Index Top 第2章 進み始める世界 |
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第6節 鋼の書の力、そして欠点 |
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自分がこれほどの傷を負うと思っていたか。 答えは、否。 現実世界では、交通事故にでもあわない限り、大怪我など負うことはない。 この空想世界においても似たようなものだと思っていた。それは驕りだと、今なら断言できる。小説の使者と名乗る男の言った通り、ここで物語を作るのは命懸けなのだ。それをこの上なく再確認させられる。 「うう」 馬車の荷台で、一矢は緩慢に上体を起こした。 全身に違和感を覚える。自分が寝ているのは、馬車の荷台だった。見下ろすと、身体と左上腕に包帯が巻かれていた。服は着ていない。 「起きたか……」 「大丈夫、イッシさん?」 御者台に座ったシギとメモリアが、振り返ってくる。 テイルは傍らに置かれた木箱の上に座っていた。その横には、鋼の書が無造作に置かれている。ちょっとだけ心配のこもった口調で呟いた。 「一時は、死ぬかと思ったわよ」 「あいつらの使ってた武器が安物で、よかったよ。傷は深かったが、メモリアの魔法で何とか塞がった。俺が回復用の気術を使えればよかったんだが、俺は回復の手段を持ってないからな……」 すまなそうに、シギが言ってくる。 それに続くように、メモリアが呟いた。疑問符を浮かべて、 「イッシさん、鋼の書を使って戦ったんだよね。なのに、どうしてこんな大怪我したの? 鋼の書って、自分が願ったことを起こせるんでしょ?」 視線を向けられたテイルは、申し訳なさそうに答える。 「理屈じゃそうなんだけど……手元から離して鋼の書を使うのには、欠点があるのよ」 「欠点?」 「鋼の書を開いてみれば、分かるわ」 言われた通りに、一矢は鋼の書を手に取った。身体を動かすだけで、傷口が傷む。が、痛みは無視。鋼の書を開き、ぱらぱらとページをめくると、 「これか……」 一矢は呻いた。鋼の書を使って戦った部分に、取り消し線が引かれている。振り下ろされた剣を躱す箇所と、突き出された槍を刀で受け流す箇所、ボウガンの矢を弾く箇所。それらは、傷のある場所と一致していた。 「鋼の書を使っても、できないことはできない。それに、鋼の書を見ながら文章を書き込む時は、取り消し線が引かれてもすぐに訂正できるけど、鋼の書を置いて文章を書き込むと、取り消し線が引かれても気づかないのよ。書かれた文章が見えてないから」 「そういうことは、先に言え……」 「うう。ごめんなさい」 一矢に睨まれ、テイルは慌てて頭を下げた。 「それよりも――」 話を断ち切るように、シギが強い口調で呟く。何か言いたいことがあるらしい。口調からするに、相当大事なことだろう。 「問題は、何であの擬似生物が鋼の書を奪おうとしたかだ。鋼の書の存在を知ってるのは、俺たちだけのはずなのに……」 「そう……だな――」 一矢はためらい気味に呟いた。鋼の書がこの世界に現れたのは、一昨日。それからここにいる二人にしか、鋼の書のことは話していない。 ましてや、顔を合わせたこともないハドロとやらが、鋼の書を知っているはずがないのだ。なのに、ハドロの作った擬似生物は、鋼の書を奪おうとした。 「俺たちの居場所を突き止めたのは、俺たちの知らない探索の方法を使ったんだろ。そんなことは、どうでもいい」 吐き捨てるように、シギが言う。 「重要なのは、ハドロが俺たちが鋼の書を持っていることを知っていることだ! 奴が鋼の書が現れたことを知ってるはずがないのに!」 叩きつけるように、呻く。 ハドロが鋼の書がここにあることを知る手段はない。だが、ハドロは鋼の書を狙ってきた。ありえないことが起こっている。 「どうして鋼の書のことが分かったのかな?」 誰へとなく、メモリアが問いかけた。 「その答えは……」 一矢は鋼の書を開いた。何か書かれていない箇所が三箇所ある。一章の最後、買い物する場面の前、この会話の前。ここで自分たちに関係ある誰かが動いている。 「この空白のページにあると思うんだけど……読めないからな。どうにかして、読めるようにならないか?」 言いながら見やると、テイルは首を横に振った。 「ここで何があったか分かれば、読めるようになるわ」 「それじゃ、意味ないな――」 シギが呻く。書かれていることが分からなければ、書かれていることは読めない。鋼の書は万能ではないのだ。できないことはできないし、分からないことは分からない。 思いついて、一矢は呟く。身体の傷を包帯の上から撫でつつ、 「鋼の書が、何か特別な力とか放ってるんじゃないか?」 鋼の書は現実を書きかえる力を持っている。ならば、自分には分からない特別な力があるかもしれない。ハドロはそれを見つけたのかもしれない。 そう思ったのだが…… 「それはないわ」 テイルがすぐさま否定する。 続いて、シギが言った。左手を上げて、 「俺が見ても、これはただの本だ。現実を変えるなんてとんでもない能力を持ってるっていうのに、本からは何の力も感じない。お前はどうだ?」 「何も感じないよ。何かされた痕跡もないし。ただの本だよ」 メモリアも首を横に振る。 |
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