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第25話 キューキューキュキュー? |
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いつものように部屋に籠もって、ノーパソカチカチ。 月刊雑誌に載せる小説とエッセイ。作家の仕事というのは安定しないものだ。仕事が無い時は、近所のコンビニや工場でバイトしたりもしてるし。 パソコンの横に置いてあるビスケットを一枚口に入れる。甘い。 「キュー」 そんな鳴き声が聞こえてきた。 「これって……」 ビスケットを噛み砕きながら、声のした方向に向き直る。 本棚と机の並んだ、四畳半の洋間。フローリングの床と、壁際に並んだ本棚には、資料用の本類がずらっと並んでいる。日の差し込む窓を右手に、俺は机に向かっていた。目の前の壁には締切日や予定の記されたカレンダー。机の上には、ノートパソコン、間食用ビスケット、あとは水差しとコップ。 「ん?」 部屋の中央に、ちっこいモノがいた。 五センチくらいの小さな人形のようなモノである。癖の付いた黄色っぽい髪の毛、頭には狐耳。デフォルメされた顔立ち。三頭身くらいの体格。セーラー服と緑色のスカート。腰からは尻尾が伸びている。手足は棒のようで、指は付いていない。 ミニサキツネだった。 以前、俺がカレーを作っている時に出てきたサキツネの『中の人』である。 「キュィ」 何でソレが、こんな所に? 俺は椅子から立ち上がり、ミニサキツネの前まで移動した。その場に屈み込んで、ミニサキツネを見下ろす。近くで見ると小さなぬいぐるみのようだ。 「お前……こんな所で何してるんだ?」 訊く。 俺の記憶が正しければ、意識喪失状態のサキツネの口から出てきた。その時は十数匹でカレーを盗み食いしようとしていたけど、俺の声に気付いて口の中に逃げていった。今回は堂々と出てきている。一匹だけ。 「キューキュキュ、キュッキュー」 両手をぱたぱた動かし、そんな鳴き声(?)を出す。なにやら必死な様子。 なかなか可愛いな――じゃくて。 眉根を寄せて、俺は頭を掻いた。 「すまんな、何を言っているか分からない。キューだけじゃな……せめて日本語喋って欲しいけど、無理だろうし。身振り手振りとかで何とかならないか?」 困ったように首を捻って、ミニサキツネは右手で頬を撫でる。 キューキューとしか鳴かないけど、同族(?)同士では意思疎通が出来ている。どうやら人間の言葉も分かるらしい。でも、人間の言葉は話せないので、人間とは会話ができない。地味に困ったもんだいだ。 ほどなく思いついたらしい。 「キュキュ、キューキュ」 お腹を両手で撫でてから、口に手を当て、両手を俺に向けてくる。 これは分かるぞー……。 「腹減った、何かくれ?」 「キュゥキュー」 嬉しそうに何度も頷いているミニサキツネ。 空腹か。空腹なのか。でも、人間サイズの本体と違って、ミニサイズなら満腹量はかなり少ないはずだ。でも、この人形サイズでありながら、人間並……いやそれ以上の食事を平然と取りそうな淡い恐怖もある。 「とりあえず」 俺は一度立ち上がった。机に置いてあったビスケットを一枚手に取る。一箱百円の安いビスケットだ。味は普通かな? ちょっと甘い。 「食うか?」 差し出してみると、ミニサキツネは瞳を輝かせた。 「キュー!」 床を蹴って跳び上がり、俺の手からビスケットを奪い取る。着地と同時に、すぐさまビスケットに囓りついた。自分の身体の半分ほどもある小麦粉の塊を、冗談のような勢いで小さくしていく。小動物のような速さと器用さだ。 「キュィップ」 三十秒経たずに食べ終わり、ゲップを吐き出す。 「凄いな。どうやったら、そのちっこい身体に収まるんだ?」 お腹をさすってるミニサキツネを見ながら、俺は首をかしげた。本体も似たような食いっぷりだし、気にしちゃいけないのかもしれん。 自分のお腹を撫でてから、ミニサキツネが頭をかいた。 