Index Top メイドの居る日常 |
|
第5話 古本屋の爺さん |
|
「失礼しまーす」 古びた戸を開けて、俺は店へと入った。 古本の匂いが鼻をくすぐる。通い慣れた店内。書棚に並ぶ古本。最近の古書から、大昔の古書まで多数揃っていた。旧世界の本もあると言っていたが、事実かどうかは知らない。値段は半端ないので買えないが。 俺は声をかけた。 「爺さんいるかい?」 「ハルか」 よく響く渋い声。カウンターの奥に一人の老人が座っている。 首の後ろで束ねられたきれいな白髪に、長い眉毛と髭。年齢は八十は越えているだろう。もっとも、実年齢は知らない。簡素な深緑の服と褪せた緋色のズボンという格好で、手首に鋼鉄製の腕輪を嵌めている。 古本屋のソラ爺さん。 「今日は何しに来た。珍しく古書でも買いに来たのか?」 「にゃぁ」 カウンターの上の猫が欠伸をした。ヒノという猫。相当な老猫らしく、いつもカウンターの上で丸まっている。まともに動いている姿は見たことない。 「ちょっと聞きたいことがありまして」 「あ、見つけた。探したよー」 空気も読まずに会話を遮り、皐月が店に入ってくる。 大学で見たのと同じ格好。紺色のワンピースに白いブラウス。首に赤いチョーカーを撒いている。弁当箱は持っていない。置いてきたのだろう。 髭を撫でながら、ソラ爺さんが尋ねる。 「お主、アンドロイドか?」 「そうですよ」 頷いてから、皐月は背筋を伸ばした。 薄めの胸を張って堂々と自己紹介をする。 「わたしは超高性能メイドロイドの皐月です!」 自分で『超高性能』とか言うなって……恥ずかしいから。 ソラ爺さんは淡々と皐月を観察してから、 「ヒサメのヤツがまた何か企んでるという話は聞いておる。性格は捻くれておるが、頭と腕は本物じゃ。注意せぬと、痛い目見るぞ? ……既に見ているじゃろうがの」 剃刀のような視線を投げかけてくる。 俺は乾いた愛想笑いを返した。ソラ爺さんはいわゆる情報屋。一般人が知らないような情報を大量に持っている。ハカセの話も色々知っているのだろう。もっとも、どれほどの深刻さを以ての忠告かは不明。多分、皐月の性格のことだろう。 誤魔化すように、俺は皐月に向き直った。 「それより、何で俺の居場所が分かったんだ? 教えてないのに」 俺が古本屋にいることは、皐月に伝えていない。俺が爺さんの店によく来ていることも秘密にしてある。ナツギやトアキも知らない。まあ、ソラ爺さんと知り合ったのはハカセからだから、あらかじめプログラムとして組み込んである可能性もあるが。 皐月は俺の服の襟首に手を伸ばし、引き戻す。 手の平に置かれた小さなクリップのような物体。 「はい、発信器」 「そーゆープライバシー侵害行為は辞めろーと言ってるだろーが!」 発信器を奪い取り、床に叩き付けて思い切り踏みつけた。ばしばしと踵を叩き付けてから、ぐりぐりと捻る。だが、壊れた様子はない。 一分ほど破壊を試みるが徒労に終った。 「ええい、無駄に頑丈な!」 「当たり前でしょ。マスターが作ったんだから」 皐月は発信器を拾い上げ、ポケットにしまった。 背後からソラ爺さんの声が聞こえる。 「苦労しているようじゃの」 「ええ、色々と……」 肩で息をしながら、答える。 しかし、爺さんは淡々と続けた。全てを卓越したかのような口調。 「じゃが、お主にはお似合いの娘じゃ。何かと騒がしいが、一緒に居て退屈はしないじゃろうて。さすがはヒサメと言ったところかの。大事にするんじゃぞ」 「大事にするんだぞ」 ぽんぽんと肩を叩きながら、皐月。 お前が言うな! 口に出す気力もなく、心中で言い返す。 だが、それに気づくこともない。 何か思いついたように、皐月はぽんと手を打った。 「それよりあんた、こんな所で何やってるの? 古本に興味があるようには見えないけど、もしかして秘密の趣味? でも、古本って高いよね。買える?」 