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終章 さようなら |
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「全員無事でハッピーエンドっていうのは、都合がよすぎるよな」 白み始めた空を見ながら、寒月は言った。 視線を動かすと、ヴィンセントとカラが並んで立っている。ぼろぼろになった身体と服は、寒月がジャッジを使って直した。カラは子供の姿に戻っている。 「寒月殿……」 「カンゲツ……」 二人の目には涙が浮かんでいた。カラは今にも泣き出しそうである。 しかし、寒月は笑ってみせた。 「泣くなって。俺は、こうなることは覚悟してたんだ」 言いながら、右手を見つめる。右手は半透明となって、後ろの風景が透けていた。身体が消え始めているのである。あと三十分もしないうちに、自分は消えるだろう。 「裁定者の命令に背いた執行者は、消えるらしい。どうりで前例がないはずだ。俺は抹殺命令が出て、他の執行者に追い駆け回されると思ってたんだがな」 「寒月殿……。助かる方法は、ないんですか?」 「ないだろ」 寒月は言った。明日香を殺せば、あるいは助かるかもしれない。だが、そんなことはできない。他に方法がないのなら、おとなしく消滅を受け入れるしかない。 「俺はじきに消える」 「カンゲツ!」 カラが泣きながら抱きついてくる。 「カンゲツ! ……ワタシ、絶対にカンゲツのこと忘れないカラ!」 寒月はカラの頭をぽんと叩いた。優しく告げる。 「ああ――。お前が俺のことを覚えていてくれる限り、俺は消えても消えることはない。お前の中で生き続ける。だから、絶対に忘れないでくれよ」 「ウン!」 袖で目元を拭きながら、カラが頷く。 寒月はヴィンセントに目を向けた。 「ヴィンセント。いくつか頼みがある」 「何でしょう?」 静かに答えるヴィンセントに、寒月は懐から烈風と疾風を取り出した。対妖魔用に作られた一対の銃。それらをヴィンセントに渡す。 「これ、処分しといてくれ」 「分かりました」 ヴィンセントは二つの銃を受け取り、懐にしまった。 寒月は、腰に差した紅を鞘ごと引き抜く。コンクリートの板の上に寝かされている明日香に目をやった。明日香は半妖の力を使った反動で、死んだように眠っている。あと二、三日は起きないだろう。 「これを明日香に渡しておいてほしい。時雨は俺が斬っちまったからな。あと、明日香には俺が消えたことは言わないでくれ」 「分かりました」 ヴィンセントに紅を渡してから。 寒月は二人に背を向けた。 「カンゲツ……どこ行くノ?」 「消える前に行く所がある。すまない。あとは頼んだ」 そう言い残し、寒月は跳び上がった。 「無明……」 寒月は微笑とともに話しかけた。だが、相手はここにいない。 市の西外れにある小高い丘。その頂上に、一本の木が生えていた。ここに植えられてから、今年で十八年が経つ。その前には、四角く斬った石が置かれていた。 「約束通り、お前の娘は守った。おかげで俺はこのざまだが、後悔なんかしてない。もうすぐお前のところに行く――。出迎えくらいしてくれよ」 寒月は立ち上がり、立ち並ぶ民家やビルに目を向ける。それらは、明るい朝日に照らされていた。その朝日を見ながら、 「これが、俺が見る最後の朝日か」 一分ほどか。 朝日を見終わり、寒月は無明の墓に向き直った。 「俺の人生。色々なことがあったが」 と、笑い。 「まあまあだったな」 風が吹いた―― ぼろぼろになった黒いコートが風に飛ばされていく。 後には何も残らない。 □ 朝の五時半。 日課の素振り終えて、明日香は息をついた。 持っていた木刀を縁側に置き、そこに置いてあった刀を手に取る。 黒い鞘に納められた黒柄の刀。妖刀・紅。 鞘を腰に差し、明日香は紅を抜いた。赤い刃が空に解き放たれる。しかし、前に紅を持った時のような異常は感じない。寒月の封印は完璧だった。 紅を納刀し、明日香は目の前にある丸太に目を移す。直径は三十センチ。それが試し斬りの材料である。十郎にも斬ることはできない代物だが。 「朝霧流居合・一閃!」 ズンッ。 抜き放たれた刃は、丸太を斜めに切断した。水を斬るような手応え。抵抗は伝わってこない。斬れすぎる刀。これを使いこなすには、相応の実力がなければならない。 明日香は紅を納めた。自分がこの刀を使うのは、あまりにも早すぎる。 「寒月……」 自分が目を覚ましたのは、例の騒動から三日後だった。 そこにはヴィンセントとカラがいた。自分の記憶は、捕まった後、ジャックと話をした辺りから途絶えている。それから、何があったか覚えていない。 二人の話によると、自分は半妖の力を覚醒させ暴走し、市の中心にある高層ビル群を破壊した後、寒月によって半妖の力を封印されたという。死傷者は出なかったらしい。 寒月は壊した時雨の代わりに紅を置いて、次の仕事のためにどこかへ行ってしまった。 ……と、始めはそう言っていた。 しかし。 「あの二人、嘘が下手なんだよ……」 明日香は苦笑する。寒月のことを話す時、ヴィンセントは今にも泣き出しそうな表情をしていた。カラは涙まで流していた。変だと思わない方が変だろう。 問い詰めると、二人は白状した。 裁定者の命令に逆らった代償として、寒月は消滅してしまったのだという。しかし、寒月はそのことを笑って受け止めていた。明日香を助けると決断したときから、自分の行く末を覚悟していたのだろう。 二人はそのこと自分に言わないよう、口止めされていたらしい。自分が寒月の消滅を聞いて、悲しむと思ったのだろう。ヴィンセントとカラはそれだけ言うと去っていった。二度と会うことはない。 「あの馬鹿……。お父さんとの約束を守って、あたしを助けて……それで、消えちゃうなんて。あいつは、底抜けにお人好しだよ……。でも――」 うっすらと涙が浮かぶのを自覚して、慌てて袖で拭う。 一級執行者・草薙寒月。自分を守ると言った男。その言葉に偽りはなかった。命を賭してまで、自分を守り――消えていった。笑いながら。 「それが、あいつの『強さ』なんだよね」 呟きながら、明日香は踵を返した。いつか、自分も寒月のようになりたい。寒月のように強くなりたい。しかし、それには長い月日がかかるだろう。 明日香は腰の紅を見つめた。寒月の形見の品。これには寒月の遺志が込められている。これを持っていれば、寒月のような『強さ』を手に入れられるはずだ。 「あたしも、あいつみたいに『強く』なれる。ただの力だけじゃない、本物の『強さ』を手に入れられる!」 決意を新たに、明日香は庭を後にした。 終わりを告げる風が、吹き抜ける。 |