「キュッ、キュイッ……」 眉を外に傾けつつ、小さく鳴く。狐耳を伏せ、両腕と尻尾を力無く垂らしていた。物足りないって顔をしている。これは本体も見せる空腹の仕草だ。 「――どんんだけ腹空かせてるんだよ。お前は」 「キューン」 ジト眼で睨んでみると、照れたように頭を掻くミニサキツネ。 照れるところじゃないだろ……。そこ。 それから、右手で机を指差した。 「上に行きたい、ってか」 あの上には俺が食べているビスケットが残っている。それが狙いだろう。体躯の半分はあるビスケットを食べたというのに、まだこの小狐は空腹を訴えている。ネズミなんかの小動物は一日に自分の体重以上を食べないと餓死してしまうらしいが――多分そういう理屈とは違うのだろう。 「ま、いいや」 俺はミニサキツネの前に手の平を差し出した。 「の――ぉ……」 乗れと言いかけて、口を閉じる。 その反応にミニサキツネが不思議そうに首を傾げていた。すぐに手に乗せて貰えると思ったんだろう。俺もこいつを手に乗せる気だった。 しかし、一抹の不安が。 「噛み付かないよな、一応」 二十年近く前に、友人の飼っていたハムスターに噛まれてマヂ泣きした記憶がある。小さい身体とは裏腹に、噛む力はどの動物も強い。本体のサキツネは無論、このミニに噛み付かれれば、多分指の一本や二本は無くなるだろう。 「キュキュッ!」 ペチペチと床を蹴りつつ、ミニサキツネが否定する。 「はいはい」 大丈夫、と自分に言い聞かせ、俺はミニサキツネの前に手を差し出した。 「キュン」 俺の手に飛び乗るミニサキツネ。軽い、というのが第一印象だった。ビスケット一枚を完食しているのでその分加算されているはずだが、おそらくビスケット分の重さは増えていない。その仕組みを考えても不毛なだけなので割愛。 「さてと」 俺はミニを手に乗せたまま、その場から立ち上がった。腰を屈めていたせいで、腰と膝が微妙に痛いかも。ミニサキツネは楽しそうにきょろきょろと辺りを見回している。 古びた洋間。並んだ本棚と、机とノートパソコン、窓から流れ込んでくる涼しい空気にミニサキツネの髪の毛が微かに揺れていた。 「キュ〜♪」 きらきらと輝くミニサキツネの瞳。 こいつにとっては、他人の手に乗るという体験は初めてなのかもしれない。 短い空中観覧を経て、俺は机に手を置いた。 ミニサキツネが手から飛び降りる。 「キューキューキュキュ!」 そして勢いよく指差す先には、ビスケットの箱が置いてあった。元々十六枚入りのところを俺が半分食べてミニサキツネに一枚渡し、今は七枚になっている。 「全部食べていいぞ。仕事中はほとんど食べる気にならないからな」 「キュッ!」 背筋を伸ばし、勢いよく身体を折り曲げ、ミニサキツネが深々と一礼した。顔を上げてから、目元の涙を手で拭う。お互いの間に流れる、なんとも表現しがたい静寂。 「キュー!」 ミニサキツネがビスケットの箱に突撃する。 全力疾走からの跳躍で、箱に飛び込んだ。息つく暇も無く、ビスケットを次々と喰らっていく。身体は小さいが、まさに"喰らう"という表現が当てはまる食事っぷりだ。 「ナリは小さいけど、やぱりサキツネなんだな。この容赦ない食いっぷりは」 俺は大人しく椅子に座り、ミニサキツネの動きを観察する。 七枚あったビスケットが見る間に小さな身体へと収まっていく。一種の手品を見ているようでもあった。種も仕掛けも……あるのか無いのかはわからん。 「キュ」 やがてビスケットを全て食べ終わり、ミニサキツネが箱から出てきた。七枚完食でようやく満腹になったらしい。満足げにお腹を撫でている。 何度か頷いてから、ミニサキツネは俺に向き直った。 「キュイ〜」 深々と頭を下げる。 意外と礼儀正しいヤツっぽい。 「キュ〜ゥ〜」 両手を持ち上げ大きく背伸びをしてから、ミニサキツネはその場に倒れた。倒れるというか、横になるというか。礼儀正しいようで、その実本体同様マイペースらしいな。 食欲の後は眠気、ってヤツか。 