ろしい。その典型だ。
「問題は、どこにいるか分からないことなんですよね……」


 ジャンケンで確実に勝つ方法は何か?
 誰が言い出したか忘れたが、多分部長だろう。その問いかけに結奈は『予測』と答えた。腕の筋肉の動きから相手が何を出すかを瞬時に判断する。人並み外れた動体視力と反射神経を持つからこそ可能な荒技だ。
 その話題に対する、一樹の答えは『後出し』だった。
「ようするにこれは……『後出しジャンケン』なのよね」
 周囲に黒鬼蟲を漂わせたまま、結奈は客席を睨み付ける。
 その中央に一樹が立っていた。緑色のジャケットとスラックス姿で、頭に赤いリボンが巻かれた緑のシルクハットを乗せている。上衣の胸元には、スペード、ハート、ダイヤ、クラブの模様が刺繍されている。胸元から見えるのは白いシャツで、首元には赤い蝶ネクタイを締めていた。
 奇術師のような奇抜な服装だが、怖いくらい似合っている。
「今ので倒せると思ったんだけど。さすがは木野崎、そう簡単にはやられてくれない」
「当たり前でしょ。一応プロなんだから」
 結奈は舞台の上に立っていた。眼鏡を動かし、笑ってみせる。
 足元に落ちている三十本ほどのナイフ。その内三本の刃には血が付いていた。左太股と脇腹、二の腕に刺さっていたものである。服が血で赤く汚れているが、傷自体は塞いで治療してあるため問題は無い。問題は金剛の術による防御を苦もなく貫いたこと。
「貫通効果とか言うのかしらね? 防御術が意味ないなんて」
 結奈はナイフの一本を、一樹に向かって蹴り飛ばした。
 見た目はただのナイフで、特別な要素は感じられない。だが、そのナイフは金剛の術を難なく貫き結奈に傷を与えている。防御術の影響を受けないようだった。おそらく、他の攻撃も同じだろう。
「ラピッド・スロー!」
 回転しながら飛んできたナイフを、カードが真っ二つに切り裂いた。
 一樹は広げたトランプを扇子のように構えている。
「あまり手札の出し惜しみはしない方がいい。木野崎はまだ強力な手札を持っているように見える。勝負事は全力を出すのがマナーだ」
「手札が無いわけじゃないのよね。そうホイホイ出せるもんじゃなのよ」
 左手を振ってから、結奈はジト眼で一樹を睨んだ。使っていない手札はいくつかある。あまり使わない術などから、本人の精神へと直接ダメージを与える危険なものまで。
「ま、いいわ――」
 左手から上下に伸びる鉄鬼蟲。瞬く間に長さ百五十センチほどの黒い長弓を形作った。強い弾力を持たせた黒鬼蟲の弓と、霊力を圧縮した弦。そして、右手から作り出した矢。式鬼蟲の欠点である遅さを補い、さらに直接攻撃力を高めた蟲の弓矢である。
 あまり使うことはないが、沼護一族の本気の戦闘形式だ。
「弓矢か……」
 蟲の弓矢を見て、一樹が表情に警戒の色を映した。
 結奈は弦に矢をつがえ――
「あ」
 動きを止める。
 結奈の反応に、一樹は後ろを振り向いた。
 ガンッ!
 一樹の頭が冗談のように跳ねる。
 振り抜かれた銀色の杖が、一樹の顔面を直撃していた。完全な不意打ちに、一樹が声も上げられずに倒れていく。持っていたトランプが弾けるように飛び散り、シルクハットとともに床に落ちた。これは結奈が仕組んだものではない。
 容赦ない顔面殴打に、一樹がなすすべなく通路に崩れる。
「ユイナさん、加勢します!」
「カルミア……?」
 そこに立っていたのはカルミアだった。
 腰まで伸ばした薄紫色の髪と、緑色の瞳。制服を思わせる青い縁取りのされた白いワンピースを着ている。赤い羽根飾りの付いた三角帽子を頭に乗せ、青い水晶の組み込まれた銀色の杖を右手に持っていた。左腕には銀色の腕輪をはめて、杖に赤いリボンを付けている。背中からは薄い羽が二対伸び、その身体を空中に浮かべていた。
 しかし、手の平サイズの身長ではなく、人間と同じくらいの大きさだった。
「ちょっと見ない間に、ずいぶん成長したみたいだけど……。もしかして、成長期ってやつかしら? ――なわけないよね。どうしたのよ、それ?」
 中途半端に弓矢を構えたまま、結奈は問いかける。
 いきなり一樹の背後に現れ、容赦なく杖で顔面を一撃。確実に効いていた。百六十センチはある金属の棒で殴られれば、無事では済まないだろう。
「ここなら魔法の制約も減って、もかなり自由度高くなるようです。現実じゃ出来ないことも色々できるみたいです。だから、わたしでも役に立てますよ」
 薄紫色の眉を内側に傾け、カルミアは左手を握り締めた。
 魔法。精霊の行使する力であり、使用者の意志を術よりもより強く反映できる。逆を言うと、起こす現象に自分の意志がどうしても混じってしまい、安定性に欠ける。カルミアは夢の世界の不安定さを利用して、魔法の自由度を高めたのだろう。
「なんだ……?」
 顔を押さえ、一樹が立ち上がる。右手を伸ばして、シルクハットを拾った。かなりダメージはあるようだが、怪我は見られない。無意識が自分の怪我を拒否している。
 カルミアが杖を振り上げた。
「行きます――!」
「い゙?」
 結奈の喉から引きつった声が漏れる。
 カルミアの背後に現れる、大量の分身。髪や目の色、服の縁取り、杖の石の色などが違うが、全員人間サイズのカルミアだった。十体や二十体ではなく、一千体以上はいるだろう。カルミアの背後にきれいに整列している。虹色を思わせる色彩は、美しかった。
 左手にはめた銀の腕輪と、杖に結んである赤いリボンだけは変わらない。
 カルミアが振り上げた杖を一樹に向ける。
「突撃」

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