Index Top 第6章 鋼の書

第2節 それぞれの切り札


 一矢は原稿用紙を取り出した。失敗は許されない。
 数歩前に進むと、シギは錠前を外した。それを後ろに放り投げる。
《地面に落ちた錠前。それを引き金に変化が始まった。
 銀髪がうねり、爆ぜるように伸びる。身体も見る間に巨大になり、風貌も獣じみたものへと変わっていった。白い民族衣装が身体に吸い込まれるように消えて、手足の爪が伸び鋭利な輝きを帯びる。闘志に燃えた形相も獰猛なものへと変貌していった。
 それは、白銀色の魔獣――。背丈は人の二倍半ほど。二本足で立ってはいるが、風貌は完全に獣のそれである。猛獣を思わせる凶暴な形相に、生い茂るように伸び乱れた銀色の髪。巨岩の如く重厚強靭な肉体と、手足に生えた刃物の爪。凄まじい威圧感と迫力が、全身から放たれている。真紅に染まった双眸には、強靭な意思が灯っていた。
 その身体から、純白の神気が業火の如く燃え上がる。
 シギは傍らに刺さった大剣を掴んだ。それを横に一振りする》
 原稿用紙が手から放れ、半壊した城の方へと飛んで行き――
 シギが吼えた。
「封印は解かれた! 我が名はディアデム――! 暗黒の深淵より生まれし、破滅の魔獣なり! 我は絶望と憎悪の化身! 我が前に立ちはだかる愚か者は、我が滅びの力を以て灰燼に帰す――」
 巨岩が砕けるような大声。その口調も、シギとは似ても似つかない。物理的な圧迫感を覚えるほどの殺意と憎悪が、背筋を凍りつかせる。
「………」
 それはシギではなかった。魔獣ディアデム。
「シギさん!」
「暴走している。聞こえない」
 駆け出そうするメモリアを、アルテルフが止める。
 シギ――否、魔獣ディアデムを見つめ、一矢は息を呑んだ。足元に落ちた錠前を拾い上げ、自問するように呻く。
「何で……何で、暴走するんだ? 僕は、ちゃんと書いたぞ!」
「書き忘れよ!」
 叫んだのは、テイルだった。ディアデムの神気が生み出す風に飛ばされないように、一矢の肩に掴まっている。激怒した口調で続けた。
「あなた……! あの原稿用紙にシギが理性を保ってることを示す文を、一行も書いてなかったわ! 呆れるくらい根本的な失敗よ! あなた、シギを強くすることしか考えてなかったでしょ!」
 テイルの言葉が、頭に響く。確かに自分は、シギを強くすることしか考えていなかった。そのせいで、理性を残すことを忘れていた。テイルの言う通り、呆れるくらいに根本的な失敗である。
「……どうすればいい?」
「鋼の書を取り戻して、何とかするしかないでしょ! 放っておくと、あたしたちがシギに殺されるわよ!」
 ディアデムが動いた……。
 瞬きひとつ分の時間で、エイゲアに接近する。その速さは、人間の知覚の限界を超えていた。敵の胴体を輪切りにするような軌跡で、大剣を振るう。
《エイゲアは、右腕で剣を受け止め》吹き飛ばされた。巨大な身体が紙くずのように飛んでいく。崩れかけの城を破壊し、城壁を突き破り、外の草原まで転がっていった。
「この世界に、我を超える者など存在しない! たかがディーヴァ程度の力で、我と戦おうなど、まさしく笑止なり!」
 大剣を持ったまま、ディアデムがエイゲアを追う。どうやら、エイゲアしか目に入っていない。エイゲアを殺すまで、自分たちに攻撃がくることはない。
「何て、力だ……」
 崩れた城の影から、ハドロが姿を現した。怪物二体の向かった方を一瞥してから、左手に持った鋼の書を上着の懐にしまう。やはり、鋼の書で干渉していたらしい。
 ハドロは一矢たちに視線を向けてきた。殺意のこもった冷たい眼差し。
「………」
 反省する時間も、後悔する時間も与えられない。
「僕たちも、戦闘開始か」
 アルテルフが呟き、走り出す。ここから銃撃しても、弾丸は当たらない。
 一矢は錠前をマントのポケットに放り込み、原稿用紙を取り出した。
「もう、失敗は許されないからね」
 テイルが釘を刺してくる。もう後はない。これを失敗したら、自分たちに勝機はなくなるのだ。自分たちは殺され、この世界は破綻する。
「絶対に、負けられない」
 杖を握り締め、メモリアが自分に言い聞かせるように言った。
 ハドロが呪符を取り出す。その数、十枚。
 アルテルフが足を止めた所で、一矢とメモリアも立ち止まった。距離は約二十メートル。リボルバーの有効射程距離である。
 一矢の手元を見つめ、ハドロは心底面白いといった笑みを浮かべた。
「それが、噂の原稿用紙か」
「………」
 一矢は声に出さずに呻く。原稿用紙のことは知られていた。ノヴェルが話したのだろう。とすると、ハドロは何かしらの対策を練っているはずである。
「アルテルフ。お前は、俺を殺す気か?」
 一矢から目を離し、ハドロはアルテルフを見やった。
 アルテルフはリボルバーの銃口をハドロに向ける。あくまで冷静な声で、
「僕は処刑人ではない。あなたには、正規の裁判を受けてもらう」
 言いながら、引き金を引く――寸前に、
「デッドエンド・プリズン!」
 ハドロが叫んだ。呪符から、純白の閃光がほとばしる。しかし、それはただの光だった。熱も冷気も電気も風も、何も感じない。一瞬だけ辺りを照らし、暗くなる。
 カチ、と撃鉄が鳴った。が、弾丸は撃ち出されていない。
 アルテルフは次弾を撃つことなく、リボルバーを懐に収め、
「とんでもない魔法を使ったね」
 失笑混じりに唸る。右半身を引き、何やら構えを取った。

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12/6/17