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第8節 半妖覚醒 |
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大気が、大地が、夜空が――悲鳴を上げている。 「なに、コレ!」 五階建てのビルの屋上で思わず足を止め、カラは叫んだ。 市の中央にある高層ビル群から、禍々しい気配が突風のように流れてきている。人間は無論、妖魔や執行者でさえ出せるようなものではない。 「これは……」 ヴィンセントも頬に汗を流している。 乱れそうな呼吸を整えつつ、寒月は言った。 「明日香が半妖の力を覚醒したらしい」 「これほどのものとは……」 「スゴイよ……」 市の中央を見つめ、ヴィンセントとカラが呟く。二人の声には、明らかな恐怖が含まれていた。神経に直接響いてくるこの気配を無視することはできない。それは、寒月も同じことだった。 「ジャックの奴が、明日香に何かしたんだろうな。多分、明日香を何かに利用しようとして、失敗した。そのせいで、半妖の力が覚醒した」 根拠はないが、そんなところだろう。もっとも、過程などどうでもよかった。眼前にあるのは、怪物と化しつつある明日香だけである。 最も近くにいたジャックは、とうに殺されているだろう。チェインも同じだ。 「これから、どうするつもりですか?」 ヴィンセントが訊いてくる。 「……明日香を、殺す。明日香を止めるには、この方法しかない」 「ホントに殺すノ? 他に方法、ナイの?」 眉を下げて、カラが呟く。 「あるかもしれない。だが、それを考えてる時間はないんだ。それに、命令も出てる。明日香が半妖の力を覚醒させ暴走したら、その場で抹殺しろ、ってな。俺たち執行者は命令されれば、実行するしかない」 「しかし、あなたに殺せますか?」 ヴィンセントが言ってきた。尋問するような口調で。 「お人好しのあなたに殺せるんですか? 自分で殺した親友の娘を――」 「…………」 寒月は視線を前に向けた。風のように流れていたあの気配は消えている。夜の静寂だけがあった。破壊音や殺気は感じられない。嵐の前の静けさとでも言うのだろう。 明日香は、待っているのだ。自分を。父親の仇を。殺すために。 「殺す……しか、ない……だろ……」 寒月は呻いた。自虐的な笑みとともに。 感情を殺して、寒月は告げる。 「暴走した明日香を野放しにすれば、夕方の魔獣とは比べ物にならない被害が出る。時に俺たちは非情にならなければいけない」 「それが、あなたの覚悟ですか」 「ああ。だが、俺一人じゃ、勝ち目はない」 目を瞑って、喉を動かす。 「正直、お前たちにこんなことは頼みたくないんだが……。明日香を殺すのを、手伝ってくれないか? ……強制はしない。お前たちが加わったところで、勝ち目がないことに変わりはないからな」 寒月は二人に目をやった。断られて当然の頼みである。二人に断られても、自分だけで明日香を殺しにいく覚悟はできていた。 二人の答えは―― 「すみません」 ヴィンセントは頭を下げた。苦い口調で、言ってくる。 「僕は友人を殺すことはできません。それに、僕は死にたくはありません」 「そうか。すまない」 寒月の言葉を聞き、ヴィンセントは背中を向けた。屋上を蹴って夜の闇に消えていく。 「お前は、どうする?」 問いとともに視線を向けらて、カラは悲しげ笑った。 「ゴメン……」 謝って、きまり悪そうにうつむく。首を左右に動かしながら、 「ワタシもアスカとは戦えないヨ。ワタシもここで死ねないヨ。ワタシの故郷には、ワタシの帰りを待ってる、仲間がいるんだから……」 「そうか」 去っていくカラを見送ってから。 寒月は跳躍した。市の中心、明日香がいる場所へ向かって。自分は一人で覚醒した半妖と戦わなければならない。勝ち目は皆無。だが、逃げるわけにもいかない。 「半妖と戦うには……」 念のためにと、古い文献を読み漁った知識を思い出す。明日香と戦うには、半妖の特徴を知っておかなければならない。 「半妖は、その力が覚醒した時、妖術も使えるようになっている。その場合、使う妖術は親と同じである」 前例は七人しかいないので確実とはいえないが、その七人は親と寸分たがわぬ妖術を操っていた。明日香も同じだろう。 自分が殺した親友を思い出し、寒月は呟いた。 「無明の使った妖術は三つ。ひとつは強化。攻撃力や防御力を元の何倍にも高めることができる。もうひとつは、修復。どんなに破壊されたものでも、元通りに直せる。自分の傷も同じだ。最後に、予知。一瞬先の相手の行動が読める……」 と、一拍置いてから、 「この三つが、あいつの強さのゆえんだった――。相手の攻撃を予知し、鉄壁の防御から、強力な攻撃につながる連携。仮に攻撃を受けても、一秒後には治っている。攻撃、防御、回復に、隙はない」 厳密に言えばそれは違った。予知の速度と修復の速度を上回る攻撃を連続して打ち込めば、勝てないことはない。実行するのは限りなく難しかったが、無明はそうだった。だが、明日香相手にそうはいかないだろう。 「今の明日香は、剣気技が使える」 明日香は剣気についての知識を持っている。半妖の力を覚醒させていれば、修行などしなくとも、自分の素質だけで剣気を扱えるようになっているだろう。たとえ、剣がなくとも剣気技は使うことができる。 だが。 「最大の問題は……」 目的地に向かうにつれて、意気が磨り減ってくる。 「俺が明日香を殺せるか、だ」 死を受け入れ何も抵抗しなかった無明とはわけが違う。無明は、感情を殺して刀を抜き打ちするだけで終わったが、明日香はそうはいかない。全力で殺しにかかる。自分はそれをかいくぐり、明日香を殺さねばならない。 「俺に足りないのは、心の強さか」 寒月は呻いた。ヴィンセントの言った通り、自分で殺した親友の娘を殺せるか。明日香を殺すのは、無明を殺すのよりも心にかかる負担が何倍も大きい。 その負担が隙を生む。 髪の毛一本分にも満たない隙でも、それは敗北につながる。 「心の強さ。それは――」 覚悟の速さと強さだ。 明日香を殺すと決断し、明日香を殺す。 言葉にすればたった一文だが、それを実行するのは、極めて難しい。半妖の力を覚醒させた明日香が相手ならば、なおさらだ。 覚悟を決めるのが、十の一秒でも遅れれば、敗北する。 覚悟の量が、一片でも足りなければ、敗北する。 明日香を殺す覚悟は、できていない。 明日香のいる場所までは、五分以内に着く。着いてしまう。 「それまでに、明日香を殺す覚悟を決めなけりゃならないってことか!」 寒月は自分に言い聞かせるように叫んだ。 しかし。 「俺が負ければ、暴走した半妖っていう化物を世に放つことになる。俺が勝っても、明日香は死ぬ。どう転んでも俺の勝利はないってことか!」 誰へとなく毒づいてから。 寒月はひときわ強く跳躍した。 もう、口を開けることはない。 あとは、明日香と戦うだけである。 |