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第5節 強さの形 |
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風が、黒髪とコートを微かに動かす。 寒月は工事用の足場の一番上に立って、辺りを警戒していた。周囲の工場に明かりは灯っていない。遠くの住宅地や市の中心の方には明かりの点が見える。空の星は、星座の形がようやくなぞれるほどの星しか浮かんではいない。 聞こえてくる音も少ない。 微かな風の音。街の方から聞こえてくる、車が走る音。下から聞こえる、ヴィンセントとカラの雑談の声……最後に―― 背後から聞こえてくる、乾いた足音。 「寒月――」 それは明日香だった。鉄骨を組んでいる足場の上を登ってきたらしい。隣までやって来て、足を止める。足場は幅があるので、落ちることはない。 「何か用か?」 視線だけで明日香を見やり、寒月は呟いた。 明日香はいつになく真剣な表情を浮かべている。何か言いたいことがあるらしい。そうでなければ、こんな所に来ないだろう。 「いくつか訊きたいことがあるんだけど――」 思い詰めたような声で言ってきた。 寒月が視線で先を促すと、明日香は口を開く。 「あんた、誰が私のお父さんを殺したか……知ってるんでしょ?」 訊かれて、寒月は一度目を閉じた。数秒ほど黙考してから目を開く。いつまでも隠しておくことはできない。静かに告げた。 「ああ。知ってる。だが、それが誰かは言えない」 「何で――?」 目付きを険しくして、明日香が訊いてくる。 「あたしが復讐するのに、半妖の力を覚醒させるから?」 「それもあるが……」 一拍置いて、寒月は言った。 「無明はそもそも復讐なんか望んじゃいない。あいつは自分が犯した罪の重さを知っていた。自分の死を受け入れていたんだ。だから、何の抵抗もせずに殺された」 「何で分かるの?」 詰問するように、明日香が言ってくる。 寒月は我知らず奥歯に力を入れていた。正直、無明のことは思い出したくはない。だが、明日香にはそれを知る権利がある。軋んだ声音で告げた。 「俺と奴は親友だった。俺は奴が死ぬ前に言ったこと……遺言を聞いている。あいつは殺されることを覚悟した上でお前の母親と結婚したんだ。俺は何度も止めた。あいつが身を引けば、あいつもお前の母親も死ぬことはなかったんだって……」 「ちょっと……何で、そこであたしのお母さんが出てくるの?」 訊かれて、寒月は嘆息する。うっかり余計なことを口走ってしまった。が、言ってしまったからには、黙っているわけにはいかない。 「妖魔と交わった人間は、寿命を削られ数年以内に命を落とす。お前の母親が早死にしたのはそれが原因だ」 「お母さんは――」 「それを知っていた」 言ってから、寒月は唸るように続けた。 「無明もそれを知っていた。無明もお前の母親も、お互いに自分の死を覚悟して、お前が生まれたんだ。あいつは死ぬ前に言っていた……『私は彼女を愛していました。彼女も私を愛していました』ってな」 「そう……」 無感情に、明日香は呟く。自分の両親の死。その理由を突きつけられて何を思ったかは分からない。他人がそれに口出しすることもないだろう。 深く目蓋を下ろして、寒月は続けた。 「あいつは全て覚悟の上で死んでいったんだ」 「…………」 明日香は何も言ってこない。 目蓋を上げて、寒月は告げた。 「だから、二度と復讐なんて考えるな」 「うん……」 弱々しく、明日香が頷く。これで納得してくれたのかは分からないが、復讐の考えを捨ててくれることを願うしかない。 「ところで……」 いくらか気を取り直した口調で、明日香は言ってきた。 「ここに来る途中、剣のことについて話したよね」 「ああ」 と、寒月は答える。それは朝霧流と天翔流の関係や、剣気技について説明しているときのことだろう。他には思いつかない。 「その時、あんた言ったよね。血を吐くような鍛錬を重ねて強くなったけど、手に入ったのは力だけだった、って。どういう意味なの?」 