Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第2章 初心者二人


 ぐっと緋色の帯が留められる。
 緋袴の帯を結び終わり、飛影が少し離れた。黒い袴と上衣という少年の姿。浩介の姿を上から下まで確認するように眺めてから、頷く。
「これで大丈夫です」
「ありがと。いや、こういう服着るの初めてだったから」
 後ろ頭をかきながら、浩介は誤魔化すように笑った。
 慎一に渡された式服。白衣と緋色の馬乗袴という、まさに巫女装束である。だが、いざ着ようと思っても、着方が分からず飛影に着付けをしてもらった。昔、このような和服の着方は教わっていたのだが、すっかり忘れていた。
「でも、女の姿のまま他人に着付けして貰うって、結構恥ずかしいな……」
 慎一に渡された脇差を帯に差しつつ、呻く。自分が男という自我はあるのだが、身体は女である。他の男に着替えを手伝って貰うというのは、意外と恥ずかしい。着替えを手伝う方も恥ずかしいだろう。
 しかし、飛影は小さく吐息して、
「オレは慣れてますんで……。姉ちゃん、よく下着姿のまま原稿描いてますし。暑いとか服着るの面倒とか言って。そういう恥じらいというものは持って欲しいです」
「大変なんだね」
 尻尾を下げながら、浩介は声をかけた。下着姿のまま原稿を描く結奈。至極簡単にその姿を想像できる。色気も何もあったものではない。
「ええ、まぁ……」
 目を閉じ、疲れた声音で飛影が答える。
 場の空気があさっての方向に流れかけたので、浩介はとりあえず本題に戻した。ぐるりと部屋を見回してから。
「どうしようか? この状況」
 誰もいない部屋。一緒にいたはずの慎一やカルミア、リリルはいない。部屋に寝ていたのは、浩介と飛影だけである。とりあえずこれから起こるだろう事態に対して、準備を済ませた所だった。だが、それから先何をしていいのかが分からない。
 飛影は懐からクナイを取り出しつつ、
「こういう場合は、まず探索系の術を使って、近くに誰かいないかとか危険が無いかとか確かめるのが定石だと思いますけど……浩介さん、そういう術使えます?」
「全然」
 即答する浩介。
「というか――術でまともに使えるのは狐火くらいかな? 治療系とか修理系とか戦闘系の術は、辛うじて使えるくらい。集中乱れるとあっさり失敗するし」
「参りましたね……。オレも広範囲系の術からっきしなんですよ」
 表情に渋い色を浮かべつつ、飛影はクナイの柄頭で首筋をかいていた。浩介は戦力としては素人同然。多少術が使えるものの、到底実践に耐えるものではない。
「どうしよう?」
「どうしましょう?」
 お互いに顔を見合わせ、首を傾げる。
「ところで、これ何ですか? さっきから気になってたんですけど。ウエストポーチではなくて、この本みたいなものの方です」
 飛影が浩介の右腰を目で示した。腰の帯に付けられた四角いウエストポーチ。草眞に渡された術府セットである。そして、そこに縛り付けられた一冊の薄い本。
「これか。神聖ケモノミミ帝国って同人誌で、読んだら発狂するとか。慎一が切り札になるから持ってこいって。同人誌が切り札ってのも何かなぁ、と思うけどさ。……ん?」
 その言葉に、飛影が頬を引きつらせる。それは浩介の予想とは違った。呆れるなどの反応を考えていたのだが、飛影はうっすらと怯えている。
「神聖ケモノミミ帝国って……それ、強力な呪物ですよ。読んだ人間に狂気を移すって呪術が込められた本で、姉ちゃんが回収しようとしてたらしいですけど……」
 すっと背筋が冷たくなった。浩介は本のカバーに手を触れながら、飛影を見やる。
 呪物、名前の通り呪いの品。思い返してみると、大音門神社へのお遣いの時に結奈が妙にこの本を欲しがっていた。珍しい同人誌を手に入れるというより、危険物回収の意味合いが強かったのだろう。
「これ……実は凄いもの?」
「オレもよく知らないんですけど、かなり危険なものらしいです。中身見ない限りは無害みたいですけど。切り札としては十分じゃないでしょうか?」
「慎一……何でそれを隠して」
