Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第1章 探索開始


 慎一は前触れなく目を開けた。
 明るい天井が目に入る。寝る前と同じ部屋だが、消したはずの電気が点いていた。空気は暑くもなく涼しくもなく。現実味は強いものの、どこか浮いた空気だった。
「明晰夢みたいなものかな?」
 大雑把に状況を確認しながら、上体を起こす。
 部屋にいたのは、自分とカルミア、飛影、浩介、リリルの五人だが、今部屋にいるのは慎一とリリルだけだった。カルミア、飛影、浩介の姿は無い。
 リリルは布団を引っぺがしたまま、気持ちよさそうに眠っていた。はだけた浴衣から白いシャツと黒いスパッツが見えている。無防備すぎる姿。
「分断されたか……想定内といえば想定内だけど。特に問題は無いかな?」
 枕元に目をやると、破魔刀二振りと式服が置かれていた。これは寝る前と同じだ。手触りも同じもの。本物によく似たもので本物ではないが、この夢の世界では本物と同じように働くだろう。寝る前に保険として細工をしておいた。
 慎一はその場に立ち上がり、浴衣を脱ぎ捨てる。畳んであった式服を手に取り、それを手早く着込んだ。どのような状況か分からない中で着替えるというのは不用心であるが、文句は言っていられない。
 紺色の馬乗袴と白い上衣。剣道着によく似た服だ。次いで、刀と脇差を腰に差す。
「リリル、起きろ」
 慎一はリリルの傍らに腰を下ろし、ぺちぺちと頬を叩いた。
 だが、リリルは起きるのを拒否するように、慎一に背を向け丸くなる。
 ため息をついてから、慎一は右手を持ち上げた。霊力を手から伸ばし、羽状に形状を変化させる。羽として具現化するほどのことでもない。
 霊力の羽でリリルの耳元から首筋までを撫でる。
「アぎゃああァ!」
 瞬間、悲鳴とともにリリルが跳ね起きた。バネ仕掛けのオモチャのように跳び上がり、空中で一回転してから、両足で畳の上に着地する。撫でられた首筋を右手で押さえながら、肩を上下させていた。勢いよく慎一を指差し、
「何しやがる!」
「……本当に起きたよ」
 霊力を散らしながら、慎一は半眼で驚く。リリルはふさふさしたもので撫でればすぐ起きると浩介から聞かされていたが、ここまで過剰反応するとは思わなかった。
 首筋を撫でながら、リリルが不機嫌そうに部屋を見回す。
「あー……。例の夢の仮想世界ってヤツか、こいつは? 見た限りお前とアタシしかいないみたいだけど、他の連中はどうした?」
「知らない。少なくとも、僕が起きた時にはいなかった」
 そのまま答える。隠す意味もないし、他に答えようもないだろう。
 リリルは短くため息をついてから、
「着替えるからあっち向いてろ」
「了解」
 慎一はリリルに背を向け、窓へと足を進めた。後ろから衣擦れの音が聞こえる。
 カーテンを開けてみると、窓の外に夜の海が見えた。空には無数の星が輝き、海の波に月明かりが反射して光っている。寝る前に見た時よりも、幻想的な風景。しかし、浜辺が見えない。窓を開けずに下を見ると、地面が闇の中に消えていた。どうやら、この部屋は相当な高さにあるらしい。
「現実じゃないから、高さってのも無意味なんだろうけど」
「終わったぞ」
 振り向くと、リリルが立っていた。緩く腕を組んで、慎一を見ている。
 いつも通りの白いワンピースと白い猫耳帽子という格好。首から赤い魔輝石の首飾りを下げ、刃渡り百センチほどの十字剣を革の剣帯で背中に担いでいた。
 リリルは唇を舐めてから、目を細めた。探るように。
「で、シンイチ。何を仕込んでる?」
「そういう手札は味方でも明かせないものだよ。とりあえず、他のみんな探さないとな。どこにいるか魔法で分からないか?」
 部屋の入り口へと向かいながら、慎一はリリルを見やった。
 日暈の人間は術の射程が短いため、広範囲探索系の術は得意ではない。その辺りは他に頼る必要がある。魔法ならば、術よりも自由度は高いだろう。
「Search Armillary……」
 リリルが持ち上げた右手の平に、光の球体が浮かび上がった。術とは違う風変わりな魔法式。天球儀を思わせる構造で、中で矢印が不規則に回っている。
 十秒ほどして、球体が消えた。
 鼻息ひとつついてから、リリルが両手を広げる。
「無理だな。少なくとも魔法の届く位置にはいない。こいつは半径五十キロは効果あるんだけど。といっても、ここじゃ距離ってのも意味無いだろうな」
「なら、地道に探すか」
 慎一は入り口に置いてあった半長靴を履いた。自衛隊などで使われる編み上げの軍用ブーツである。自分の足に合わせた特注品。寝る前に用意しておいたのだ。
 後ろからリリルが言ってくる。
「戦闘はお前やれよ」
「言われなくとも」
 口端を持ち上げてから、慎一は部屋のドアを開けた。


