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第2節 逃走開始 |
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「何だ、魔術って?」 ガルガス訊き返す。 魔術と聞いて、キリシが思い浮かべたのは、さっきと同じ童話の絵本だった。丈の長い黒衣を身にまとい、呪文を唱える魔術使いの姿である。これは、何となくティルカフィの姿に似ているかもしれない。 ティルカフィは視線を天井に泳がせながら、 「魔術というのは、精神エネルギーの延長である……魔力を媒介とする特殊能力です。魔力を使って……色々な現象を起こしたり……存在しないものを具現化したり……物体の状態を変化させることができます……。他にも……特定のものに、それが本来持っていない特性を付加することも……できます。でも、発動させるには……呪文の詠唱が必要です」 「全然分からん」 ガルガスは正直な感想を述べた。 ティルカフィの説明は、自分で理解したことを言っているというよりも、誰かに教えられたことをそのまま暗唱しているといった感じである。 キリシはガルガスの頭を横に押しのけ、 「僕の傷を治した以外には、どんなことができるんだ?」 いちいち説明を聞くよりも、実物を見せてもらった方が手っ取り早い。 「そうですねぇ……」 ティルカフィは自分のあごに指を当ててから。 左の手の平を上に向け、口の中で何やら短い呪文を唱える。 「ライト・チップ」 ふっと空気が集まるような音を立てて、手の上に白い光が生まれた。明るさはろうそく数個分くらいだろう。燃料も熱もなく、輝いている。 キリシとガルガスが見つめると、ティルカフィはちょっと得意げに笑った。 「こんなことができます。他にも炎の矢とか氷の槍とかも出せますけど、わたしは防御や回復の方が得意ですね」 言い終わると、現れた時と同じ音を残して光が消える。 「なるほど……」 呟いてから、キリシは話に区切りをつけるように瞬きをした。単純な疑問はおおむね分かった。次は一番重要な疑問である。 ティルカフィの青い瞳を見つめ、キリシは問いかけた。 「なら――さっき君を追いかけていた連中は何なんだ?」 「それは……わたしもよく分かりません」 ティルカフィは細い黄緑色の眉を寄せる。嘘を言っているようには見えない。 少なくとも、一般市民に平気で拳銃を向けて、姿を見られただけでためらいもなく殺そうとする連中など、どう控えめに言ってもまともなものではないだろう。 キリシは質問を変えた。 「なら、何で君は追われてたんだ? まともじゃない連中に追われるからには、それなりの理由があるだろ? 場合によっては、僕も協力するけど――」 「オレもだ」 ガルガスも力強く同意している。が、その表情からするに、ティルカフィを助けるということよりも、面白そうな厄介事に興味があるようだ……。 「多分、わたしが研究所から逃げ出したからだと思います。人間を人為的に別の生物に変化させることは、最重要の国家機密と言われましたから――」 「……………」 さらりと言ったティルカフィの言葉に、キリシは絶句した。最重要の国家機密という単語が頭の中で繰り返される。自分たちは洒落にならない厄介事に巻き込まれてしまったのだと、改めて思い知らされた。 あごに手を当てて、ガルガスが呟く。 「となると――あいつら、ここにやって来るな」 「何……だと……?」 「最重要国家機密となると、ティルカフィを追いかけてた連中は、秘密工作員とかそんな危ない奴らだろ。さっきのけんかでオレは力いっぱい自己紹介してやったからな。オレとお前がいつも一緒にいるのは有名だし。あいつら、今夜中にここを嗅ぎ付けてくるぞ。しかも、色々と武器を持ってな――。ふっふっふっ」 拳を固め、嬉しそうに含み笑いをする。 「それは、大変ですね」 ティルカフィが心配そうに呟くが、あまり緊迫しているようには見えなかった。本当に事態が呑み込めていないのか、単に空腹のせいで元気がないのか。多分、後者だろう。 最後のパンを食べながら、キリシとガルガスに目を向ける。 「これから、わたしたちどうしましょう?」 「逃げる」 キリシは即答した。他に選択肢は考えられない。勉強机の横に置いてあった肩掛け鞄を掴むと、これから必要になりそうな荷物を大急ぎで詰めていく。 「えー。戦わないのかよー」 心底不服そうにガルガスが口を尖らせた。 額に青筋を浮かべ、キリシは言い返す。 「戦うって、武装した連中相手にどう戦うっていうんだよ? 鋼鉄並に頑丈なお前は戦えるかもしれないが、僕とティルカフィは無理だ。それに、ここで暴れて他の寮生を巻き込むわけにもいかないだろ!」 「それも……そうだな」 思いの外おとなしく引き下がるガルガス。 ティルカフィの使い終わった食器を適当に片付けてから、キリシはたんすの一番下の引き出しを開けた。その一番奥から、布に包まれた細長い物を取り出す。布を取ると―― 現れたのは、一本の剣だった。 「――まさか、本気でこれを使うことになるとは思わなかったけど。さすがに丸腰ってわけにもいかないからな……」 鞘から抜いて、部屋の明かりにかざす。 標準とは少し違った形の片刃の剣。刃渡りは八十センチほどで、片刃には珍しく反りはない。物騒な輝きを持つ銀色の刃は、傷や曇りも全く見られず新品そのものである。装飾もなく、作りは地味だった。 「キリシさん、何でそんな物持ってるんですか?」 剣の刃を眺めながら、ティルカフィが訊いてくる。それは当然の質問だった。普通の一般市民は、剣などという代物を隠し持っていることはない。 「故郷の風習だよ。コウ族の男は一人前と認められると、親から剣を贈られるんだ。僕はこの学校へ来る前の日に父さんから貰った。何を以って一人前とするかは、いまいち曖昧なんだけど……」 鞘に収めた剣を腰のベルトに差しながら、キリシは答えた。 ベッドに放ってあったマントを羽織り、ティルカフィが思いついたように呟く。 「あの、逃げるって、どこに逃げるんですか?」 「う……」 キリシは返答に詰まった。逃げる場所はまだ考えていない。 すると、ガルガスが口の端を上げる。 「オレ、いい場所知ってるぞ」 「……本当か?」 キリシはうろんな目付きでガルガスを見つめた。 |