Index Top 我が名は絶望―― |
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第1節 全てが壊れた時 |
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学校が終わり、友達と遊んでから、家路につく。 それはいつもと変わらないことだった。 空は薄い紫色に染まっている。日はだいぶ低い位置まで移動していた。暗いというほどではないものの、辺りには黒い薄布のような陰が差している。あと一時間もすれば、夜のとばりがやって来るだろう。 その中を、ミストは自分の家へと向かって歩いていた。 よく踏み固められた土の道。その左右には、野菜や麦の植えられた畑や、民家などが並んでいる。この辺りは街外れなので、大きな家はない。家や畑の向こう側には、広葉樹の森が広がっていた。 「そういえば、今日の晩御飯、何だろ?」 とりともめもないことを考えながら、気楽な足取りで歩いていく。 そうして、何事もなく、ミストは自分の家に着いた。 やや古びた、二階建ての一軒家。作りや大きさも、周りに見える民家と大して変わらない。ありふれた家といえるだろう。いつもと変わらぬ、自分の家。 いつものように、真直ぐに扉に手をかける。 しかし、いつもと変わらないのは、ここまでだった。 「ただいまー」 言いながら、ミストは扉を開ける。 ……… しかし、返事はない。 「?」 ミストは疑問符を浮かべた。とりあえず、家の中に入り、扉を閉める。いつもなら、夕食の支度を始めた母か、仕事を終えた父の返事があるのだが。 今日は、誰の返事もない。 「……何だろ?」 人差し指で頬をかきながら、ミストは視線を巡らせた。 いつもと変わらない家の中なのに、なぜか違和感を覚える。何と言い表せばいいのか分からないが――あえて言葉にするならば、自分の家なのに他人の家にいるような感じ、といったところだろう。 「………」 ミストは慎重な足取りで家の奥に足を進めた。 一歩進むごとに、違和感が増していく。普段と何も変わらない家の中――だが、決定的に何かが違う。何かがおかしい。 ミストは足を止めた。 「なに……!」 背筋が凍るのを自覚する。それは何の前触れもない閃きだった。周囲の状況から導き出されたものではない。むしろ、五感を超えた何かといった方が正しいだろう。その閃きが身体を突き動かす。 衝動の赴くままに、ミストは走った。 直感に告げられた部屋に飛び込み―― 「………!」 呼吸が止まる。 状況を受け入れるには、しばしの時間を要した。 部屋を満たしているのは、錆びた鉄の匂い。 床に目を向けると、バケツをひっくり返したように大量の赤い液体が広がっていた。ミストの両足もその液体に浸かっている。それは、大量の血。 最後に、血溜まりの中に倒れている、二人。 「お父さん……。お母さん……」 弱々しく呟きながら、ミストは二人の元へと歩み寄った。床に倒れた父と母。服が血で汚れることなど意に介さず、その身体を抱える。 涙が、頬を濡らした。 「何で……」 声にならない声が喉から滑り落ちる。 調べるまでもなかった。二人は疑う余地もなく事切れている。その身体には、深く真新しい創傷が刻まれていた。鋭利な刃物で斬られたのだろう。血を失ってしまったのか、出血はない。 「誰だ――?」 声は突然だった。 弾かれたようにミストは顔を上げる。 視線の先に、一人の男が立っていた。 年は三十代半ばだろう。肩まで伸びた黒髪と凍えるような輝きを帯びた黒い瞳、頬には三本の引っ掻かれたような傷がある。身に纏っているのは、地味な灰色の服だった。が、血を浴びたせいか、あちこちが黒く変色している。右手には血糊のついた大剣、左手には紙の束を持っていた。 考えずとも分かる。この男が、二人を殺した。 「あんた……!」 悲しみに、怒りに、憎しみに、声が擦れる。心を燃やす激情に歯を食いしばり、ミストは男を睨みつけた。だが、感情だけが先行して、身体が動かない。 男は表情ひとつ変えなかった。 |