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第5節 妖魔と魔道士


「あたしの、お父さんとお母さん……」
 寂しそうに呟いてから、明日香は首を横に振る。
「話でしか訊いたことないよ。お母さんはあたしが四歳の時に死んじゃったし、お父さんはあたしが生まれる前に、どこかに消えたきりだし。名前も知らない」
「お前の父親の名は、無明」
 寒月は言った。
 その名を聞いて、明日香が肩を跳ねさせる。
「特級執行者に匹敵する力を持つ最上級の妖魔。俺の親友でもあった」
「あった……って、何で過去形なの?」
 訊かれたくないことを訊かれて、寒月は視線を落とした。だが、しらを切ることもできないだろう。そう判断し、告げる。
「奴は死んだからだ」
「死んだ……」
 呆然と、明日香は呟いた。自分の父親の死を告げられて、平静でいられるはずがない。平然としていられるほうがおかしい。だが、感傷に浸ってはいられない。
 寒月は話を戻した。
「加えて、お前の母親――朝霧今日子は、希代の先天魔道士だった」
「…………魔道士……? あたしのお母さんって魔法使えたの?」
「いいや。魔法は使えなかった。資質を持っていただけで、魔法を使う訓練は一切受けていなかったからな。魔法についての説明はあとでする」
 明日香は何も言わない。次の言葉を待っている。
 コートの襟を引っ張り、寒月は続けた。
「今まで現れた半妖は、中級妖魔とただの人間の間に生まれただけ。それだけでも、特級執行者に届くほどの力を持っている。が、お前は最上級妖魔と、希代の魔道士の間に生まれた。いわば、半妖の超一流サラブレッドだ」
 一呼吸分の間を置いて、告げる。
「その内に眠る力は、未知数……。お前の力が覚醒した場合、何が起こるか見当もつかない。身体が耐えられずに自滅するかもしれない。力を制御できずに暴走するかもしれない。何も起こらない……可能性はないな」
「それって……」
 明日香はぐるりと目を一回転させてから、
「あたしは、生まれつき爆弾抱えてるってこと!」
「爆弾じゃ、言葉がぬるい……。控えめに言って、原子爆弾。大袈裟に言えば、水素爆弾の一ダースの力を、お前は生まれながらにして持っている」
 淡々とした寒月の言葉を聞いて、明日香の顔が青くなる。
 寒月は指を三本立てた。
「半妖の力が覚醒するきっかけは三つ。お前くらいの年齢になること、恐怖や怒りなどの極度の興奮状態に陥ること、強引に自分の力を引き出そうとすること。お前は、条件のひとつを満たしている。今後、何の拍子に力が覚醒するか分からない」
「なら、どうしたらいいの……?」
「一番確実な方法は、身体の中に直接封印を刻み込むこと……。だが、これをやるには死ぬほどの致命傷を負わさなければならない。俺は死ぬほどの致命傷を回復させる力を持ってないから、この方法をやればお前は死ぬ」
「それじゃあ!」
 絶望的な声を上げる明日香に、寒月は二つの腕輪を見せた。
 文字とも記号ともつかぬものが刻まれた艶のない金色の腕輪。だが、材質は金ではなく、金属とは思えないほどに軽い。
 それを放りながら、言う。
「これを腕にはめておけ。一応、お前の力が覚醒するのを抑える力が込められてる。これをつけている限り、変なことをしなければ力は覚醒しないはず。あとは、覚醒するようなことをしないよう、気をつけるだけだ」
「うん」
 飛んできた腕輪を受け取り、明日香はそれに手首を通す。
「次に、お前の命を狙う奴らだが――。数は二人。お前が具体的に注意しなければならないのは、力の覚醒よりも、お前の命を狙う奴らだ」
 寒月は話を進めた。
「一人は、チェインという名の上級妖魔。こいつは、百人を超える妖魔、人間を殺している凶悪犯だ。即時抹殺命令――見つけ次第殺せという命令が出ている」
