Index Top 我が名は絶望――

第1節 予定は外れて


 カーント市は、ティバ草原とカッサム大森林の境目辺りに佇んでいた。
 大小五本の街道が交差する位置にある、大都市である。人口は約二万五千人と、この地方では最も大きい。これといった特産はないものの、こういう都市の例に漏れず、カーント市の経済は商業によって成り立っていた。街道沿いにある村や町からやって来た人たちが、持ち寄った物品を交換したり、売買したりする。
 それが最も盛んなのは、街の中心にある中央通りだ。
 馬車が数台並べられるほどの広い道。その両側には、様々な店や露店が並んでいる。そこにいる人も様々だ。買い物をする人、数人で雑談をしている人、何かを探すように辺りを見回す人――などなど。
 その中を、ミストは明確な目的を持って歩いていた。
「目的はそこにある。覚悟もできてる。でも、あたしだけじゃ力が足りない」
 年の頃十五、六の小柄な少女である。短めの薄茶色の髪と、意志の強そうな茶色の瞳。白い耐刃シャツの上に赤い半袖の防護服を着て、丈夫そうな白いズボンを履いている。腰には一本の剣を差し、荷物の詰まった鞄を肩から下げていた。それらを見れば、一目で戦士と分かるだろう。
「だから……」
 誰へとなき呟き、ミストは足を止めた。
 そこにあるのは酒場である。しかし、どこにでもある酒場ではない。銀の剣亭。ここは傭兵や冒険者などが集まる酒場だ。看板には、剣と盾の絵が描かれている。
 ここに、自分の求める者がいるはずだ。
「さあ。行くわよ」
 自分に気合を入れて、ミストは扉を開け……。
「え?」
 状況を把握するのには、いくらかの時間がかかった。
 傭兵や冒険者が集まるといっても、内装は平凡である。こざっぱりとした店内に、四人用の四角いテーブルが八つ。奥にはカウンタ―と丸椅子が並んでいた。普通の酒場と違うのは、ここにいる人間のほぼ全員が戦士や魔道士ということだろう。仕事を探す人や誰かを雇いたい人が集まり、話し合いをして、話がまとまれば出発する。普段は、仕事を待つ人が食事をしたり酒を飲んだりしている。
 だが、今はその面影もない。
「何これ?」
 ミストは間の抜けた声を漏らした。
 店内は滅茶苦茶になっている。テーブルや椅子の半数はひっくり返り、料理や飲み物が床に散らばっていた。ここで食事をしていただろう人間は二十数人。だがその大半が床に倒れ伏している。残った数人は倒れた仲間を介抱したり、呆然と店内を見つめたりしていた。食事をしている人間はいない。
「………」
 頭の中を真っ白にしがら、ミストが店内に足を進めると。
「やあ、いらっしゃい」
 モップを持って散らかった店内を片つけながら、主人が乾いた声をかけてくる。髭を生やした温厚そうな顔立ちだが、その表情には疲労の色が濃く表れていた。
「君は、見かけない顔だね。ここに来るのは始めてかい?」
 力のない笑みを浮かべながら、言ってくる。
 返答に迷いつつも、ミストは頷いた。
「………そうよ」
「で、ここに何の用だい? 見たところ戦士のようだけど。誰か人を雇いたいの、何か仕事を探しているの、それとも仲間を探しているの?」
「ええと……。とりあえず、強い人を探してるんだけど……」
 言いながら、改めて店内を見回す。改めて見回したところで、何かが変わるわけでもない。盛大に散らかった店内。床には二十人近くの人間が倒れていた。苦しげに呻いている者もいるが、大半は気絶しているのか、動かない。
「これじゃ、人を探すどころじゃないわね」
 ぼんやりと呻いてから、ミストは主人に目を戻した。店内を指差し、
「一体何があったの? けんか?」
 こういう場所にいる連中と言うのは、一般人よりも血の気が多い。些細なことから派手なけんかに発展することもあるらしい。しかし、これはただのけんかとは明らかに何かが違う気がした。勝った人間がいない。
 主人は困ったように頭をかきつつ、
「これは何て言ったらいいのかなぁ……。ケンカといえば、ケンカなんだけど……。こんなの、初めて見たよ。はぁ……」
「初めて、って何が?」
 疑問に思い、ミストは尋ねた。話の調子からすれば、今まで何度かけんかはあったのだろう。しかし、何が「初めて」なのか。
 主人は肩をすくめて、
「始めは単なるケンカだったんだけど……。たった一人の男が乱闘している全員を叩き伏せちゃったんだ……。一分も経たないあっという間に、実にきれいにね。それも素手で。まったく、信じられないよ」
「一人で、全員を?」
 正直、信じられない話である。
 ここにいるのは、素人ではない。多少なりとも戦闘の訓練を受けた者たちだ。しかも二十人近く。それを一分も経たぬ間に全員を、しかも素手で叩き伏せるなど、並大抵の技量ではできないだろう。人間技ではない。
 しかし。
「待って!」
 鋭く声を上げるなり、ミストは目の前にいる主人の胸倉を力任せに掴んだ。その人間離れした技量を持つ人間こそ、自分が探し求めている相手なのだ。いきなり詰め寄られて驚く主人には構わず、問い詰める。
「その人! 今どこにいるの」
「どこって――」
 主人は目を泳がせた。ふらりと人差し指を動かして、
「そこで、食事してるけど……」
「へ?」
 あまりにあっさりした答えに、ミストは身体から力が抜けるのを自覚した。主人から手を放して、指差す方向に目を向ける。
 カウンタ―の一番端の席――。
 そこに、一人の男が座っていた。
 ちらりと視線を投げかけてくる。
 ミストは食い入るようにその男を見つめた。
 年は二十歳ほどだろう。しかし、外見年齢よりも数十歳は老け込んで見える。腰の辺りまで伸びた白銀の髪。感情の見えない、赤紫色の瞳。漆黒の長衣とマントを身に纏っている。武器は持っていない。手首には銀色の腕輪。目立つ容姿をしているというのに、まるで存在感を感じさせない。幻のように。
 主人に指摘されなければ、ミストも気づかなかった。
「この人……」
 明らかにただ者ではない。
 しかし、この人物こそ自分が探していた相手だろう。
 悪寒にも似た戦慄を強引に押し込め、ミストは男の方へと歩いて行った。

Back Top Next