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第2節 重なる不安 |
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「ところで、さ……」 明日香が割り込んできた。時雨を腰のベルトに差している。よく見ると、顔色が悪い。なぜか頬に冷や汗など流していた。 明日香の言わんとすることを悟り、寒月も同じように冷や汗を流す。 「大学……。どうなってる……かな?」 「……警察なんかが来て、大変なことになってるだろう、な。机で窓ガラス叩き割ったり、教室内で銃を連射したり、ロッケト弾で教室吹き飛ばしたり……。しかも、お前を誘拐同然の方法で連れ出して――。ここまでくると、立派なテロ行為だ」 考えただけでも頭が痛くなる。中世ならともかく、近代に入ってから、妖魔と執行者が公衆の面前でこれほど激しく争ったのは初めてだ。 寒月は続けた。 「大学は一週間くらいは休みだろ。新聞もテレビも二、三ヶ月はこの話題で持ち切りだ。お前は人質として誘拐された可哀相な女子大生。俺は誘拐犯……。となると、お前はしばらく家に帰れないな」 「何で?」 きょとんと呟く明日香。状況を呑み込めていないらしい。 「テロリストに誘拐された奴が、ひょっこり帰ってきて……お前はどう答えるんだ? 起こったことを正直に話しても、信じてもらえないぞ」 「うーん」 寒月の話を聞いて、明日香は思案顔で呻いた。 手を振って、寒月は告げる。 「とりあえず、全部終わった後に自然に帰れるように、適当な言い訳を考えておいてくれ。俺は――犯行声明でも考えておくかな……」 「ネェ、これからワタシたち、どーするノ?」 暇なのか身体を左右に動かしながら、カラが言ってきた。身体の動きに合わせて、オレンジ色の髪と服が揺れている。 「今までずっと防戦になってたんだから。今度はこっちから攻めてみる?」 時雨の柄に手を沿え、明日香が呟いた。 「それじゃ、行こー」 元気よくカラが拳を振り上げる。 寒月は明日香とカラを交互に眺めた。この二人、意外と気が合うのかもしれない。どうでもいいことを考えてから、口を動かす。 「狙われている側から不用意に仕掛けるのは、得策とはいえないぞ。何しろ、相手の懐に飛び込むんだからな。罠や奇襲で、迎撃される確率が高い」 「しかし、敵の居場所くらいは知っておく必要がありますよ」 サングラスを動かし、ヴィンセントが続ける。 正論ではあるが、寒月は唸った。 「とはいっても、チェインは俺の感知できる範囲から逃げたし、ジャックに至っては気配の一端すら握らせていない」 「うー」 明日香が首をひねる。が。 「チェインの居場所なら分かるヨ」 オレンジ色の髪を撫でてから、カラが手を上げる。 その手には、黒い鎖の切れ端が握られていた。それは、チェインが明日香に絡みつかせてた鎖である。時雨によって斬り落とされたものだ。チェインの身体の一部。 「ワタシは妖魔のワーウルフ。本物のオオカミより、鼻が利くヨ。この鎖のニオイを辿っていけば、チェインのいる場所まで行けるヨ。チェインの居場所は分かル」 「なるほど。その手がありましたね」 ヴィンセントがカラを見やる。 「んじゃ、さっそくチェインを叩き斬りに行こう!」 陽気に物騒なことを言う明日香を眺めながら。 額を押さえて、寒月は言った。 「軽率な行動は避けた方がいい、って言っているだろ。何しろ、チェインは追い詰められている。手負いの獣ほど危ないものはない。それに、ここまで何もしてこないジャックも気になる……ん」 頭の中に何かが閃く。 「どうかしましたか?」 「何かあったノ?」 二人の声には構わず。 寒月は閃いたものに意識を集中させた。始めはもやもやとして輪郭のないものだったが、それは徐々に形をなしていく。それは…… 「まずい……」 我知らず、呟きがこぼれた。 「何が、マズイ?」 カラが訊いてくる。 寒月は表情を強張らせ、明日香たちに目を向けた。 「チェインの奴……魔獣に手を出すぞ――!」 「!」 ヴィンセントが息を呑む。 しかし―― 「まじゅう?」 「何それ?」 口々に疑問を返してくるカラと明日香。この二人にとって、魔獣とは未知の単語だろう。魔獣を知っているのは、博識の妖魔か執行者だけである。 前者であるヴィンセントが、両腕を広げる。 「妖魔の特殊な形態として存在するのが、魔獣です。通常の妖魔は精神の集合体ですが、魔獣はそこに精霊が加わります。知能はそれほど高くはありませんが、こと戦闘能力においては特級執行者に匹敵していて――」 「俺は千二百年前……魔獣と戦ったことがある。相手を制するなんて考えず、手加減抜きで殺す気で戦って、倒すのに三日かかった。俺も満身創痍で、傷を治療してまともに動けるようになったのは、一ヶ月後だ」 寒月は陰鬱に続けた。執行者として生まれて長い時間が経つが、限界の限界まで力を引き出したのはこの時だけである。 「マジュウって、カンゲツくらい強い?」 「でも、そんなに強いなら、何でチェインは今まで使わなかったの?」 明日香が当然の疑問を口にした。 「使えなかった――と表現する方が正しいですね」 ヴィンセントが答える。 「魔獣は、力だけの存在です。明確な意思を持っていません。肉体も持っていません。つまり、非物理的存在です。魔獣を召喚するには、意思を形成させ、肉体を具現化させ、使役するために代償を払わなければいけないのです」 「ヴィンセントの言うコト、難しいヨ」 眉を斜めにして、カラが文句を言った。 寒月が要約する。 「魔獣を召喚するには、儀式と生贄がいるんだよ」 「生贄……」 明日香が呻いた。 「通常は自分の命を使う。召喚の儀式には短くて一時間、長くて一日かかる」 寒月は呻いた。こめかみを指で押さえて、 「何にしろ、魔獣が召喚されるのは防がなきゃならない。儀式を中断させて、魔獣の召喚を阻止する。カラ、匂いを追ってくれ」 「アイ・シー!」 鎖の持ちながら、カラは敬礼のような仕草をした。鎖を鼻に近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。チェインの匂いを覚えているのだろう。 それを見て、寒月は明日香の方に手を伸ばすが…… 「ちょっと待ちなさい」 怯えたように明日香が飛び退く。 「また、あたしを抱えて空飛ぶ気……?」 「それが一番手っ取り早い。まさか、怖いのか?」 「こ、怖いわけないでしょ……!」 目を細める寒月に、明日香が見え透いた嘘をついた。剣士としての自尊心というものだろう。いくら怖くとも、怖いとは言えない。つまらない自尊心は自分に枷をかけるだけだが、今は楽なので利用させてもらう。 寒月はにっこり笑った。明日香を脇に抱え上げ、 「じゃ、行くか」 「シュッパーツ!」 飛び出すカラを追って。 ヴィンセントと寒月は駆け出した。 |