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第3節 動き出す者達


 蝋燭の炎が揺れていた。
「ちょっと、急ぎすぎたわねぇ」
 白い蝋燭を眺めながら、独りごちる。
 穴だらけになった部下が帰ってきたのはつい先刻だった。話によると、一時は明日香を捕らえかけたのだが、そこに現れた寒月が部下たちを全滅させてしまったという。命こそ失わなかったものの、しばらくは使い物にならないだろう。
「あいつより先に、あの子を捕まえるつもりだったんだけど。やって来たのが馬鹿でお人好しの寒月でよかったわ」
 そのことに、一安心する。寒月は一流の使い手だが、性格は甘い。たとえ自分を殺そうとする敵であろうとも、抹殺命令が出ていない限り殺すことはない。抹殺命令が出ている相手でさえ、殺すのを嫌がることもあるという。
 だが……
「あいつが来てたら危なかったわね」
 あいつは寒月と正反対の性格をしている。あいつが現れていたならば、自分の部下も明日香も、跡形もなく消されていた。そうなれば、長年組み上げてきた計画は台無しになっていただろう。
「ともかく、あいつより先にあの子を捕まえなきゃ」

     □

「朝霧流剣術道場――」
 寒月は腰に手を当て、看板に書かれた言葉を読み上げた。
 月明かりに照らされた門。今時分、このような門を構えている家は、まず見かけないだろう。頑丈そうな木の扉の横に、看板はかけられている。
「何やってるの。早くして」
 門をくぐりながら、明日香が言ってきた。
 言われるままに後をついていく。
 庭は広かった。小さな公園ほどの広さはあるだろう。飛び石の敷かれた道の左右には、色々な木が植えられている。それらはきれいに剪定されていた。左を見ると、道場らしき四角い建物、右には瓦屋根が見える。
「立派な家だな」
「うちは三百年前から続く、由緒正しい道場だからね」
 寒月の呟きに、明日香は自慢げに答えた。
 三百年前といえば、江戸時代中期である。その頃から現在まで続いているといえば、誇りを感じるのも自然の成り行きだろう。
 寒月が考えている間に、玄関前までやって来た。中には明かりが灯っている。
「ただいまぁ」
 言いながら、明日香が扉を開けると。
「遅い!」
 叩きつけるような一喝が待っていた。
 玄関の奥に、一人の老人が仁王立ちしている。年は七十を過ぎているだろうが、身体は岩のようにがっしりしていた。撫でつけただけの白髪に、白い口ひげ。紫色の作務衣を着た姿は、重々しい威厳を感じさせる。
 老人は低いが、よく通る声を出した。
「もう九時十分だ。九時までに帰ってこいと言っているのに、今まで何油売ってた?」
「ええとね……」
 明日香は視線を泳がせながら、
「コンビニを出たところで、変な連中に絡まれて――」
「そんな連中、一分で片付けろ。お前は朝霧流剣術の跡取りだ。たかが、チンピラの十人や二十人にやられるような鍛え方は……」
 説教を耳から押し出しつつ、寒月は玄関を観察した。石畳が敷かれた床。右側には靴箱があり、左側には木の扉がある。表廊下に通じるものだろう。老人の横には棚が置いてあり、上に一本の刀が飾ってある。新築なのか、心地よい木の香りが漂っていた。
 寒月の意識が引き戻される。
「おい。明日香……」
 老人の声の調子が変わった。
 見ると、老人は顔色を変えて、明日香の右手を見つめていた。それは正確ではない。老人が見ているのは、明日香が持っている折れた木刀である。
「その木刀は……?」
 明日香から折れた木刀を受け取り、老人は断面を凝視した。
「どうしたんだ、これは?」
「この人が折ったんだよ。手刀一発で」
 と、指が向けられる。指先から伸びる見えない線をたどるように、老人の視線が寒月に向けられた。ようやく寒月の存在に気づいたようである。
「お主は……?」
 訊かれて、寒月は自分を示した。
「俺は草薙寒月。あんたは?」
「わしは朝霧十郎だ。それより、本当にお主がこれを折ったのか? たかが手刀で」
「ああ。俺が折った」
 答えると、十郎は折れた木刀を床に置いた。何かを思索するように目を閉じる。
 傍らの棚に飾ってあった刀を掴み――
「御免」
「…………ふっ」
 バキッ!
 全ては一秒にも満たない時間だった。
 刀を抜いた十郎が飛び出し、寒月が両腕を伸ばす。それらが重なった直後、十郎は玄関の扉を突き破って、外に放り出されていた。割れた扉の破片が散らばる。
 明日香は倒れた十郎と、散らかった扉の破片に目を向けた。
「……何だかなー? 普通するか。客人に斬りかかるなんて……。相手が俺じゃなかったら、肩を砕かれてたぞ」
 寒月は十郎を見つめながら、手の中に残った刀を動かす。それは、刃のついていない模造刀だった。斬ることはできないが、皮膚を切り骨を折るには充分な威力を持つ。
「爺ちゃん……強い人に目がないから」
 半笑いで明日香が呻いた。笑うしかない。
 十郎は仰向けのまま、納得したように呟く。
「相手の攻撃を利用して、相手を攻撃する技か……。何度か食らったことはあるが、これは速さも切れも威力も桁外れだ……見切れん」
「大丈夫、爺ちゃん?」
「手加減された技でやられるほど、わしは老けとらん」
 呻きながら、十郎が立ち上がった。十郎の見抜いた通り、手加減はしておいたので、怪我はしていないはずである。あっても、打撲か擦り傷程度だろう。
 差し出された模造刀を受け取り、寒月に探るような眼差しを向ける。
「お主、今までどんな鍛錬を積んできたんだ? お主の技量は、達人と呼ばれる連中すら凌いでいる。人間技ではない。何をどうしたら、それほどの力がつく?」
「残念だが、それは話せない」
「うむ」
 十郎は唸っただけだった。深くは訊いてこない。
 代わりに、別のことを訊いてくる。
「なら、お主は何しにここにきた? こんな夜に。まさか、その実力で入門希望者というわけでもあるまい。何の用だ?」
「明日香に大事な話がある」
「大事な話……。大事な話、か。来るとは聞かされていたが、ついに来たか……」
 星空を見上げて、十郎は重々しい声音で呟いた。この時が来るのを覚悟していたらしい。誰が言ったかは、想像がつく。
「で、大事な話とは何だ?」
「二人きりで話がしたい」
 慎重に言葉を選びつつ、寒月は告げた。不用意なことは言えない。
 十郎が眉を動かす。
「二人きり? わしには話せないとうことか」
 問われて、寒月は頷いた。
「そうだ。これは明日香の問題――。明日香の祖父でも、あんたは部外者に該当された。部外者に話すことは禁じられている」
「そうか…………」
 諦めたように呟き、十郎は首を振る。

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