Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第9章 模擬戦闘訓練 前編


 そよ風が吹いている。
 嵐の前の静けさとでも言うのだろう。
 屋敷から少し離れた辺りに、サッカー場の二倍ほどの広場があった。周りは森に囲まれていて、心地よい涼気が流れてくる。昼寝でもするには適当な場所だろう。もっとも昼寝をしに来たわけでもないし、午前九時過ぎに昼寝もない。
「お前からこんな事言い出すなんて珍しいな。しかも、このタイミングで。爺ちゃんに何言われたんだ? まー。ぼくが関わることじゃないみたいだけど」
 首の後ろで縛った黒髪を指で弄りながら、達彦が言ってくる。黒いズボンに水色の半袖シャツという格好。武器類は持っていない。
「個人的なことだから、気にしないで。嫌なら無理にとは言わないから」
 慎一は右手を振りながらそう返した。ジーンズに白いシャツという格好。達彦同様、動きやすい格好で、武器はなし。
「嫌なら付いてこないって。こっちも暇してたところだし、院生活でちょっと鈍ってたと思ってたし。お前の誘いは丁度よかったと思ってるよ」
 強固な結界によって遮断された、訓練場。
 朝食を食べ終わった頃に慎一が達彦を誘ったのである。模擬戦闘訓練。模擬、という言葉が付いているものの、その形式はかなり実戦に近い。
「お主ら、一応言っておくが……。死にかけて動けなくなったら屋敷まで運ぶのは妾なのだから、くれぐれもお互いに致命傷は負わせるでないぞ?」
 訓練場の隅から、やる気無く指摘してくる吹雪。二人だけで模擬戦闘を行うのは危険すぎるので立ち会いを頼んでいる。模擬戦闘を行う際には誰かを立ち会わせるのが、決まりだった。もっとも、忠告がさほど意味のないことは承知している。
 ちなみに、カルミアは寒月に預けていた。さすがに刺激が強すぎるし、部外者には見せられない技術もいくつか使うつもりである。
「分かりました」
 答えてから、慎一は手を持ち上げた。右手を甲側へと曲げ、左手を掌側へと曲げ、両手の親指と人差し指で四角形を作る。瞬時に許容量限界まで剣気を絞り出し、両腕を砲身として発射。標的は達彦。
 衝撃が――
 空間を引き裂いた。大気がひしゃげ、地面がえぐり取られる。身体を突き抜ける反動を、左足を引いて踏み留まった。それでも、数メートル後退し、地面に跡を付ける。
 許容量限界の剣気を、純粋な衝撃として撃ち出す天壊砲。拡散で放てば街数区画を容易く消し飛ばす。その威力を正面に絞って撃ったのだ。単純な破壊力は最大の技。直撃すれば、さしもの達彦も致命傷は免れないだろう。
 広場の半分ほどが砕かれ、土煙が漂っている。
「もっとも、この程度でどうにかなる相手でじゃないけど」
 慎一は両手を胸の前で上下に向かい合わせる。掌から放たれた剣気が、両手の間で円輪状に圧縮され、回転を始めた。円輪は瞬く間に回転速度を高めていく。
「溜めに時間が掛かる辺り、まだ未完成ってことか……」
 心中で愚痴るが、相手は待ってくれない。
 地面から突き出した透明な棒が、檻となって慎一を閉じ込める。ほんの半秒ほどの出来事。檻の材質は剣気ではない。逆式合成術によって作られる堅力。
「堅牢封じ。普通の相手ならこれだけで捕獲完了なんだけど」
 慎一は自分を囲む檻を眺めながら、円輪のさらなる加速を行う。
 合成術と真逆の原理を持つ逆式合成術。それを考案したのは八百年ほど前の日暈当主だった。そして、攻撃力は低いが頑強な堅力と、精度は低いが大火力の剣気。二種類の相反する合成術を同時に使いこなすのが、日暈の本気の戦闘法だった。
 円盤に逆式合成術で作り出した堅力を巻き付け、それを体内へ取り込む。
「来る――」
 ギィィン!
