Index Top 我が名は絶望――

第4節 無意味な後悔


「準備運動は終わったな」
 森の中を歩きながら、セインズは両腕を動かした。長年封印されていたせいで、始めは身体が重かったが、今は昔と同じように動くことができる。
 辺りは夜の闇に包まれていた。明かりといえば、木々の隙間から差してくる星明りくらいである。魔法で明かりを作ろうと思えば作れたが、今でも十分見えるので別に作ることもないだろう。
 セインズは右手を見やった。
 右手には、黒曜の剣が握られている。その黒い刀身は、闇の中でさえ見える漆黒の輝きを宿していた。剣に取り込んだ命の輝き――。
 セインズは黒曜の剣を横に振った。手近に立っていた木の幹が抵抗もなく斬れる。
 耳障りな音を立てて倒れる木をよそに、セインズは辺りを見回した。
「とりあえず、この辺りにするか」
 呟きながら、足を止める。周りには鬱蒼とした針葉樹の森が広がっていた。これは、さっきから変わらない。見える風景も同じである。
「あの失敗作が回復してから、ここに来るまでどれくらい時間がかかるかな? ま、待っていればそのうち来るだろう」
 言って、セインズは左手を上げた。


 そこは血の匂いに満ちていた。
「酷い……」
 口元を押さえて、ミストが呟く。
 そこは、クロウの部下たちと戦った草地だった。そこにはクロウの部下たちが倒れ伏している。そこにいる全員の身体は、ずたずたに斬り裂かれていた。無論、ディスペアがやったものではない。
「死んでいますね――。これは、即死でしょう」
 手近な男を調べて、フェレンゼが言ってくる。それは言うまでもなかった。ここにいる全員が疑問の余地なく死んでいる。
「これも、あのセインズがやったの?」
 ミストの問いに、ディスペアは唸るように答えた。
「ああ。奴以外に誰がいる……!」
 近くにあった木に、怒りに任せて空いた右拳を叩きつける。痺れを伴った鈍痛が、拳から肩へと跳ね返ってきた。
 ディスペアは奥歯を軋らせ、
「セインズは罪悪感というものを持っていない。人を殺すことを何とも思っていないんだ。それどころか、明らかに人を殺すことを楽しんでいる」
 草地に散らばった死体を見やる。
 死体の有様は様々だった。胸を一突きにされた者、袈裟懸けに斬り捨てられた者、首を斬り落とされた者、胴体を上下に断たれた者、脳天から股間まで縦に両断された者までいる。なぜか魔法で殺された者はいない。
「こいつらを殺すのも、奴にとっては遊びか暇つぶしのようなものだ」
 死体の間を縫うように歩きながら、ディスペアは険悪に呻いた。セインズが黒曜の剣を振るい、ここにいた人間を次々と虐殺していった様子が脳裏に浮かぶ。人を殺すためらいなど、微塵もないだろう。
「もし――」
 ミストがおずおずと言ってくる。
「あいつが……セインズがこのまま世に出たら、どうなるの?」
 答えは訊かずとも分かっているはずだ。が、訊かずにはいられなかったのだろう。
 草地を抜け、再び木々の隙間に入る。
 ディスペアは冷淡な口調で答えた。
「まず、近くにある村や町が壊滅させられる。次いで、それを察知して駆けつけた軍隊と衝突。その軍隊の半分を殺したくらいで、とりあえず奴は姿をくらます。あとは別の村や町を壊滅させて……その繰り返しだ」
 話を進めるにつれて、怒りがこみ上げてくる。抑えようにも、自制が効かない、。それは、セインズに対するものと、自分自身に対するものだった。
「今の時代に奴を止めるフルゲイトはない。現在ある魔法を組み合わせて、奴を封印するなり殺すなりするまで、数十年の年月がかかるだろう。少なくとも、その被害は六百年前の暴走よりも二桁大きい」
 言い終わり、ディスペアは左手に持った硝子の剣を力任せに横に振るう。幹を断たれた二本の木が、悲鳴のような音を上げながら斜めに倒れていった。
「このまま放っておけば、一万を超す人間が殺される」
 言いようのない怒りが湧き上がってくる。
「俺は、愚かだった……!」
 握っていた右手を開き、ディスペアは鋭く囁いた。痛いほどの悔しさが胸を満たす。フルゲイトの戦士としてこの世に作り出されてから約六百年、これほどの後悔を覚えたことはなかった。
「セインズの封印は、解くべきではなかったんだ。あの時、俺は殺してでもクロウを止めるべきだった。セインズを復活させてはならなかった……!」
 叫ぶが、どうしようもない。セインズの封印は解かれてしまっている。今さら何を以てしても、その事実を消すことはできないのだ。
「ディスペア……」
 ミストが哀れむように呟く。
 ディスペアはきつく目を閉じた。
「俺は……憎しみに流されて、セインズを解き放ってしまった。サニシィの敵討ちなど考えるべきではなかった……。サニシィは、自分の敵討ちなど望まない……。それなのに俺は、後先考えずに暴走して……」
「終わってしまったことを悔やんでも、仕方がありません」
 宥めるようにフェレンゼが言ってくる。
 ディスペアは隣を歩いているフェレンゼに顔を向けた。いつもと変わらぬ、涼しげな面持ち。それを見て、乱れていた心が落ち着くのを自覚する。
「そうだな」
「でも、あたしたち、これからどうすればいいの?」
 ミストが呟く。

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