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第2話 帰宅 |
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玄関を開け、俺は部屋へと入った。 「ただいまー」 「おかえりなさーい」 背後で皐月が呟く。おざなりな口調。 俺は振り返って皐月を見つめた。訊く。 「何で?」 「メイドは帰宅したゴシュジンサマに挨拶する。当然でしょ?」 ウインクしながら答える皐月。だが、ご主人様の部分が棒読みだった。敬意を感じられない。というか、こいつが敬意を払ってるのはハカセであって俺ではない。 俺の胡乱な目付きに、すまして答える。 「男が細かいこと気にしちゃ駄目だよ」 ぺしぺしと俺の肩を叩いてから、、真横を通り過ぎ玄関に入った。 十階建てのマンションの七階704号室。間取りは2DK。学生の下宿先としては標準的だろう。玄関から見えるダイニングキッチンを一瞥。 「おじゃましまーす」 あっけらかんとした挨拶。靴を脱ぎ捨て、ハカセから貰った紙袋から、室内用の靴を取り出した。それに履き替えて、勝手に上がる。 俺は靴から室内サンダルに履き替え、後を追った。 「おい。待てよ」 「普通の部屋だね」 部屋を見回しながら、皐月は不満そうに口を尖らせる。ベッド、机、パソコン、本棚、テレビ。ごく普通の学生の部屋だ。高価な物は置いてない。 「ぐっちゃぐちゃに散らかった部屋とか、逆に潔癖症なくらいに整頓された部屋を想像してたんだけど。何というか、面白味のない部屋……」 「悪かったな」 整理整頓は人並みにしているつもりである。一、二週間に一度は掃除もしているので、月並みな部屋だ。驚くような部屋ではない。 「うーん」 唸りながら、俺の寝室へと足を運ぶ。 ぐるりと部屋を見回してから、迷うこともなく本棚に移動。一番下の百科事典を掴み、ひっくり返す。三冊の本が床に落ちた。俺の秘蔵エロ漫画。 「やっぱり隠し場所も月並みだね」 「その行動に意味はあるのか?」 冷淡に訊く俺。 皐月は漫画を手に取ってから、ぱらぱらとページをめくった。読んでいるようには見えないが……。機械的な口調で、呟く。 「視覚センサーによるスキャン終了……画像データ修正。無線接続にてサーバーにアクセス。データ共有ソフトに侵入。個人情報と文章を添付し、デ――」 「おおりゃあああ!」 叫びとともに放たれた俺の蹴りが、皐月を吹っ飛ばす。床に落ちる漫画と、ひっくり返る皐月。しかし、人間離れした体捌きで一回転してから起立した。 「堂々と著作権侵害するな。個人情報漏洩するな!」 「えー。ちょっとしたお茶目じゃない」 両手を胸の前で握り締め、首を振ってみせる。 普通なら可愛い仕草だろう。だが、堂々と違法行為を行おうとした直後に言われると、挑発しているようにしか見えない。というか、挑発している。 「お前なぁ」 拳を握り締めて唸る俺。 皐月は両手を下ろすと、滑るように近づいてきた。 「それより、今の蹴りで壊れたらどうするの? わたし、こう見えても八千万クレジットくらいの価値はあるんだよ。あんた弁償できる?」 口元に怪しげな微笑を浮かべる。八千万クレジットもあれば、一生食うに困らぬ生活が出来るだろう。逆に一般人が生涯かけて稼ぐ金額を上回る。 だが、俺は悠々と答えた。 「ハカセの作る物はどれも頑丈だ。俺が蹴ったくらいじゃ壊れない。それに……コアさえ無事ならいくらでも修理できる。それがアンドロイドだ!」 皐月の眼前に指を突きつける。 指から放たれる力――と呼ぶべきか、そんな気迫に気圧されて、皐月は半歩退いた。冷や汗を流しながら……実際には流してないが、そんな雰囲気で反駁する。 「修理代はどうするの?」 「ハカセが出してくれる」 俺は答えた。壊れても修理代はいらないと言われている。もっともハカセの作ったものが壊れたことはないので、事実かどうか確認しようもない。 「ああ……」 皐月はその場に崩れ落ちる。えらく芝居がかった動きで、膝を折り、床に座り込む。ポケットから取り出したハンカチで目元を拭った。涙は出ないが。 「わたしはこれからこの何の取り柄もない、駄目ハーレムアニメのヘタレ主人公のような青年に奴隷のようにこき使われて壊れて朽ち果ててしまうのね。でもハーレムアニメじゃないから女の子はわたしだけ。とても哀れ」 「酷い言われ用だな」 俺の言葉は無視し、立ち上がって両腕をすっと伸ばす。何かを受け止めるように。しかし、鳩時計のような軽薄さを以て。 「そして、棄てられたわたしは心優しい機械技師の青年に拾われ修理され、その青年と一緒に平穏な日々を送るハートフルストーリー。でもある日、こいつがわたしを奪い返そうと現れ、決闘に……。唸る拳、飛び散る鮮血、そして男同士の戦いからかつての横暴な主人は斃れ、わたしは新たなご主人様との愛に満ちた暖かい日常へと戻っていく……」 両手を組んで、夢見る乙女のように瞳をきらきらさせていた。