Index Top 目が覚めたらキツネ |
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第1節 新しい自分と終わった出来事 |
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姿見に映る自分に、慎一は問いかけた。ハスキーな女の声。 「これが僕か?」 二十歳ほど女である。可愛いというよりは凛々しい顔立ち。身長は約百七十五センチ。腰まで伸びた髪と長いもみあげは、きれいな銀色。驚きに見開かれた瞳は、鮮やかな深紅。細身ではあるが、メリハリのついた体付きで、水色のパジャマを着ている。 見慣れぬ八畳間。どこかの日本家屋の一室。漂う森の匂い。 「これが、僕なのか……?」 姿見の枠を掴み、顔を近づけ、慎一は再び自問した。 日暈慎一。十九歳。早瀬工科大学二回生。退魔師日暈一族宗家の次男。 性別、男。種族、人間。 自分の情報をつらつらと脳裏に並べてみる。 だが、鏡に映るのはどう見ても女だった。 人間ですらない。 「狐、きつね、キツネ――」 頭には大きな銀色の狐耳、先端が黒い。腰の後ろには床に届くほどの銀色の尻尾。こちらは先端が白い。力を入れると、ぴこぴこぱたぱたと動く。 慎一は尻尾を腰の前まで持ってきた。 左手で抱え、右手で絹のような毛を撫でる。人間にとって尻尾は未知の器官。撫でるたびに、ぞわぞわとした悪寒のようなものが背筋を駆け上る。 「ううぅ」 慎一は尻尾から手を離した。くすぐったい。 今度は頭の狐耳を摘んだ。先端を摘んで左右に動かしてみる。作り物ではなく、本物だった。神経は通っているが、聴覚はないようである。 横の髪をどけると、人間と同じ位置に人間と同じ耳があった。触ってみると、こちらは聴覚もある。知ってはいたが確認のためだ。 「狐神?」 名前の通り、狐の神である。匂いからするに妖狐族ではない。銀色の髪と尻尾からするに、通常の黄色い狐よりも珍しい銀狐だろう。 「何なんだよ……」 眼が覚めたら身体に違和感を覚え、立ち上がったら近くに姿見があった。鏡に映った狐の女。現状が理解できずに十秒ほど思考停止していたものの、それが自分であると認識する。恐慌状態には陥らなかったものの、現状を把握出来ているわけではない。 「何で僕が狐神になってるんだよ?」 「すまぬ。わしのせいじゃ」 突然の声に振り返る。 十五、六歳ほどの少女が立っていた。しかし、年齢に似合わぬ老成した雰囲気を漂わせている。膝の辺りまで伸ばした銀髪。狐耳と尻尾が一本。淡い灰色の着物を着ていた。狐神の少女――ではない、年齢は九百歳に届くだろう老弧。 「草眞……さん?」 慎一は呻いた。 狐神族第三位の七尾の銀狐。神界でも名の知られた狐神である。初めて会うが、顔と名前は知っていた。 「挨拶は抜きにして、手短に言う」 草眞は視線を反らしながら、言った。 「おぬしは一度死んだ。六牙と戦ってな」 「死んだ……?」 突拍子もない言葉に、慎一は首を傾げる。 ゴールデンウイークの二日目。教授に頼まれ、群馬県の山奥の神社に出掛けた。ぼんやりと思い出す。目的は神社に保管されている古書の写本。写本を無事に受け取り、その帰り道で見えない何かに車をぶつけた。 そこで記憶が途切れている。 「あれ? 僕は――」 「奇襲式神兵、六牙。高い戦闘能力に加え、感知不可能の特性を持つ。誰にも気づかれず標的を仕留めることが可能。わしが主導で三十年かけて作り出し、一週間前に設計図を神殿に提出した」 読み上げるように説明する草眞。 「奇襲式神兵が何であんな所に?」 平たく言えば、見えない強襲戦車のようなもの。人格を持たず、使役者の命令に従うように出来ている。苦痛を感じず戦闘に特化した強さは、まさに怪物だ。 「わしの隠れ家から逃げ出した試作用じゃ。初期不良じゃろう。探していたら、立て続けに爆発音が聞こえて……駆けつけてみたら、お主と六牙が刺違えておった。その場に残っておったお主の魂を、屍魂転生の術でわしの尻尾から作った分身に移した」 「僕の身体は、今どこにあります?」 「頭と右肩を残して消し炭になっておった……。奧の部屋に保管してある。見たいというなら見せるが、修復出来る状態ではない」 慎一の問いに、草眞は陰鬱に首を振る。 「いや。身体を修復しても、どうにもならん。人間の魂と神の身体を儀式もなしに繋いだせいで、齟齬が起こった。今の身体から魂を引き離すことが出来なくなったのじゃ。無理に引き離したら、魂が壊れるじゃろう」 「ええっと……」 慎一は口を開いた。言葉を選びながら視線を巡らせる。 つまり、元に戻れない。変わりの身体を作り、そちらに魂を移すこともできない。これからは狐神の女として生きていかなければならない。 「僕は日暈宗家の次男なんですけど……」 日本の退魔師を統べる守護十家。その戦闘担当の日暈家。表には出ないが、権威の高さは折り紙付きだ。宗家の次男ともなれば、並の政治家よりも地位は高い。 草眞を見つめ、慎一は呟いた。 「それって大問題ですよね?」 「大問題じゃな。ホント」 泣きそうな顔で、草眞は乾いた笑みを見せる。 |