きょろきょろと店内を見回しながら、そんなことを言ってくる。確かに古本は高い。爺さん曰く、一冊五万クレジットを超える代物も存在るらしい。 ま、俺の目的は古本じゃないんだが。 「ソラ爺さんに個人的な相談を、な」 適当にあしらいながら、俺はカウンターの前まで歩いていく。興味津々と覗き込んでくる皐月は無視して、小声で尋ねた。 「アレが出たという話を聞いたんですが、どこにあるか知りませんか?」 「二十五番地区の店に十冊入荷したとの情報がある。明日一番に行けば買えるじゃろう。少なくとも開店一時間以内になくなる。報酬は一冊」 「了解」 爺さんの情報に、静かに頷く。 情報屋というと裏社会の秘密とか怪しげなものを想像するが、大抵は巷の噂や新聞記事などをまとめているだけらしい。もっとも、情報を纏め上げ、取捨選択し、判断を下し、的確な総合情報を拾い出すのは容易に出来るものではない。 とはいえ、俺は値の張る情報に興味はない。 「何話してたの?」 「俺の趣味だ、気にするな」 カウンターから離れ、ぱたぱたと手を振る。 するとその時。 キィ……と音を立てて店の戸が開いた。 「あ。お客さん」 「珍しいな、客が来るなんて」 入ってきた男を見て、俺はぼそりと呟く。 三十代半ばの背広姿。職業は教育関係だろう。大学の教授たちと同じ雰囲気を持っている。ここは元々古本屋、時々客がやって来る。 一度店内を見回してから、男はカウンター前まで歩いて行き、 「連絡していたカナです。注文した本を受け取りに来ました」 「うむ」 ソラ爺さんは近くの本棚に目を向けて―― それは、文字通り一瞬だった。 男がカウンターのヒノを掴み、入り口へと走る。 そして、ソラ爺さんが飛んだ。 理解の範疇を超えた光景。推定八十過ぎの老体が宙を舞う。床を蹴ってカウンターを飛び越え、まるで滑空するかのように数メートルの距離を飛翔する。 俺は呆然とその様子を眺めていた。 ソラ爺さんが空中で腕を持ち上げ、掌打の形を作り…… ゴギャァッ! 人間を殴ったとは思えない異音。爺さんの掌打が男の背中にめり込んでいた。曰く、旧世界の殺人技法。俺もちょっと教えられていたが、威力は本物である。 はっきり言って生身の人間に使う技ではない。 男は白目を剥き、うつ伏せに倒れた。多分、死んではいないと思う。背骨がおかしな方向に曲がっているように見えるけど、きっと気のせいだ。うん。 「にゃぉ」 腕から零れたヒノが脳天気に尻尾を動かしていた。 ソラ爺さんはヒノを抱き上げようと両手を伸ばし、 「最近の若造は躾がなっておらん――な!」 右手が空を裂いた。手首を直角に曲げた弧拳。 別の男が一瞬でヒノを掴み上げ、店の外へと逃げていく。あと一瞬遅ければ、顎を抉り飛ばされていた。 残念そうに右手を振ってから、皐月を見やる。 「皐月くん、確保を頼めるかの?」 「はい。任せて下さい」 敬礼のような仕草をしてから、皐月は店を飛び出した。 たった数秒の出来事を呆然と見送ってから。 俺はソラ爺さんに問いかけた。我ながら間の抜けた質問。 「アクション映画の撮影ですか?」 「どうということもない。ただの情報泥棒じゃ。こんなに乱暴なのは久しぶりじゃがの。向こうも何か急ぎの用事があるのじゃろう。改造アンドロイドまで使って……。まあ、あの娘に任せておけば心配ない」 すらすらと答えてから、爺さんは男の姿をしたアンドロイドを担ぎ上げた。 「でも何でヒノを?」 「あやつはよく出来た猫型のロボット。中にバックアップメモリを積んである。長年一緒にいると愛着も湧くものじゃな」 ソラ爺さんはこともなげに答える。 |
人物紹介 ソラ ハルの知り合いの古本屋主人兼情報屋。見た目八十歳を越える老人だが、殺人拳法を使いこなすなど怪しい部分が多い。全てを達観したような性格で、常に冷静沈着。暇潰しと趣味を兼ねて、ハルに本の発売情報を売っている。 |