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第1話 出会い


 ハカセ。
 俺の友人にそう呼ばれる男がいる。親父の知り合いだ。
 どこか吹っ飛んだ性格で、職業は発明家。自称発明家ではなく、本物の発明家。街の一角に自分の研究所を持っている。機械工学の分野ではかなり知られた男で、特許をいくつも所有しているらしい。
「今日は何の用ですか?」
 俺の言葉に書類から顔を上げるハカセ。
 五十歳ほどの長身痩躯。灰色の髪を背中に流し、縁のない眼鏡を掛けていた。服装は清潔な白衣と黒いスラックス、足はサンダル履き。すたすたと廊下を歩いていく。
 本名は書神ヒサメ。子供の頃からの顔見知りだ。
「君に見せたいものがあるんだ。モニターになってほしい」
 肩越しに振り替えり、微笑む。変人めいているものの、所有する特許料だけで年収一億クレジットを稼ぎ出す化け物だ。
「モニターですか? まあ、ハカセの作るものは面白いですし、構いませんけど」
「それはありがたい」
 俺の答えに満足げに答えるハカセ。
 足を止める。第四研究室と記された重厚な扉。
「まず現物を見て貰おう」
 ハカセは指紋認証機に指を当てた。重い音とともに扉が開く。
 俺たちが部屋に入ると、明かりがついた。
 二十メートル四方の部屋。いくつもの機械が置かれている。巨大なコンピューターと制御装置。床にはまとめられたコードが広がっていた。
 そして、部屋の奧に設置された椅子に、一人の少女が座っている。
 身長百六十センチほどで、背中の中程まで伸びた髪は茶色。ぴっちりとした白いレオタードのような服を着ていた。首や肩などからケーブルが伸びている。
「アンドロイド?」
 俺は思ったままの言葉を口に出した。
 新歴が始まる前、失われた百年よりも昔、推定西暦2500年以前。かつての人間が保有していたロストテクノロジー。無機質の脳であるコアを中心にして、人間と同じ機能生命体を作り上げる技術。調停者と呼ばれる者たちが、時々コアとともに置いていく。
 滅多に見ることのない代物だ。
「うん。ただ、厳密には少し違う」
 ハカセは答える。近くの椅子に近づき、キーボードを操作する。
「彼女のコアは私が作った。調停者の持ち込むオリジナルコアのレプリカを中心に身体を作ってある。さすがに、オリジナルには届かないが、遜色ない性能は出せるはずだ。人間と同じような感情と人格を保有している」
「そうですか。凄いですねぇ」
「もっと驚いてほしいのだが……まあいい。君への頼みはひとつ。彼女と一緒に暮らし、日常生活を一日一ぺージほどのレポートに書くこと。メイドとしてのプログラムを組み込んであるから、君の日常生活のサポートをしてくれるだろう。名前は皐月だ」
 得意げに語るハカセ。
 メイドはありがたい。自慢ではないが、俺は一人暮らしの大学生。さほど立派な生活はしていない。料理や掃除や洗濯をしてくれるのは、非常にありがたい。
「では、起動!」
 ハカセは近くのボタンを押した。
 ………
 数秒の沈黙。
 何も起こらない?
 俺の視線にハカセは頭をかいた。
「電圧が足りないらしい。ちょっと電源室に行って来るから、待っててくれ」
 言うなり、すたすたと部屋を出て行く。
 何、この肩透かし?
 俺は愚痴をこぼしつつ、皐月に近づいた。ぺたぺたと触ってみる。起動電圧が足りないだけで、触っても問題はない。肌の手触りは人間と変わらない。肩などの継ぎ目が無ければ、人間と見間違うかもしれない。
 ここはどんな感じなんだろう?
 純粋な好奇心から、俺はその控えめな胸に手を伸ばし――
 ヴン。
 という鈍い電子音とともに、皐月の目が開いた。
 手を止めた俺と目が合う。焦茶色の瞳。俺の顔と、自分の胸を触ろうとしていた手を交互に見てから、無造作に右手を持ち上げた。
「えい」
 ザク。
 そんな音が聞こえる。聞こえただけで、実際に音はしていない。だが、聞こえたような気がした。皐月の右手が俺の左胸の下に刺さっている。
 異様に長い一瞬。
「ぐほッ!」
 苦悶の呻きを発し、俺は一歩後退した。皐月の手が抜かれる。支えを失い、その場に膝をつき、前のめりに崩れた。横隔膜への貫手。
 痛い……てか、苦しい! 息出来ない! 身体が、動かない……ッ! 