 どこまでも続く廊下。
 結奈は歩きながら眉間を指で押さえた。天井に規則正しく並んだ蛍光灯。廊下の左右にドアは付いているものの、開かない。ドアは飾りのようなものらしい。
「夢の幻術空間……。こう何も無いと退屈よね。珍しいといえば、珍しいけど」
 服装は緑色の半袖ジャケットと白いスラックス。普段とほとんど同じ格好ではあるが、普段着と同じ形状の式服である。見た目に反して、防御力は高い。
「退屈……とは違う気がしますけど。部屋を出てから、十分くらい経ってます?」
 傍らを浮かんだカルミアが、紫色の眉を傾ける。両手で銀色の杖を握ったまま、結奈の歩みと同じ速さで飛んでいた。紫色の長い髪と、白と青の服が微かに揺れている。
「多分、そんなところじゃないかしら?」
 結奈が目を覚ましたら、カルミアが近くに寝ていた。カルミアを起こしてから状況確認。式鬼蟲による探索でも、魔法による探索でも何も情報を得られなかったので、二人で部屋を出たのである。だが、行き先は分からない。
「こういう場合、幽霊のひとつでも出てくれた方がありがたいんだけどね」
「……って何言ってるんですか、ユイナさん!」
 独り言のような呟きに、カルミアが予想以上の反応を見せる。
 結奈は一度眼鏡を指で動かしてから、カルミアを見つめた。一度瞬きしてから、
「そういえば、あなたって幽霊とかお化けの類苦手だったわね。妖怪とか精霊とかも似たようなものだし、怖がる理由は無いと思うけど……。あたしは」
 妖怪や神は、普通は幽霊などを怖がらない。幽霊やお化けと言われるものは、意識の残滓であり、その力は極めて弱いと知っているからだ。普通の人間でも、気合い込めて殴れば吹き散らせれるほどに。
「怖いものは怖いんですよ。仕方ないじゃないですか……」
 両手で杖を握りしめながら、カルミアが反論してくる。ちょっと泣きそうな表情で。怖いから怖い。分かっていてもどうしようもない。そういうものなのだろう。
 結奈は大きく息をついてから、頭を右手で押さえた。妙な空回り感。
「うーん……。やっぱり一緒に行動するなら、浩介かリリルがよかったわねー。でも、相方役が慎一じゃなかったことは正直感謝してるわ。うん」
「どういう基準ですか……」
 思わず口から出た本音に、呆れたようにカルミアが目蓋を下げる。ついでに、浮かんでいる位置が十センチほど下がった。気分で浮遊力が変わるらしい。
 足を止めてカルミアに向き直り、結奈はきっぱり断言した。瞳をきらりと輝かせ、
「無論、面白いか否か」
「わたしがユイナさんと一緒でよかった気がします」
 両手を力なく下ろしつつ、カルミアが両目を瞑ってため息をつく。呆れや諦めを通り越して、何かを悟ったような口調。紛れもなく本音だろう。
「そうね。あたしもそう思うわ」
 苦笑しながらも、結奈はあっさり同意する。浩介やリリルが一緒なら、遠慮無く弄り倒していたが、カルミアが相手ではそういう悪戯をする気にはならない。
「さておき……」
 会話を切るように左手を動かしてから、結奈は右手を持ち上げた。息を吸い、口元を引き締める。手から湧き出すように現れる、砂鉄のような鉄鬼蟲。無数の蟲が空中に巨大な槌を作り上げた。
 近くの壁に、いかにも何かありそうな×印が小さく描かれている。
「このままじゃ埒開かないから、そこの壁ぶち抜くわ。ちょっと下がってて」
「分かりました」
 言われるがままに、カルミアが二メートルほど後退する。顔に浮かぶ緊張の色。
 結奈の右手から伸びた、ドラム缶サイズの鉄鬼蟲の槌。霊力を餌にして力と強度、そして疑似的な重量を上げていく。そこへ、攻撃力強化の破空の術を乗せて。
「せーのッ!」
 ドゴッ!
 壁へと叩き付けた鉄鬼蟲の塊が、壁を砕いた。岩盤や鋼鉄並に硬いことも予想したのだが、壁はあっさりと破壊される。強度は普通の壁と同じようだった。
 壁の穴の向こうには、上階へと続く階段がある。
 鉄鬼蟲を身体に戻してから、結奈は階段を指差した。口元が緩む。
「なんかゼルダの伝説みたいねぇ。じゃ、行きましょ」
「はい。そうですね」
 頷いてから近づいてくるカルミア。
 結奈は壁の穴から階段へと向かった。

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