Index Top 目が覚めたらキツネ

第5節 名前はカルミア


「日暈慎一だ」
 訊かれて、慎一は素直に名乗った。真名ではないので隠す理由もない。
「ヒガサ……シンイチ」
 妖精はその名を噛み締めるように繰り返す。今までの明るい態度とは違った、感情の見られない口調。機械的に読み上げるような、何かを思い出そうとするような。
 しかし、すぐに表情を明るい笑顔へと戻した。
「シンイチさん、素敵な名前です」
 自分の胸に手を当て、自己紹介をする。
「わたしは、カルミアです。よろしくお願いします」
「よろしく」
 応えるように、慎一は笑った。
 だが、笑みを引っ込め、カルミアを見つめる。
「さっそくだけど、君は何なんだ? 妖精みたいな外見だけど、本物の妖精じゃないよな。妖精がゼンマイで動くなんて聞いたことないし」
 差し出した左手に降りるカルミア。手首に微かな重さがかかる。
 自分の両手を見つめてから、首を貸しげた。
「何でしょう? わたしも分かりません」
「分からないか……」
 しかし、おそらく魔術人形だろう。生物のように動く魔術の機械。ゴーレムのような大雑把なものから、本物の生物と変わらぬ人工生命まで。ただ、妖精ほどの小さな身体に術式機構を組み込むのは、高度な技術が必要だった。
「どこで生まれたとか覚えてないか?」
「うーん」
 慎一の問いに、腕組みをする。初めて動いたのか、以前のことを忘れてしまったのか、推測する材料もない。分らないものを詮索しても仕方ない。
 日本語を喋っているので、日本にいたことはあるのだろう。
「無理に答えなくていいよ」
 考え込むカルミアに、声をかける。思い出せないことを無理に思い出そうとするのは、心身ともに疲れるだけである。急を要することもないので、思い出す必要もない。
「すみませんです」
 カルミアは残念そうに両手を下ろした。
 ふと思いついて慎一は一度頷く。話題を変える必要があるだろう。
「そうだな。後で驚かれても困るから、僕の正体明かしておくよ」
「正体ですか?」
「ああ。変化の術で化けてる」
 そう告げてから、カルミアを卓袱台に下ろした。
 ふっと息を吐いてから術を解く。変化する過程を逆回しにするように身体が組み変わっていき、三秒ほどで狐神の女へと戻った。
「こんな感じ」
 頭を振って銀髪を散らし、慎一は両腕を広げる。
 カルミアは目を丸くしていた。
「すごいです……」
 呟いてから、ふと首を傾げてみせる。
「でも、何で人間の男の人の姿をしてるんです?」
「僕は一週間前まで人間だったんだよ」
 慎一はカルミアの問いに答えた。
 だが、疑問は大きくなったらしい。混乱したように頭を押さえる。
「え? えと?」
「僕は元々人間だったんだけど、事故で死んじゃったんだ。そこで、狐神の身体に魂を移して、何とか生き延びた。でもやっぱり無茶したらしく、この身体から別の身体に魂を移すことは出来ないって言われたよ」
 慎一は手短に説明した。
 宗次郎のお使いや草眞のことは省く。経緯を延々と説明しても、一度には理できないだろう。暇があれば、ゆっくり話せばいい。
「シンイチさん、大変ですねぇ」
 カルミアは腕組みをして頷いている。
「色々あるけど、特別困ることはないさ――」
 慎一は笑った。今のところは致命的な問題は起こっていない。朝起きるのがやや辛く服装に苦労することくらい。ただ、面倒なことが増えた気がする。
「……カルミア」
 思いついて、慎一は囁く。
「何ですか?」
「あっち向いててくれないか?」
「何です?」
 意図が読めないカルミアに、続けて言う。
「着替える」
「……! 分かりました」
 慎一の言葉に慌てて背中を向けた。目も瞑っているようである。
 慎一はタンスを開け、スポーツブラを取り出した。
 当たり前だが、男だった時はブラジャーを着けたことがない。草眞に着けやすいものがいいだろうと言われ、スポーツブラを渡された。激しく動き回ることもあるので、普通のものでは不便である。女物の下着は未だに抵抗感を覚える。
「女って大変だ」
 慎一はシャツを脱ぎ、スポーツブラを頭からかぶる。両腕と頭を通し、長い髪を手で後ろに払ってから、アンダーを胸の下まで引き下げた。両乳房をカップに納めから、両腕を動かす。異常なし。
 最後にシャツを着込んで、慎一はカルミアに声をかけた。
「もういいぞ」
「はい」
 振り返るカルミア。
 まじまじと慎一の姿を見つめる。
「服装変わってませんよ」
「下着つけたんだよ。つけてないと胸の辺りがむずむずする。それに、肩重いし、動いた時に邪魔だし、寝るとき息苦しいし。女ってホント大変だ」
 自分の胸を撫でながら、狐耳と尻尾を垂れさせた。
 肉饅ほど大きさで、柔らかさも似たようなもの。健全な成人男子ならば、女の胸を触ってみたいと思うだろう。だが、元々女に興味は薄いし、自分の胸を触っても嬉しくない。普段から胸に重りをつけているようで、不便でもある。
「シンイチさん、大変ですね」
 カルミアが自分の胸を触った。
 ぺったんこの胸板。慎一のような苦労はないだろう。そんなことを考えていると、カルミアがジト目で見つめてくる。顔に出てしまったらしい。
「すまん、すまん」
 誤魔化し笑いとともに、慎一は右手を動かした。ここまで話を逸らせば、自分のことを思い出そうとするのは忘れただろう。
 再び話題を変える。
「カルミアって何食べるんだ?」
「……何でも食べますよ」
 カルミアは答えた。どこか怒ったような声。
 尻尾を一振りして、慎一は手を伸ばす。卓袱台の上のクッキー。結奈が置いていったもの。箱を開けて袋を切り、中身を取り出す。三百円ほどのやや高めもので、洒落た紙のケースにチョコクッキーが十枚納められていた。
 ぱっと表情を輝かせるカルミア。
「食べられるか?」
 クッキーをひとつ摘み、目の前に差し出す。
 カルミアはクッキーを受け取り、齧り付いた。頬を染めて微笑む。
「はい。甘くておいしです」
「よかった。でも大きいから全部食べられる、か……」
 あっという間に一枚食べてしまう。人間ならば、お盆ほどのクッキーを食べるようなものだろう。だというのに、十秒もかからず腹に収めてしまった。
「もっと食べていいですか?」
「……いいぞ」
「ありがとうございます」
 カルミアはクッキーを手に取り、物凄い速度で食べていく。
 呆然と見つめているうちに、一枚、また一枚とクッキーが消えていった。自分の身体よりも大きい体積を、苦もなく身体に収めていく。
「どういう構造なんだ?」
 慎一は尻尾を曲げた。理解できない。
 一分ほどでカルミアはクッキーを食べ終わる。ゼンマイの下に手を差し入れ、お腹を撫でた。表情からするに、満足していない。
 クッキーの紙箱を掴むと、躊躇なく食べ始める。
「待て。それは食い物じゃないぞ!」
「大丈夫です。わたしは何でも食べられますから」
 慌てる慎一に、笑顔で答えるカルミア。
 

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