 そこまで言って、表情を苦いものにする。
「もう一人は、ジャック・ファング。俺と同じようにお前を監視する任務を受けた特級執行者だ。が、こいつは俺と違ってお前を殺そうとしている。力が覚醒する前に――」
「何か……物凄く危なくない?」
 だが、言っている内容とは対照的に、緊張感は皆無だった。この事態を理解していないのか、それとも神経が図太いのか、単に事態が呑み込めていないのか。
「危ない」
 唇を舐めて、寒月は呟いた。
「今までは俺を含めた三人が互いに牽制していたせいで、動きはなかった。が、今日チェインが動いたことを引き金に、均衡が崩れた。ジャックもチェインもお前の命を狙って動き出す。俺だけで二人と渡り合うことはできない」
「なら、あたしも戦う」
 明日香は拳を固めて言い切る。
 見ると、どこから取り出したのか、右手に樫の木刀が握られていた。形は寒月が叩き折ったものと同じである。何本か同じものを持っているらしい。
 だが、寒月は否定するように手を動かした。
「そんな棒きれじゃ、気休めにもならない。一発で砕かれる」
「それじゃ――」
 言うなり、明日香は部屋を飛び出していった。どたどたと足音が遠ざかっていく。
 一分ほどしてから、足音が帰ってきた。扉を開けて、明日香が入ってくる。
 右手には白木の鞘に納められた刀を持っていた。鞘から刃を抜き放ち、
「これならどう?」
 寒月はその刀を観察した。透き通った輝きを宿した刃は、よく手入れされている。刃先は触れただけで斬れそうなまでに鋭い。部屋の明かりに照らされて、刀全体が独特の色合いを見せていた。
「名刀・時雨か。江戸時代中期の刀匠・柳鉄斎が作った業物だな。人間には通じるが、妖魔や執行者を相手にするには力不足。気休めにしからない。ただの刀で斬られたところで、連中は大した痛痒も感じないからな」
「ないよりはましでしょ」
 刃を鞘に納めて、口を尖らせる。
 時雨をベッドの上に置いて、明日香は思い出しように言ってきた。
「そういえば、あなたの武器は? コンビニ前であの化物たちを一掃した銃。確か二丁あったよね。刀が力不足なら、銃のひとつをあたしに貸してくれない?」
「これか?」
 寒月はコートの内側から二丁の銃を取り出した。黒い長方形の箱に、取っ手と引き金がついただけという単純な構造。弾倉はない。
「駄目だ。貸せない」
 言って、寒月は見せるように銃をかざした。
「これは使い手の力を引き出し、弾丸に変換して撃ち出す対妖魔用の銃だ。ちなみに、銘は烈風と疾風。構造上、人間が使うことはできない。お前は使えるかもしれないが、力を引き出す過程で、半妖の力を覚醒させるかもしれない。だから、貸せない」
「むう」
 明日香は不服げに口を曲げる。
 寒月は烈風と疾風を懐に収めた。窓の方へと歩いていく。窓を開けると、肌寒い夜の空気が流れ込んできた。明日香の方を振り返り、
「早急に話しておきたいことはこれだけだ。俺はこれから外で見張りをする。お前は刀を持って寝ててくれ。お前が安心して寝られるのは、今日が最後かもしれないからな」
「……うん……」
 忠告のつもりだったが、明日香は何やら怪しい笑みを浮かべている。 
 そのことに嫌な汗を流しつつも、寒月は告げた。
「まあ、安心してくれ。俺の方も仲間を呼んでおいたから、近いうちに来るはずだ。なんにしろ、お前は俺が守る。命に代えてでもな」
 言い終えてから、窓から外へと飛び出す。黒い瓦屋根を蹴って、寒月は二階の屋根へと飛び上がった。黒いコートと長い黒髪が、夜風に翻る。
 屋根の頂点に佇み、寒月は周りに広がる夜景に目を向けた。

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