うつ伏せになったミニサキツネは眠そうに目蓋を下ろし、両手両足を投げ出していた。尻尾を小さく揺らしながら、完全な無防備状態になっている。 「キュァ〜ァ…」 暢気な欠伸をして、手で目を擦っている。 しかし、こんなに隙だらけの姿を晒して、これは俺が信用されているんだろうか? ビスケット食べさせたから懐いたんだろうか? 俺は右手を伸ばして、ミニサキツネの背中を指で突ついてみた。 「キュ」 小さく鳴くミニサキツネ。でも、嫌そうにはしていない。 俺は少し考えてから、ミニサキツネの背中を指で撫でる。指人形を触っているような感じで、うっかり壊しそうで怖い。でも、サキツネは頑丈が取り柄とか言っているし、ミニの方も頑丈なんだろう。 そう判断して、俺は遠慮無くミニサキツネの背中を撫でる。 「キュゥ〜」 撫でられて気持ちよいのか、ミニサキツネはさらに脱力していた。両目を閉じ、尻尾を下ろしている。俺の撫でる行為は、マッサージのようなものなのだろう。 「キュキュ〜」 ミニサキツネの背中や頭、足や尻尾を指先で撫でる。 そのたびに、ミニサキツネは気持ちよさそうな吐息を漏らしていた。 数分くらいだろう。 俺はミニサキツネを撫でるのを一時中断した。思わず夢中になって撫でちゃったけど、訊かなきゃならんことがある。 「おい」 「キュィ?」 ミニサキツネが顔を上げ、俺に向き直った。 「最初の質問に戻るんだが、お前こんな所で何してるんだ?」 こいつは、多分サキツネの中にいるのが普通だ。それが一人だけこうして俺の所にくるのは、おかしい。近くにサキツネがいるなら、まだ話は分かるんだろうけど。もしかして、サキツネに何かあって、それを俺に伝えにきたのか? 「キュゥ!」 ミニサキツネがその場に跳ね起きた。 数秒前までの弛緩した姿はどこへやら。元気よく机を走り抜け、エンピツ立てからボールペンを一本持ってくる。ペンを構えながら、キーボードの前に移動する。 直接喋ることはできなくても、日本語入力はできるわけか。考えたな、こいつ。 ミニサキツネはボールペンを動かし、器用にキーを押していく。人間の指タイピングに比べると遅いけど、確実に文章を作っていった。 『ひとりでさんぽ おなかがすいた ここをみつけた』 「おい」 出来上がった文に、俺は思わず呻いた。 ミニサキツネはボールペンを片手に、額の汗を拭うような仕草をしている。 何か事情があるかと心配したけど、そんなことはなかったぜ! サキツネ同様、深くは考えず気楽な一人旅か。そんな事とは思っていたけど。 ミニサキツネが続けて文字を入力する。 『ごはん ありがとうございました』 その言葉とともに、ぺこりと頭を下げた。 うーむ……。 そういう殊勝な態度見せられてしまうと、次来た時も何か食べさせてやろうかなー、という気にはなる。こいつならサキツネのように人間基準の大食いはしなさそうだし。 『おなかが いっぱいになったので かえります』 「え?」 見ると、ミニサキツネがボールペンを元のエンピツ立てに戻していた。ボールペンがしっかり戻せた事を確認してから、机の縁目掛けて走り出す。 「キュイッ!」 跳んだ。 身長五センチ程度のミニサキツネにとっては、机は身長の十倍以上はある段差だ。人間が自分の十倍もある段差から落ちれば、とんでもないことになるだろう。少なくとも大怪我だ。しかし、ミニサキツネは恐れる様子もなくあっさりと跳んだ。 「キュッ」 そして、苦も無く床に着地する。 身体が小さいし軽いから、衝撃も小さいらしい。昆虫が高いところから落ちても、無傷であるのと論理は一緒だ。実際落ちている距離は一メートルにも満たないし。 頭では分かっていても、一応人型の生物がそれをやるのは見ていて驚く。 「キュッ、キュキュー」 椅子に座った俺に、ミニサキツネが手を振った。お別れの仕草らしい。 軽く一礼して、俺に背を向ける。 「キュー」 そして、床を駆け抜け、ドアの隙間へと消えていった。 |
11/10/23 |