Index Top 我が名は絶望――

第6節 追跡開始


「フェレンゼ博士なら、さっき出かけましたけど」
 ディスペアの問いに、受付の黒髪の女性はそう答えた。
 セノゼザン考古学協会。木造四階建ての建物である。市の中心部では、この規模の建物は珍しくはないが、郊外では珍しい。一般人の出入りは自由らしいが、独特の空気のために、一般人は滅多に入ってこない。
 しかし、ディスペアは建物内に漂う空気など気にも留めなかった。正面から堂々と中へと足を進める。後ろからついてきたミストは、居心地悪そうにしていたが。
 それから、正面広間にある受付にフェレンゼの居場所を尋ねたのだ。
 しかし、返ってきたのが先の言葉である。
 ディスペア改めて尋ねた。
「出かけたって、どこへ?」
「さあ、それは分かりません」
 言いながら、女性はかぶりを振る。困ったような表情で、
「フェレンゼ博士は、出かける時に行き先を人に告げることが少ないですから。それに、わたしたちも調べているわけではありませんし」
「そうか。邪魔をしたな」
 告げて、ディスペアは踵を返した。展示された発掘品の側に立っているミストの元へと歩いていく。ミストはきょろきょろと周囲を見回していた。落ち着かないらしい。
「困った」
「全然困ってるようには見えないけど」
 ディスペアの呟きに、ミストが小声で反論してくる。
 銀髪を撫でながら、ディスペアは周囲に視線を移した。
 二人の姿は、はっきりと目立っている。広間を通る人間が、歩きながら珍しげな視線を向けてきていた。だが、誰も二人に関わっている暇はないのだろう。声をかける理由がないだけかもしれない。どちらにしろ、話しかけてくる人間はいなかった。
「どうやら、来るのが遅かったようだな。フェレンゼがいないということは、あいつが俺を呼んだ理由も分からない。どうする?」
 白い天井を見上げて、自問する。これから取るべき行動は二つ。フェレンゼの行き先を何とか調べて追いかけるか、ミストの依頼を聞いてカッサム大森林に向かうかである。
 眉を斜めにして、ミストが言ってきた。
「次はあたしの依頼でしょ。フルゲイトを探しにいくわよ」
 フルゲイトという名前を聞いて、周りを歩いていた数人が一斉に目を向けてくる。だが、その続きの話がないと分かると、それぞれの動きに戻っていった。
「ふむ」
 二つの選択肢。現時点で優先度が高そうなのは、ミストの方である。しかし、フェレンゼがどこへ向かったのかも気になった。無視するわけにもいかない。
 頭の中を一回転させてから、ディスペアは呟いた。
「とりあえず、サッカム大森林に向かうか」
「じゃあ、早く行きましょう」
 そんなことを言いながら、入り口に向かっていると。
 声がした。
「すいません」
「ん」
 足を止めて、振り返る。
 そこに、一人の女性が立っていた。年は二十代前半ばだろう。長い栗色の髪に、眠そうな顔立ち。着ているものは、他の人間と同じ地味な白衣である。
「何だ?」
 尋ねると、女性はごくりと喉を鳴らした。初めて自分に話しかける人間の例に漏れず、緊張しているらしい。それを、ミストが同情するように眺めている。
「初めまして。私はクキィと言います。あなたが、ディスペアさん……ですか?」
「そうだ。何か用か?」
「あの……。これ、フェレンゼ博士からです。あなたがここに来たら渡すよう、博士から頼まれていました」
 言いながら差し出してきたのは、茶色の封筒だった。標準的な形の、真新しい封筒である。文字などは書かれていない。裏も同じである。何もない。
 封筒を受け取り、ディスペアはその封を切った。
「何だ、これは……?」
 出てきたのは、一枚の地図である。鉛筆で書かれた、手書きの地図。この辺り一帯を大雑把に示してあった。地図の左上に印が描かれている。位置にすれば、カッサム大森林の奥だ。印の横には「至急、ここに来て下さい」と書かれている。
 封筒の中には、地図以外のものはない。
「何の地図なの、これ?」
 ミストが疑問符を浮かべた。
 それには答えず、ディスペアは手紙を懐にしまう。この地図一枚で、フェレンゼが言いたいことは――否、言いたいとしている以上のことが分かった。
「これを私に渡す時のフェレンゼ博士、何だかいつもと様子が違ったんですけど……。一体、何があるんですか?」
 不安そうに訊いてくるクキィに、ディスペアは刃物のような眼差しを向ける。
「緊急事態だ。馬車と一週間分の食料を用意してくれ」
「え? どういうことで?」
 クキィは明らかに戸惑ったようだった。だが、長々と説明する気はない。
 ディスペアは簡潔に告げる。
「フェレンゼは、フルゲイトを探しに行った」
「――――!」
 その台詞に、クキィの表情が強張った。ようやく状況の深刻さを悟ったようである。話を聞いていたミストも、驚いたように口元を手で押さえていた。
 相手を睨みつけ、ディスペアは同じ台詞を繰り返す。
「馬車と一週間分の食料を用意してくれ」
「はいッ!」
 裏返った声で返事をするなり、クキィは大急ぎでどこかへ走っていった。馬車と食料を用意するよう、上司にでも頼むつもりだろう。これで移動手段は何とかなる。
 その場はにわかに騒然となった。話を耳にした人たちが、焦った口調で何か話をしている。フェレンゼにフルゲイト。それひとつだけで十分に話題を呼ぶ名前なのだ。それが重なれば、大騒ぎになるだろう。
 誰かが話しかけてくる前に、ディスペアはさっさとその場を後にした。入り口へと向かって歩いていると、ミストが声をかけてくる。
「ねえ――。あなた、何でそのフェレンゼ博士がフルゲイトを探しに行ったって分かったの? あんな地図一枚見ただけで……」
 その問いに、ディスペアは一言だけ答えた。
「勘だ」
「勘って――」
 肩をこけさせるミスト。
 扉が閉まり、中の騒ぎが聞こえなくなる。
 ディスペアは近くにあった立ち木に背を預けた。この辺りで待っていれば、クキィが馬車と食料の準備ができたことを知らせに来るだろう。
 何をするでもなく佇んでいるミストに、囁くように尋ねる。
「で――これから、お前はどうするんだ?」
「どうするって、何を?」
 人差し指で頬をかきながら、ミストが訊き返してきた。
 ディスペアは緩く腕を組んで、
「お前とフェレンゼでは、フェレンゼの頼みの方が優先だ――。俺はこれからフェレンゼが指定した場所に向かう。フェレンゼもそこへ向かってるはずだ」
「それじゃあ、あたしの依頼はどうなるのよ!」
 焦ったように、ミストが詰め寄ってくる。
 ディスペアは見つめ返し、
「フルゲイトを求めるならが、俺についてくればいい。フェレンゼの目的もフルゲイトだからな。ただし、フルゲイトを見つけたら、フェレンゼと折半になるだろう。それと、もしかしたら同じ目的を持つクロウの発掘隊と衝突して、戦いになるかもしれない。それでもいいなら……」
「何言ってるの! あたしは絶対に行くわよ!」
 ディスペアの言葉が終わらぬうちに、ミストは拳を固めて言い切った。その瞳には、熱い炎のようなものが輝いている。自分は絶対に行くという意志……執念――。
「そうか――」
 ディスペアは細い息を吐き出す。

Back Top Next