Index Top 不条理な三日間 |
|
第6節 すれ違う思考 |
|
「おい、キリシ」 というガルガスの声に、キリシは肩を跳ねさせた。 肉体と精神への度重なる疲労のせいで、うっかり眠りかけてしまったらしい。顔を上げて、眠気を振り払うように首を左右に動かす。 見ると、ガルガスは何かを待ち受けるように仁王立ちし、緩く腕組みをしていた。風に吹かれて、コートの裾がはためいている。 「誰か来たぞ」 それを聞いて、キリシは意識を覚醒させた。弾かれるように立ち上がり、腰の剣に手をかける。ガルガスの視線を辿るように、正面に目を向けた。 月明かりに照らされた校庭を、校門の方から誰かが歩いてくる。 いつでも剣を抜けるよう身構え、キリシは近づいてくる人影を見据えた。 だが、その人影が近づいてくるにつれ、表情が引きつってくる。 「人間じゃ、ない………」 月明かりに照らされた人影は、人間のものではなかった。 「獣人だな」 ガルガスが感心したように呟く。 その言葉通り――現れた人影は、狼と人間の中間のような容姿をしていた。鮮やかな灰色の被毛と、たてがみのような長い銀髪。年は分かりにくいが、雰囲気からして二十歳ほどだろうか。袖のない赤い上着に同色のズボンという格好で、靴は履いていない。 右手には、巨大な鉈のような大刀を持っている。 獣人は二人から三十メートルほどの距離をとって、足を止めた。尻尾を左右に動かしながら、希薄な殺気のこもった声で言ってくる。 「前置きはなしだ。ティルカフィを返してもらう」 「あんた、何者だ――?」 キリシは警戒の眼差しで獣人を見つめた。相手の正体が分からない以上、迂闊な行動を取るわけにはいかない。会話によって可能な限り情報を引き出す。 しかし……。 「ふっ。返してほしけりゃ、力づくで奪い返してみるんだな!」 真横で悪役然とした台詞をほざくガルガスに、キリシは肩をこけさせた。 「お前は黙ってろ!」 怒鳴るが、ガルガスはもういない。 拳を固め、獣人めがけて走り出している。迎え撃つように、獣人も大刀を下段に構えて駆け出した。両者の間合いが瞬く間に縮まり、互いに攻撃を仕掛ける。 「おりゃああッ!」 「はっ!」 真直ぐに突き出された拳と、すくい上げるように繰り出された大刀――。 交錯。そして、相手を捕らえたのは大刀だった。真正面から一撃を食らったガルガスは、半秒ほど宙を舞って地面に叩きつけられる。さらに数回転がってから、仰向けに倒れた。普通の人間ならは、この攻撃を食らって立ち上がることはできなだろう。 だが、ガルガスは平然と跳ね起きる。 「お前……。強いな」 大刀で打たれた辺りを手ではたきつつ、嬉しそうに獣人を見つめた。 獣人は後ろに跳び退って、表情を険しくする。 「打たれた瞬間に自分で後ろに跳んだか……。とはいえ、俺の攻撃をまともに食らって傷ひとつないだと……!」 「オレは頑丈だからな」 不敵に口元を緩め、ガルガスは構えを取った。単純な体術の構え。けんかの構えともいえる。技術や戦法などといったものは一切ない。 獣人に対して挑発するように手を動かし、 「先に言っておくが、今みたいなスカスカ攻撃じゃオレには傷ひとつつけられないぞ。オレと互角に戦いたきゃ、手抜きなんかするな。本気でかかって来い!」 「上等だ!」 答えると同時、獣人の身体を青い輝きが包んだ。いや、獣人の身体から青い輝きが生まれた。刃物のように鋭く、燃え盛る炎のように強い光。 「ぶった斬ってやる――!」 「やってみろ!」 お互いに叫んで、再び信じられないような速さで走る。その速度は、さっきを数段上回っていた。瞬きするほどの時間で、その間合いが消失する。 獣人は大刀を大上段に振り上げた。大刀が青い輝きを帯び、 「爆砕断!」 ガルガスめがけ振り下ろされる。それは人間に避けられる速さではない。 だが、ガルガスは人間離れした反射で後退し、攻撃を躱した。 空振りした大刀は、爆発するような音を響かせて地面をえぐり飛ばす。ただの大刀とは思えないほどの破壊力。無数の土の破片が辺りに飛び散り、薄い土煙が上がった。 退いた動きのまま、ガルガスは左足を軸に身体を回転させ、 「反撃の後ろ回し蹴りィ!」 獣人のみぞおちに踵を打ち込む。 ドゴッ! という音を響かせ、獣人は二十メートル近くも吹き飛ばされた。しかし、空中で体勢を立て直し、両足で着地する。みぞおちを押さえて咳き込んではいるものの、あれほどの強撃が効いてないようだった。 「おい、キリシ」 大刀を構え直す獣人を見据え、ガルガスが言ってくる。 「オレは、この狼を何とかする。お前はもう一人を何とかしろ」 「もう一人?」 訊き返すものの、ガルガスは答えることもなく走り出していた。右手を引き絞り、雄叫びを上げながら、獣人に向かって突っ込んでいく。 「もう一人……?」 その言葉を繰り返してから。 戦慄を覚えて、キリシは後ろに跳んだ。 「フリーズ・アロー」 何かを命令するような声とともに、十数本の青白い光の矢が飛来する。光の矢は、キリシがいた場所に次々と突き刺さった。光の粒が弾け、地面が凍りつく。白い氷が張り、冷たい空気が流れた。 「何だ?」 呻いて、キリシは目の前の氷を見つめた。 脳裏に何かが浮かびかけるが。 「反射神経いいのね――」 聞こえた声が、それを阻む。感情の分かりにくい、抑揚のない声。 キリシは腰の剣を抜き、声のした方に向き直る。 いつの間にか、近くに丸い眼鏡をかけた少女が立っていた。半分眠っているような、光のない眼差しでキリシを見つめている。見たところ武器は持っていない。 「僕の周りに、人間はいないのか……」 剣を握り直し、キリシは誰へとなく愚痴をこぼした。 年は自分と同じくらいだろう。癖のついた短めの青い髪と、猫のように虹彩の細い深紅の双眸。身にまとっているのは、複雑な幾何学模様が刺繍された緑色の長衣である。どこかの民族衣装らしい。 「本当は、彼があなたたちを引きつけてる間に、あたしがティルを連れ出すって作戦だったんだけど――。見つかっちゃしょうがないわね」 独り言のように呟いてから、少女はキリシを見つめた。眼鏡を指で持ち上げる。赤い瞳に、殺気が浮かんだ。 「ティルを返してくれない?」 「断る」 即答し、キリシは左手だけで剣を構えた。重さより速さを重視した片手の構え。 息を吸い、少女を斬る覚悟も決める。相手を殺す度胸はないが、剣で人を殺すのは意外と難しい。さすがに、斬り殺してしまうことはないはずだ。 「なら、悪いけど、あなたを倒させてもらうわ」 それが合図だった。 |