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第41話 少女が生まれた時


「もしもし、聞こえるかい?」
 初めて聞こえた声はそれだった。
 空気を振動させる人間の声。誰のものかは分からない。自分の中にある情報を検索し、該当者がいない事を確認する。そもそも声のデータが存在していない。
 ――アナタは誰でしょうカ? データが存在しません。
 訊く。
「僕の名前は書神ヒサメ。君を作った科学者であり、君のマスターだ」
 声の主はそう答えてきた。
 単語の意味を検索し、意味を把握する。
 ――書神ヒサメ。了承しましタ。書神ヒサメをマスターとしテ登録します。
 情報を記憶に書き込み、そう告げる。
「そして、君の名前は皐月だ」
 続けてそう言ってきた。
 ――皐月。了承しました。ワタしの名前は皐月。
 ――素敵な名前をアリガトウございます。マスター。
 空白だった名前に言われた名前を書き込み、皐月は礼を言った。自分の名前は皐月。マスターの名はヒサメ。自分はヒサメに作られた。
「うん。じゃあ、これから長い付き合いになると思うけど、よろしくね」
 ――よろしくお願いします。マスター。
 満足げなヒサメの声に、皐月はそう返した。


 気難しそうな男がキーボードを操作している。
 三十歳ほどで長身痩躯。短く刈った灰色の髪の毛。機械油の染みが付いた白衣と履き古したジーンズという恰好だ。書神ヒサメと名乗っている。
「どうだい、問題なく見えるかい?」
「はい」
 皐月は頷いた。
 資格センサー異常なし。形状認識機能異常なし。
 広い部屋にいくつもの機械が置かれ、ケーブルが床に散らばっている。
「これが、わたしですか? なかなか可愛いと思います」
 正面に置かれたモニタに皐月の姿が映っていた。
 フレームに固定された少女の上半身。年齢は十代後半くらい。長い亜麻色の髪が特徴的だった。視線が各部を捉え認識していく。コアの情報から人間の形状を呼び出し照合し、自分が一般的に美少女と呼ばれるものであると結論づける。
「でも、バラバラですね」
 腕が無く、胸から下もない。薄い金色の脊柱が本来腰がある位置まで伸びている。肩と胴体の断面からは長い延長ケーブルが伸びていた。ケーブルの先には腰のパーツや手足のパーツが繋がっている。接続が切られているらしく、手足は動かない。
 ヒサメは頭をかいてからキーボードを操作した。
「うーん、まだ半分くらいしかできていないからね。もうちょっと待って欲しい。最高の身体を作ってあげるから」
 実行キーを叩く音。
『右腕ON』
 右腕とコアが繋がった。数十行の文字列が頭に弾ける。接続状態を確認して異常は無いという結果。問題なく動かす事ができる。
 ヒサメが右手の元まで歩いていき、皐月の手を握った。
 右手から触覚センサーがヒサメの手の情報を伝える。堅い、柔らかい、軽い、暖かい。成人男性の標準的な手だった。
「ちょっと僕の手を握ってみてくれ」
「はい」
 肯定し、皐月は右手を握る。
「うぎぁ!」
 悲鳴を上げて、ヒサメが手を引っこ抜いた。
「大丈夫ですか、マスター?」
 左手で右手を押えているヒサメを見つめ、皐月は尋ねる。それは苦痛を感じている仕草と判断した。皐月がヒサメの手を握り、ヒサメがそれを痛いと判断した。ヒサメの苦痛は自分が原因である。
 具合を確かめるように右手を握って開き、ヒサメが苦笑いをした。
「危なかった……。潰されるかと思ったよ。まぁ、でも……人工筋肉に掴まれたら確かにこんなものだ。迂闊に握手しようとした僕も悪いんだけど、もう少し加減してくれ。人間は機械よりもかなり脆いんだ」
「了解しました」
 答える皐月。
 人間の身体強度のデータを呼び出し、そこにチェックを付けた。続けて、自分の出力データを呼び出し、身体強度と関連づけを行う。今後人間と接する時は強度限界を超えた力を加えないように注意する。
「ところで」
 ヒサメがノートを持っていた。
 A4サイズの大学ノート。かなり使い込まれているようだった。
「はい?」
 皐月は訊き返す。
 ヒサメはページをめくり、ノートにペンで何かを書き込んでいった。
「今のうちに聞いておこうと思うんだけどね。これは計画のコンセプトとか、スポンサーの意向とか、上層部の方針とか、そういうの抜きにしての質問だ。腕にドリルを装備してみたいと思わない?」
 ヒサメの瞳が光ったように見えた。
「ドリル」
 皐月はその単語を繰り返した。
 回転する動きで工作物に穴を開ける工具。螺旋状に溝が掘られたツイストドリルが一般的だが、種類は多い。男の浪漫でもあるらしい。
「そう、ドリル――!」
 短く鼻息を吐き、ヒサメがノートを皐月に見せた。
 前腕の中程から円錐形のドリルが接続されている絵だった。
「無論、普段は前腕内収納だ。必要な時に腕から刃を展開しドリルを形成し、回転する。超振動乖離機構を用いて高い切断力を実現。穴開けから切断まで多彩な運用が可能だ。どうだい? 付けてみようと思わないかい?」
「いりません」
 皐月は即答した。
 自分が何を目的として作られているかは今だ教えられていないが、円錐ドリルを使うことはないだろうと判断した。内蔵するにもかなりの費用がかかるだろう。
「………。ならば!」
 ヒサメは再びノートにペンを走らせ、書いた絵を見せる。
 前腕内部に穴を開け、そこに杭を通してある。穴は手の平から肘まで貫通しているらしい。穴の周りには電磁加速器が描かれている。
「パイルバンカーはどうかな? 前腕部に小型高出力の射出機構を組み込んで、機動とともに左前腕を変形させる構造だ。左手で相手を捕獲して、パイルをドン! と」
「いりません」
 皐月はやはり即答した。
 付ける意味が薄く、また費用も大きい。つまり、無駄と判断した。
「くすん……」
 ヒサメはノートを閉じ、一筋の涙を流した。
 理由は不明だが、悲しませてしまったらしい。
「おかしな事を訊いてすまなかった」
 吐息とともに、ヒサメはそう呟いた。
 悲しみを払うように大きく息を吐き出してから、キーボードの前まで戻る。再びキーボードを操作し始めた。各部の接続の確認を行っているようだ。
「もうしばらくしたら、皐月も歩けるようになるよ」
「はい」
 そう皐月は返事をした。