 ディスクグラインダーで鉄骨を切断するような狂音。押し潰すように縮んできた牢を、慎一の腕刀が斬り捨てる。白い火花が飛び散り、格子が地面に落ちた。
 両腕の肘元から指先まで伸びる、剣気と堅力の刃。白い鉈のようにも見えるが、剣気の刃に堅力の刃先を高速で奔らせた、さながらチェーンソーのような刃物である。その切断力は見た目以上に凄まじいものだ。
 両腕の刃を納め、自然体の構えを取る。
「旋刃法か。父さんの得意技だけど……厄介だな」
 左に視線を移すと、達彦が立っていた。上着がいくらか焦げてはいるが、無傷である。足下に穴があることから、地中に潜って逃げたらしい。
 達彦の後ろで、ため息をついている吹雪が見えた。
「僕には一番適当な方法だと思うよ」
 慎一は右手を掲げる。前腕を包むように回転する数十枚の刃。
 高速回転する剣気と堅力の刃――旋刃を無数に複製して攻防を行う戦法だった。旋刃の維持に剣気を消費する欠点を持つが、それを補うだけの強さを持つ。
 ただ、旋刃を両手で作り出し、体内に取り込むという作業は本来必要ないもの。体内で即座に旋刃を作れるようになるには、もうしばらくの修行が必要だろう。
「だろうね。お前は肢刃が得意だから」
 頷いてから、達彦が前に出る。
 同時、慎一も走った。剣気による瞬身の術から、一息で消える間合い。
 慎一は右腕を放つ。前腕から指先まで旋刃を並べた中段突き。お手本のように簡素な一撃だが、触れるだけで肉を抉り飛ばす凶悪な拳。
 達彦は微かに身体をずらし、慎一の拳を自分の左手首でいなす。丸めた手首で相手の攻撃を弾く弧拳。剣気による防御から手首にまとった堅力の小手。旋刃と防御が、お互いに削り合いながら白い火花をまき散らした。
 お互いの殺気を纏った視線が交錯する。
(来る……。合気……!)
 達彦の腕が前へ進み、慎一の肘を手首で捕らえた。さらに重心を落としながら踏み込むことで、突進の力の向きを逸し、慎一を空中へと跳ね上げる。
 通常ならこのまま地面へと叩き付けられるのだが……。
「まだだ!」
 慎一は達彦の上腕を掴む。手の平を奔る旋刃が、防御を突き抜け皮膚を削った。飛び散る火花と血飛沫。跳ね上げられた動きを利用し、空中から右足を蹴り下ろす。逆袈裟の軌道を描く、旋刃を纏った足。打撃ではなく、重い斬撃。
 それでも、達彦は構わず前に出た。蹴りを食らいながら、右掌打を放つ。
(震撃。食らったらマズい!)
 その前腕を慎一の左手が掴んだ。五指の先から円錐状に旋刃を並べ、ドリルのように皮膚を貫く。防御を削り、白い火花を散らしながら、五指が達彦の前腕を抉る。筋肉を削り、腱を斬り、腕の動脈を貫く手応え。辛うじて掌打を防ぐ。
 ドッ。
 光が瞬き、慎一は後ろへと吹っ飛んだ。
 達彦の蹴りが右脇腹にめり込み、仕込んでおいた反応壁が爆発したのだ。
 反応装甲の如く自ら爆発することで攻撃を相殺する、剣気の防壁。防御しつつ攻撃も同時に行う、日暈家内では基本的な防御術だった。ただ、通常使う十倍以上の剣気を込めれば、反動は凄まじいものとなる。
 それでも、強引に間合いを広げるのには役に立った。
 十メートルほど飛んでから、地面を二回転し、起き上がる。シャツの脇腹部が焼け焦げ、皮膚が裂けていた。出血する脇腹を押さえたまま、構える。
 一秒にも満たない攻防で、両者激しいダメージを負っている。
「本当に驚いたよ」
 血塗れになった自分の腕をため息混じりに見つめる達彦。左肩からみぞおち辺りに掛けて、深い創傷が切り込まれている。どの傷口もチェーンソーで斬られたような凄惨な傷口だった。蹴り込んだ右足も、靴が吹き飛び、爪が剥がれ皮膚が裂けている。
 それでも、気楽に笑う達彦。痛み自体はどうということもない。
「しばらく見ない間に強くなったな、慎一。ちょっと前なら、白兵戦でこんな重傷負わされることはなかったのに。ぼくも兄として油断してられないって事か」
「震撃……。前より威力が上がっている。蹴りで撃てるようにもなってるし」
 一方、冷や汗を流す慎一。脳天気に賞賛を受け取れる気持ちではなかった。
 震撃。振動に変化させた剣気を相手へと叩き込む、達彦の得意技にして必殺技である。剣気の振動変換は非常に難しいが、音の属性を持つ達彦なら可能だ。そして、破壊力の波紋は体内を駆けめぐり、体組織全てに深刻なダメージを刻み込む。
 慎一も反応壁で蹴りの威力を殺し、金剛の術の防御を行うことしかできなかった。
「連打で削ってるのに、一撃で巻き返された……」
 出血の多い達彦の方がダメージを受けているように見える。
 だが、実際は慎一のダメージの方が深刻だった。悲鳴を上げる全身の骨や筋肉。振動は脳まで届き、脳震盪の症状を起こしていた。呼吸もままならず、五感も鈍い。
 達彦は堅力を傷口に注ぎ込み、蘇生の術で応急処置を行う。慎一も同様に堅力を用いて治療を行った。堅力は霊力よりも高い治癒効果を生み出せる。
「再開だ。来い」
 両手を下ろし受けの体勢を取る達彦。自分から仕掛ける事は滅多にない。相手の攻撃に対応し、見切りと投げ技で攻撃を行う流気法。そして、剣気の振動変換を駆使する、一撃必殺の震透術。それが達彦の強みであった。
 息を吸い両手を持ち上げる。
「了解……」

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