妄想するアンドロイドって……不思議なものだな。性能としては凄いんだろうけど。 「気は済んだか?」 「うん」 腕を下ろして頷く。 皐月は軽く周りを眺めて、 「えっと、メイドの仕事って言うと掃除と洗濯、料理……何からやる? ちなみに、夜のご奉仕などといった性的な機能は一切実装されておりませんのでご了承下さい」 「そういうのは期待してないぞ」 俺はさらりとに言い放った。 沈黙は一瞬。 ヒュン。 音を立てて空を切る裏拳。寸前で一歩下がっていた俺。 「ちっ」 「これでも格闘技は囓ってるんで」 舌打ちをする皐月に、軽く告げた。 近くに住む古書屋のじーさんから教わった拳法。旧世界の拳法で、殺人技法らしい。事実かどうかは知らないし、囓った程度だからケンカが強いくらいだけど。意味もなく格闘技など覚えてしまうオタクの性……。 「夕飯まで時間あるし、まずは掃除かな」 何事もなかったかのように、頷いている皐月。 こいつは、遊んでるのか? ……遊んでるんだろうなぁ。 俺の心中をよそに、部屋の隅に置いてあった室内用の箒を手に取った。片付けているとはいえ、多少は埃やゴミが落ちている。 「というわけで、わたしが掃除してるから夕食の材料買ってきて」 「買い物までやってくれるんじゃないのか?」 俺の問いに、びしと指を突きつけてきた。 「それくらい自分でやりなさい」 ま、忠実なメイドというわけでもないしな。自分の仕事くらいはやらないと。他人任せの生活だと、だれるからな。しかたねーかー。 俺はテーブルに置いてあった手製の買い物袋を掴み、財布を放り込んだ。 玄関からちらりと背後を見やる。 「言っておくが、同人誌とか文庫本とか勝手に捨てるなよ」 「だいじょーぶ。わたしに任せなさい」 箒を振りながら、皐月は笑った。 「言動はふざけてるけど。ハカセが作ったものだし、心配することないだろ」 俺は強引に自分を納得させると、ドアを開けて外に出た。鍵を閉め、とことこと廊下を歩いていく。時間は午後三時前。空は晴れ。 エレベータで一階に下りて、外へと出た。 きれいに手入れされた庭。視界の端っこで庭師ロボットが植木の手入れをしている。自分にはありふれた光景だが、ハカセはなんとなく不自然さも覚えているらしい。旧世界の人間が作ろうとした夢物語が我々の住む現在だ――とかなんとか。 俺には難しい話はよく分からん。 そんなことを考えていると、 「おーい」 皐月の声。 足を止めて見上げる。ベランダから手を振っていた。 「忘れ物ー」 手に握られているのは財布。 財布? 俺は手提げに手を入れた。部屋を出る際に、財布を入れたはずである。だが、入れたはずので財布を取り出してみると、それは財布ではなかった。 「カード入れ?」 財布と一緒に置いてあったもの。学生証や近くのレンタルビデオの会員カードなどが入っている。財布ではないので、現金は入っていない。 考えごとしていて間違えたか。 「いつも確認しているのに……俺不覚」 また取りに戻るの面倒だなぁ。 俺はマンションの方へと歩き出そうとして、皐月の行動に動きを止めた。 ベランダの手すりに足をかけ―― 跳んだ。 ………え? 跳んだ。七階のベランダから、躊躇無く。 俺が思考停止している間に、皐月は表情ひとつ変えずに落下してくる。滞空時間は二秒ほどだろう。だが、俺には十秒以上の長い時間に思えた。 タンッ。 軽い音を立てて、着地する。 膝と腰を折り曲げ、衝撃を吸収していた。 だが、七階から飛び降りて平気なものではない。人間ならばよほどの訓練を積んだ者でない限り、骨折しているだろう。普通なら命はない。アンドロイドでも壊れる。ハカセの作るものが頑丈といっても、限度がある。 動き出した思考をよそに、皐月は何事もなかったかのように俺に向き直った。 「はい、忘れ物」 放り投げてくる財布。 それを受け取ってから、俺は尋ねた。 「お前、大丈夫なのか?」 自分でも間の抜けた表情だと思う。 皐月は笑いながら、ぱたぱたと手を振った。 「平気へーき。わたしの運動性能は、戦闘用アンドロイド超えてるから」 「平然と言うなよ」 「マスターが作ったものだから当然でしょ? あの人の技術力は世界一だから。でも心を持ったアンドロイド作るっていう当初の目的半分くらい忘れてるよね、マスター……。ドリル装備は男のロマンって……。断ったけど」 明後日の方を眺めて、皐月は目蓋を下ろした。 確かに、皐月はメイド用のアンドロイドではない。ハカセが心を持つ機械を作るため、その一環としてメイドとしての機能を持たせただけだ。ハカセの技術力を以てすれば、無駄に高性能な代物が出来るだろう。 「じゃ、買い物頑張ってねー」 手を振りながら、皐月はマンションの入り口に歩いていく。 首を振ってから、俺は買い物に向かった。 追記。 買い物から帰ったら、ドアの前で皐月がいじけてた。 鍵なくて、部屋に入れなかったらしい。 |