Index Top 我が名は絶望―― |
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第3節 封じられし者 |
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木に背を預けて呆然としているミストを見返し、ディスペアは告げる。 「これで分かっただろう。お前の力ではクロウを殺すことはできない」 「………」 ミストは右脇腹を押さえたまま、何も言わなかった。額には脂汗が滲んでいて、膝は力なく震えている。これでは後ろの木に寄りかかっていなければ倒れてしまうだろう。 その姿を見ながら、ディスペアは左手に持った硝子の剣を一振りした。 「お前とクロウでは戦いの経験に雲泥の差がある。お前は戦いに関する経験が少なすぎるんだ。変則技を使ってクロウを追い詰めることはできても、最後には必ず逆転される。現に、お前は殺されかけた」 さきほどの草地の半分ほどの広さの、狭い草地。宙に漂う魔法の明かりに照らされた石柱と、その横に佇むクロウ。距離は十五メートルほどだろう。地面には色々なものが落ちている。ミストの剣とその鞘、安物のナイフ。ディスペアが投げた細いナイフは地面に突き刺さっていた。斬り飛ばしたクロウの大剣の剣先も、地面に刺さっている。 「もっと早く言うべきだった。復讐などやめておけ。仮に相手を殺しても、後には何も残らない。それどころか、復讐を果たすために全てを失ってしまうだろう。お前にはまだ全てを失っていない。全てを失う前に、復讐は諦めろ」 「どういう、意味よ……それ……?」 苦しげに訊いてくるミスト。 質問には答えず、ディスペアは自分が出てきた木々の隙間へと目を移した。 そこから魔法の明かりが現れる。次いで、フェレンゼが飛び出してきた。息も絶え絶えといった風体ながらも、素早く周囲を見回す。とりあえず、ミストが無事なことを確認すると、安堵の息を吐いた。 「……どうやら、間に合ったようですね……。大丈夫ですか、ミスト君?」 「そんなに……」 脇腹を押さえたまま、ミストが呻く。 その様子を見て、フェレンゼは呪文を唱えた。 「ヒール・ライト」 ミストの身体に、白い光の粒子が降り注ぐ。傷を癒し、痛みを消す回復魔法。 光の粒子が身体に吸い込まれ、ミストは押さえていた脇腹から手を放した。痛みが消えたようである。それを示すように、しっかりと両足で立ち上がった。 ミストはフェレンゼに向き直る。 「ありがとう、博士」 「お礼はいいですよ」 言いながら、フェレンゼは視線を移動させた。それに続くように、ミストも身体の向きを変える。その先には、石柱と、短くなった大剣を持つクロウ。 「どうやら、その石柱にフルゲイトの遺産が封じられているようですね」 石柱を見つめて、フェレンゼが呟いた。 クロウは先のない大剣を構え、半歩退く。追い詰められた表情を見せてはいるものの、その顔には余裕のようなものが残っていた。が、考えは分からない。 フェレンゼは指で眼鏡を動かし、クロウを見据える。 「あなたの負けです、クロウ。あなたの部下たちは、ディスペア君が全滅させました。残っているのは、あなた一人です」 「そうかい」 特に悔やむでもなく、クロウは他人事のように呟いた。部下の安否には、関心がないようである。クロウにとって、部下は駒でしかないのだろう。 フェレンゼは一歩前に足を踏み出す。クロウの横にある石柱を目で示し、 「フルゲイトの封印は非常に強力なものです。あなた一人だけの力では、その封印を解くことはできないでしょう。封印を解くことができなければ、フルゲイトは無価値です。諦めて下さい」 だが、クロウは先の欠けた大剣を横に構えてみせた。その刃が青く輝く。 「私一人では封印を解けない? ……それは違うな。フルゲイトの封印は、私一人の力だけでも解くことができる」 「何ですって?」 半信半疑といった面持ちながら、フェレンゼは警戒の声を返した。懐から三本の投げナイフを取り出す。いざとなれば、クロウを攻撃するつもりらしい。 ディスペアは両腕を下ろしたまま、成り行きを見守っていた。 「お前たちは、フルゲイトの封印を解くのに膨大な手間がかかると思っているだろう。だが、違う。フルゲイトの封印を解くには――」 「その石柱に亀裂一本入れるだけで十分だ」 無造作に放った台詞に、その場にいる三人の目が一斉に自分に向けられる。 だが、ディスペアは泰然と続けた。 「フルゲイトの封印は、強力かつ複雑なものだ。その反面、致命的な弱点を持っている。封印の一端でも破壊されれば、連鎖的に封印全体が崩壊するという弱点を、な。封印を解くには、武闘魔法の一撃で事足りる」 「ディスペア君……!」 フェレンゼは驚愕の眼差しを向けてくる。それは、ある程度予想していた反応だった。だからといって、話を止める気はない。 「今まで黙っていたが――」 三人を順番に見やり、ディスペアは口を開いた。 「俺は、フルゲイトの封印が解かれるのを待っていた。遠い、遠い昔から」 「何言ってるの、あなた?」 混乱した口調でミストが言ってくる。自分の言っていることは、ミストたちにとって理解できないものだろう。だが、理解などいらない。 ディスペアはクロウに目を向けた。 「クロウ。お前は、その石柱に封じられているものが一体何なのか、知っているか?」 「フルゲイトを用いて作られた遺産だろう?」 クロウが即答してきたが―― 「それが具体的に何なのか知っているか?」 「………」 クロウは答えなかった。石柱に具体的に何が封じてあるのか、クロウが知っているはずがない。その答えを知っている者は、もはや自分を除いて誰もいないのだから。 ディスペアは左腕を上げる。手に持った硝子の剣の切先は、真直ぐに石柱に向けられていた。フルゲイトの遺産が封じられた石柱。 「そこには、俺の弟が封じられている」 「……狂ったか?」 露骨に顔をしかめて、クロウが呻く。 ミストもフェレンゼも、明らかに戸惑った表情を見せていた。クロウの言葉を借りずとも、自分の言っていることは、荒唐無稽である。しかし、事実だ。 「俺は、正気だ」 言い放って、硝子の剣の切先を下ろす。 ディスペアは息を吸った。それを言葉にして吐き出す。 「約六百年前、偶然の積み重ねによって生み出された究極の魔法原理フルゲイト。しかし、実験によって作り出された『何か』の暴走によって、フルゲイトは消滅してしまった――。それは知っているだろう?」 「ああ。それがどうした?」 苛立たしげに、クロウが訊き返してきた。これは、フルゲイトについて現在知られている最も詳しい史実である。それは、クロウを含めて、ここにいる全員が知っていることだ。今さら言うべきことではないが……。 「だが、実験によって作り出された『何か』が何であるのか、お前は知らない」 「ならば、お前は知っているというのか?」 探るように、クロウが訊いてくる。 「知っている」 ディスペアは遅滞なく答えた。 |