 左胸を押さえ、俺は無様に痙攣した。
「あんた何考えてるの! ヘンタイ?」
「あ……助け……」
 俺が伸ばした手を無視して、椅子から立ち上がる皐月。
 外れたケーブルが床に落ちた。
「あれ、マスター? マスター、どこですか?」
 ひょいと俺を跳び越え、部屋を見回す。
 無視ですか? そうですか……。
 普通に起動したなら、近くにいたはずだ。しかし、電源を調整しているせいで部屋にはいない。起動電圧まで上がったせいで起動したのだろう。
「ねえ、あんた。わたしのマスター知らない?」
「今、電源室に……行ってる」
 皐月の座っていた椅子に背中を預け、俺は答えた。何とか会話できる程度までは回復していた。だが、横隔膜が思うように動かず、苦しい。
「苦しそうだね? 大丈夫」
「誰のせい……だと思ってる……?」
 俺の問いに、無言で人差し指を向けてくる。
 はい、その通りです。あなたの仰る通りでございます。俺が何もしなければ、こんなことにはなっていません。自業自得です。
 泣きながら俺は答えた。心の中で。くそっ、負けるもんか!
 扉が開き、ハカセが入ってくる。
「おや?」
「マスター。おかえりなさい」
「ぐぅ」
 駆け寄る皐月と、苦しげに手を挙げる俺。
 一見しただけでは何が起こったのか分からない。
「何してるだい? 苦しそうだね」
「あの人がわたしにセクハラしようとしたので、制裁を加えました。左胸の真下に指先を三センチくらい刺し込んでみましたが、わたしは悪くありません」
 澄まして答える皐月。
「だいたい分かった」
 ハカセは一言答えた。持っていた紙袋を渡す。
 皐月は紙袋を受け取り、中の服を取り出す。紺色のワンピースと白いエプロン。カチューシャと、何かの入った紙袋。
「何ですこれ?」
「これは新しい服だよ。前に話しただろう? 新しい主人の元で、しばらくメイドとして働いて貰うと。そこに座ってるのが新しい主人だ」
「え?」
 呆気に取られた顔で、俺の方を向いてくる。
 俺は半笑いのまま挨拶するように片手を上げてみせた。俺から目を離して、ハカセに目を戻す皐月。にっこりと笑うハカセ。
「えー!」
「その子、抑制機構とか組み込んでないんですか?」
 俺は立ち上がり尋ねた。胸は痛むが、今は動ける。
 普通、人型非人型にかかわらず、ロボットは人間を傷つけないように作られている。逮捕用ロボットや、軍事用ロボットはその限りではないが、あくまで例外。普通のロボットは人間を攻撃しないよう抑制機構がプログラムされている。
 だけど、さっき俺は胸を突かれし、滅茶苦茶痛かった。てか、今も痛い。
「ないよ」
 あっさりと言い切るハカセ。
「作っていない。詳細は言えないが、彼女のシステムはちょっと特殊なんだ。いざとなれば君を攻撃することも出来る。さすがに殺すことは出来ないけど、骨の一本くらいは折ることが出来るだろうね」
「何ですか、それ!」
「安心してほしい。強制停止コマンドはあるし、既に最終調整まで済ませてある。万が一にも暴走することもない。あくまでも君が余計なことをしなければ、だけどね」
 にこやかに解説する。うさんくせー!