「調整はほぼ終了した」
 ヒサメがそう告げた。
 少し離れた机に向かい、ノートパソコンを眺めている。
 皐月は寝台の上に寝かされていた。バラバラだったパーツはひとつに組み上げられ、人間の形になっていた。皮膚に薄く見える継ぎ目を除けば、ほぼ人間と変わらない外見になっている。今は身体を保護する白いハイネックのレオタードという恰好だ。
「これが、わたしの身体」
 右手を持ち上げ、顔の前にかざしてみる。
 見た目はほぼ人間の手だった。特殊シリコンによる疑似組織。皮膚のシワから指紋まで精巧に作られている。事故などによる損傷を隠すための人工疑似組織としても使われるものだ。人間の視覚のデータから、一目で違いは分からないレベルと判断する。
「では、台から下りて立ってみよう」
「はい」
 皐月は手を台に置き、肘を伸ばして状態を起こした。
 手と台の摩擦を使いながら身体を捻り、両足を台から外に出す。膝を曲げ、両足を床に置いた。それから重心を前に移動させつつ、寝台から立ち上がった。長い亜麻色の髪が揺れている。各部の複雑な動きが、情報として意識に飛び込んできた。
 台の前で気をつけの姿勢で立つ皐月。
「どうだ?」
「問題ありません」
 ヒサメの問いに頷く。
 ヒサメは立ち上がった皐月とモニタを何度か交互に眺めてから、次の指示を出した。
「じゃ、ここまで歩いてきてみて」
「はい」
 皐月は頷き、歩き出した。

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12/5/20