「力しか手に入らなかった……」 その言葉を、寒月は噛み締めるように呟いた。自分は千年以上の月日を鍛錬に費やしてきた。技術という点では、他の執行者の誰にも劣らないだろう。 「お前は……『強い』ってどいういうことだと思う?」 問われて、明日香は瞬きをした。いきなりそんなことを訊かれるとは思っていなかったのだろう。戸惑ったように答えてくる。 「どんな相手と戦っても、必ず勝つ……ってことかな」 それは、朝霧流という実戦剣術を扱う立場から考えれば、自明の答えと言えた。明日香が覚えているのは敵を倒す技術である。それ以上でもそれ以下でもない。 「それもあるが……」 寒月が扱う天翔流も、目的は朝霧流と同じだ。力と技で敵を粉砕する。そういう意味では自分は強い。だが、それだけである。 「俺が求めているのは、強さを支える強さだ」 開いた右手を見つめて、寒月は言った。 「強さを――支える強さ?」 訝しげに明日香が聞き返してくる。それは明日香にとっては、明日香程度の使い手には分からないだろう。明日香の祖父なら分かるかもしれない。 「そうだ。お前には分からないだろうが、強さというのは二種類ある」 数を示すように、寒月は指を二本立てた。 「ひとつは肉体の強さ。敵を倒す強さだ。もうひとつは、心の強さ。肉体の強さを制する強さだ。これが俺に足りない……」 「足りないと……どうなるの?」 「分からない。ただ――」 何と言っていいか迷ってから、告げる。 「この戦いで俺は負ける」 それは何かの根拠から導き出されたものではなかった。ただの予感である。だが、正しい。このような予感は今まで何度かあったが、外れたことがない。 明日香は何も答えない。 それ以上聞いても何も得られない思ったのだろう。 別のことを訊いてきた。 「これが最後なんだけど……」 その口調は、不安の色が現れていた。これが本当に訊きたかったことなのだろう。今までの質問よりも、強い意志が込められている。 「あたし、紅を使った時凄い力出せたよね……。その後、急に意識がぼーっとなって、ヴィンセントたちの方に向き直ったんだけど……」 そこで目を瞑って深呼吸をした。手首の腕輪を撫でながら、ゆっくりと確認するように問いかけてくる。さきほどよりも不安の増した口調で、 「あの後、あんたが止めてくれなかったら……あたしはどうなってたの?」 「おそらく……」 寒月は慎重に言葉を選びながら、 「……半妖の力を覚醒させて、二人に襲いかかっていた。二人が反撃していれば、お前を含めた誰かが死んでいた」 「やっぱり……」 下を向いて、明日香は呟いた。 感情の消えた虚ろな声を上げる。 「もし、半妖の力が覚醒したら、あたしはどうなるの?」 「……紅を持った時の反応から予測するに、闘争本能が暴走する。そうなれば、無差別殺戮、無差別破壊に走る。人間には止められない」 それを聞いた明日香の顔から血の気が失せた。自分が思っていたよりも遥かに壮絶な事態になると知らされたからだろう。怯えたように自分の肩を抱える。 寒月は淡白に言った。 「俺もお前にひとつ言っておくことがある」 「……なに――?」 ようやく聞き取れるほどの声で、明日香が答える。 「俺はお前を監視する任務を与えられているが、もうひとつ任務がある。もしお前が半妖の力を覚醒させて暴走すれば、その場で抹殺することだ」 「…………」 明日香が目を向けてきた。濃い茶色の瞳と、半妖の刻印である緑色の瞳。そこに映っているのは、深い絶望だけである。自虐的に笑って、言ってきた。 「その時は、お願いね」 「……断る。そうなる前に全部の敵をぶっ倒せばいい!」 口元を引き締め、寒月は言った。 明日香が驚いたような眼差しを向けてくる。 「俺は無明の死に誓った。命を懸けてでもお前を守る、と――。だから、お前は俺が必ず守ってやる。絶対に、お前を暴走させたりはしない」 遥か前方を見据え、寒月は強い口調で断言した。明日香を元の平和な日常生活に戻すならば、命を落とすこともいとわない。十八年前にその覚悟はできている。 いくらかの間を置いて、明日香がぽつりと呟いた。 「それって……プロポーズ?」 「違う」 眉根を寄せて、寒月は呻く。 |