 以前浩介と話した時、慎一はごく普通にこの本を持って来いと言っていた。切り札になるから、と。呪物であるとかそういうことは一切口にしていない。
「教えたら捨てられると思ったんじゃないですか? 安定している呪物類は、誰かが保管しているのが一番安全ですか――」
 言いかけて、飛影が窓の方へと目を向ける。
 窓ガラスが砕けるのは同時だった。
「何……だ……?」
 部屋に飛び込んできたのは、ふたつの小さな人影。一メートルに満たない背丈で、森林迷彩の軍服を身にまとい、自動小銃を構えている。見たままを言うなら小さな兵士だ。もっとも、顔はマスクのようなもので隠れていて、動きもどこか機械的である。人間のように生きている気配はない。
 浩介が何も出来ずにいるうちに。
 ドッ。
 その兵士の一人の首に、飛影がクナイを突き立てていた。
 クナイを引き抜くと、声もなく兵士が崩れる。
 もう一人の兵士が、飛影に銃口を向けてトリガーを引いた。小さな破裂音とともに放たれた銃弾だが、飛影の身体に当たってあえなく弾かれる。刃物の憑喪神だけあり、防御術を使わずとも身体は鋼のように硬い。
 刃物状に変化した飛影の左手が、兵士の喉を斬り裂いた。
 血を吹き出すこともなく、兵士が仰向けに倒れていく。
「大丈夫か?」
「はい」
 浩介の言葉に、鋭く頷く飛影。
 前触れ無く、部屋のドアが開いた。再び同じ小さな兵士が部屋へと突入してくる。数は三人。それぞれが両手で構えた自動小銃を浩介に向けた。
「い゙!」
 狐耳と尻尾がぴんと跳ねる。だが、身体が動かない。
 キキキキキィン!
 音にすればそんな感じだろう。
 放たれた弾丸は、浩介に当たる寸前で止まっていた。空中に現れた小さなガラスのような六角形の盾が、銃弾を受け止めている。式服による自動防御だろう。盾が消え、銃弾が床に落ちた。真剣くらいは普通に受け止められるという慎一の言葉が頭に浮かぶ。
「助かった……」
 目の前に移動する黒い影。飛影が左手を前に伸ばす。肩の羽根飾り左腕を包み、腕全体を大きな翼に変化させた。浩介を守るように、翼を盾のように構え――
 耳を衝くような爆音が轟く。
「ッ!」
 閃光と火薬の匂い。そして、爆風。髪の毛と尻尾、巫女装束の裾が激しく揺れる。
 それらに構わず飛影が飛び出し、翼を大きく横に一閃した。
 まさに一刀両断。三人の兵士が、胴体を輪切りにされて倒れる。手から離れた自動小銃が床に転がった。傷口は緑色でプラスチックを思わせる。血は出ていない。
 飛影の左翼の羽が、刃物のように変化していた。
 翼が腕に戻る。
 数十秒の沈黙。
「大丈夫か?」
「はい……」
 浩介の言葉に、飛影が振り返った。その両目から滝のように涙を流している。突然のことに恐怖しているわけではない。何故か煌めくオーラを身にまとっていた。
「……飛影?」
 やや怖じ気づきつつ、浩介は声をかける。
「オレ……生まれて初めてまともに戦いました……。夢じゃないですよね、コレ。夢の世界ですけど、夢じゃないですよね? 毎日掃除洗濯料理、家事全般……まるっきり専業主夫ですけど、オレって一応戦闘用の憑喪神なんですよね――」
「頑張った。うん、よく頑張った!」
 浩介はぽんと飛影の肩を叩いた。釣られて目頭が熱くなる。色々と想うことがあるのだろう。飛影が結奈の元で苦労しているのは分かった。
 しばし二人で感動を噛み締めてから。
 浩介は床に倒れた兵士を指差した。
「何だろう、こいつら?」
 目元の涙を袖で拭ってから、飛影が兵士を観察する。
「見た感じ、アメリカ陸軍の兵隊ですね。持っているのは、アサルトライフルM16A1とM203グレネードランチャーのようです。全部1/2サイズですし、見た限り持っているのはそれだけですけど」
「詳しいな……」
 すらすらと答える飛影に、浩介は感心したように腕を組む。ぱっと見て兵士と自動小銃ということは分かったが、それがどこの武器なのかは全く分からない。軍事関係者でもない限り、一見で分かるものではないだろう。
「オレ、武器の憑喪神なので」
「それは関係ないと思うけど」
 飛影の言い分を、浩介は消極的に否定した。

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