 ふと表情を引き締め、
「正直に言うと、私は心を持った機械を作りたいと思っている。それには、調停者の持っているコアが必要だ。無機質の頭脳。しかし、現在の人間の技術でそれを作ることは不可能。現在の皐月のコアはオリジナルを模して作られている。科学者と日常ごっこしても意味ないので、普通の大学生の君と一緒に暮らしてもらう」
「さらにうそくせー」
 俺は腕組みをして、口を尖らせた。人格として完成度を高めるために、実際の人間と一緒に生活。ありふれた物語。
「世の中は往々にしてそのようなものさ」
 両腕を広げて、軽く笑って見せる。
 メイド服に着替え終わった皐月。俺の目の前までやって来ると、にっこりと笑ってみせる。屈託のない少女のようで、どこか殺伐とした微笑。
「そーゆーわけだから、あんたが新しい主人になることを許可してあげる。掃除や洗濯、料理なんかも出来るから、今後生活に困ることはないよ。だから、ちゃんとマスターの役に立ってね。ただし……」
 右手を持ち上げ、四指を真上に伸ばす。貫き手の構え。カーボンの内骨格、強化シリコンの皮膚。伝導性高分子アクチュエータの人工筋肉、カーボンナノチューブの腱。人間を上回る力と強度を持つ。
「さっきみたいなことしたら、シメるよ♪」
「やっぱり、断って良いですか?」
「駄目ー」
 ハカセは胸の前で腕を×字に交差させた。あ、無理ですか?
「一日三百クレジット出すから」
「了解」
 俺は即座に頷いた。一日分の食費+αほどの金額。悪い話ではない。一日にレポート一枚だけで、食費が消えるのだ。学生からすれば破格とも呼べる金額である。
「そうそう。あんたの名前、まだ聞いて無かったけど、何て言うの?」
「俺は、ハルだ」


 私はハカセ。
 みんなからそう呼ばれている。書神ヒサメという本名を持つが、その名前で呼ばれることは少ない。時々名前を忘れられているのかとも思う。
 自分で言うのも何だが、私はいわゆる超天才だ。人工頭脳とロボット工学についての研究を行っていて、色々と逸話と伝説には事欠かない。が、それは省く。
 私の逸話について詳しく知りたい方は、『天才の伝説 〜 私が今に至るまで 〜』サンケン書房320クレジット(税込)を買ってほしい。
 パソコンに情報を打ち込んでから、私はコーヒーを啜った。
「葦茂ハル」
 私の友人にして研究対象だ。
 単刀直入に言うと、彼は人間ではない。
 アンドロイド。その中でも風変わりな、自分を人間と思いこんでいるアンドロイドだ。約五百兆個の有機質ナノマシンによって構成された身体と、人間の脳と同等の機能を持つコア。まるで人間のように食事と代謝を行い、子供から大人へと成長する。怪我もするし、病気に似た症状も起こす。人間と変わらない。でも、人間ではない。
 その機能の九割はブラックボックス。
 先に記しておくが、彼は紛れもなく私の友人である。たとえ人間ではなくとも、私は彼をひとつの心を持った存在と認識している。さらに言おう。皐月は私の娘だ。そんなものは感傷に過ぎないという輩いるが、気にすることもない。まったく……いい歳しこいて斜に構えた気取り屋というのは実に面倒だ。やれやれ。
 さて、彼の両親――と呼ぶべきか? どちらでもいいけど。私の後輩である葦茂夫婦が発見し、人間として育てている。彼らがハルくんを手に入れた経緯は割愛。
「大したドラマでもないしね」
 誰へとなく呟いてみる。
 ハルくんを作ったのは、調停者だ。人間を監視し導く存在。外見は人間であるのだが、実際に生き物であるのか、機械であるのかも不明。あの連中の考えることはよく分からない。私たち人間とは思考回路が違うのだろう。旧世界の遺物だ。
 国家情報局の連中は、ハルくんを監視している。お偉いさんの仕事にケチをつける気はない。威張ってるように見えて、彼らも色々大変だし。
 閑話休題。
 私は情報局の依頼で、ハルくんに監視用ロボットをつけた。それが皐月である。私も個人的な研究の成果として、皐月を作った。意志を持つ機械。皐月のコアの一部は、オリジナルコアの破片である。人間が人間と同じものを作るのには、まだ反則を行わなければならない。圧倒的な技術力不足。謙虚にその事実を認めよう。
 今後何か特別なことが起こることはないだろう。調停者の考えることはよく分からないが、人間に不利となることはしない。これは断言できる。
 ハルくんには皐月との日常を送ってもらうことにする。皐月には自分の任務を知らせていない。無意識下にプログラムとして組み込んであるだけ。知っても意味はないし、ハルくんに余計な干渉をすることになってしまう。
「それでは、私の友人に幸あれ」
 私はパソコンを落とした。
 さってと、昼飯ー。

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