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第2節 俺の名前は寒月 |
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獣たちが、横に跳ぶ。 明日香は夜空に視線を向けた。上空から何かが落ちてくる。それは、獣たちと向かい合うような位置に落下した。明日香の斜め前に、音もなく。 それは、二十歳ほどの男だった。厳しい顔立ちに、黒い双眸、手入れのされていない黒髪を腰まで伸ばしている。体格は細身だが、決して痩せているわけではない。着ているものは、黒いズボンに、前の開いた膝丈の黒いコート。闇そのものをまとったような姿。かなり目立つ格好をしているというのに、なぜか影のように存在感が薄い。 「来タカ。カンゲツ」 二匹の獣が、黒コートの男……カンゲツとやらを睨む。 「ああ。俺はお前らの行動をずっと監視してたからな」 そう言うと、コートの中から何かを取り出した。取っ手のついた細長い箱のような物体。 色は黒。数はふたつ。それぞれを両手に持っている。 獣たちが攻撃するより早く―― 破裂音とともに、箱の先から火花が飛び出した。二匹の獣の身体に、合計十二個の穴が穿たれる。直径は十センチに及ぶ穴。だが、血は流れていない。 それを見て、明日香はそれが大型の銃だと理解した。 カンゲツは、ふたつの銃を周りに向ける。自分たちを取り囲む異形の群れへと。 再び破裂音が響いた。銃口から火花が吹き出し、異形の群れを片っ端から砕いていく。五十発ほど撃った頃には、異形たちは姿を消していた。 逃げたのか、死んだのか、それは分からない。 目を戻すと、獣たちも姿を消している。 「あ……あ……」 明日香は混乱していた。人の姿をした人でないものが現れ、殺してでも誘拐すると言ってきた。その直後、空から降ってきたカンゲツという名の黒コートの男が銃を乱射し、その場にいた全員をあっという間に倒した。この男は何者なのか―― カンゲツは、銃をコートの中に収めて、 「だいじょう……お?」 「ああああああっ!」 恐怖に駆られて、明日香はカンゲツに木刀で打ちかかっていた。袈裟懸けに相手へと撃ちかかる。単純だが威力のある攻撃。だが…… バシッ。 木刀が折れる。カンゲツが放った手刀によって。 使い物にならなくなった木刀を投げ捨て、明日香は右拳を突き出した。武器がなくなろうとも、負けたわけではない。格闘技の経験もあるのだ。 「落ち着け」 まるで落ちてきた木の葉を払うように、カンゲツが左手を動かす。文字通り、木の葉のように明日香の腕が横に泳いだ。それと交錯するように、相手の右手が胸に触れる。ただ触れただけ。だというのに―― 明日香は五メートル近くも突き飛ばされた。地面に倒れる。 「落ち着けって、朝霧明日香。敵はもういない。結界も解けた」 「へ?」 声をかけられ、顔を上げる。 風に前髪が揺れた。生暖かった空気が、元の肌寒いものへと戻っている。コンビニの方を見ると、客も店員もちゃんといた。今までの出来事が全部幻だったかのように。 だが、幻ではない。左腕と右足の傷は残っている。 「いつまで寝てる。早く起きろ」 差し出された手を掴み、明日香は起き上がった。 カンゲツ。黒いコートをまとった黒髪の男。二丁の銃を連射し、あの化物たちをあっという間に倒した。だが今は、さっきとは別人のような落ち着いた表情を見せている。 「ええと、あなた誰? 一体、何者なの?」 「俺の名前は草薙寒月――。何者かと訊かれても、答えるには時間がかかる。少なくとも、お前の敵じゃない」 「そう?」 寒月の話を聞きながら、明日香は腕と足の傷に注意を向けた。致命傷というほど深くはないが、放っておいていいほど浅くもない。流れ出す血が服を黒く染めている。 つられるように、寒月がその傷に目を向けた。 「あいつらの攻撃を受けて、それだけの傷で済ますとは。年の割に、よく鍛えてあるな。それくらいの傷なら治せる。じっとしてろ」 「え?」 何かを訊こうとする前に。 指揮者が指揮棒を動かすように、寒月が右手の人差し指を動かした。 「再生の光」 傷口を白い光が包み、痛みが消える。 「?」 疑問符を浮かべて、明日香は傷に目を移した。 見ているうちに、時間を逆回しにしたように傷が塞がっていく。それどころか、服を染めていた血も消えて、切られた服も元通りなった。 「な、何これ! 魔法?」 ありえない現象に興奮し、明日香は寒月を見つめた。 「まほう……というか……厳密に言うと違うんだが、そんなもんだ」 困ったように答えつつ、寒月は身を屈める。地面に転がっていた、二本の棒を拾い上げた。樫の木刀である。寒月に打ちかかって、手刀の一撃で折られた。斬られたような、と言っては大袈裟だが、きれいな断面を見せている。 「すまないな。折っちまって」 言いながら、それを差し出してくる。 「これも、魔法なの? あたしを吹き飛ばしたのも……魔法?」 折れた木刀を受け取り、明日香は尋ねた。常識で考えれば、手刀だけで木刀を折るのは不可能である。触れただけで、五メートル近く突き飛ばすのも。 だが、違うとばかりに寒月は笑ってみせた。 「両方ともただの徒手空拳だよ。丈夫な木刀だって、速度、位置、重心、角度を合わせれば、手刀だけでも充分折ることができる。お前を突き飛ばしたのも、重心ごと掌打を打ち込む特殊な打撃方だ。両方とも特別なものだが、超自然的なものじゃない」 「それって、あたしも使える!」 瞳をきらきらさせながら、明日香は寒月に迫った。寒月の言うことが本当ならば、是非覚えたい。覚えれば、自分は強くなれる。 寒月は呆れたように呻いた。 「使えるが……。そんなことより――」 言いながら、周囲に視線を向ける。コンビニに出入りする人たちが、奇異の視線を向けてきていた。傍から見れば、自分たちは怪しい存在だろう。 そのうちの一人と目が合って、明日香は咄嗟にあさっての方へと目を逸らす。 寒月が真剣な口調で言ってきた。 「俺がこうしてお前の前に現れたのは、他でもない。お前に、大事な話がある」 「大事な話?」 「ああ。自覚はないようだが、お前は――生まれた時から、とてつもない運命を背負っているる。それについての話だ」 「とてつもない運命って……あたしを襲った化物たちと、何か関係あるの?」 訊き返すと、寒月は難しい顔をする。 「大いにある。だが、ここじゃ話せない。どこか落ち着いて話せるところはないか?」 「なら、あたしの家に来て」 微笑んで、明日香は言った。落ち着いて話ができる場所など、自分の家以外はない。寒月もそれを分かって言ったのだろう。 地面に落とした夜食入りのビニール袋を拾って、歩き出す。 コートの襟を引っ張り、寒月もそれに続いた。 |