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第一章 気がつけば扶桑 |
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窓の外から秋の空気が流れてくる。 潮の香りを帯びた涼しい風が、長い黒髪を揺らしていた。 「提督、今日も月がきれいですね」 窓辺に立った長い黒髪の背の高い女が呟く。航空戦艦扶桑。風になびく長い黒髪を手で押さえ、窓の外の海を眺めていた。服装は普段の制服を簡略化したような私服である。 振り返りながら、どこか儚げに頬笑んだ。 「こういう時こそ、敵戦艦と砲身焼き付くまで撃ち合いたいですよね」 「無茶言うな」 乾いた笑みを浮かべながら、下総ツクモは静かに言い返した。 若い男である。体格は普通、背中の中程まで伸ばした髪を首の後ろで縛っていた。白い制服を纏った、この基地の提督である。上衣とズボンは着ているが、帽子はかぶっていない。帽子は椅子の背にかけてあった。 「でも提督、せめて空母欲しいですよ。航空戦力が瑞雲と二式水戦だけっていうのは、ちょっと……心許ないですし。必要とする機会は少ないですけど」 中萩基地。茨城北部にある小さな基地だった。戦力は航空戦艦二人に、重巡二人、軽巡二人に潜水艦一人、駆逐十三人という編成である。空母系は一人もいない。それでも、主な仕事が近海の哨戒活動なので、問題は無かったりする。 椅子の背に体重を預け、ツクモは苦笑いを見せた。 「それより明石と大淀欲しいぞ……。うちは事務も妙高さん頼りだし、整備も俺だけってのは厳しいぞ。機械弄れる子もいないし」 総勢二十名の小さな艦隊である。そのため事務の得意な大淀も、整備の得意な明石もいない。事務仕事は重巡の妙高が取り仕切っているが、整備や修理は提督であるツクモがほとんどやっていた。仕事では制服よりも作業着を着ていることの方が多かったりする。小規模基地はどこもそのようなものだが。 「いえ、それより間宮さん欲しいです」 椅子に座ったまま、静かに口を挟んでくる山城。扶桑と同じく制服を簡略化した普段着を着ていた。頭の髪飾りはそのままである。 「足柄さんや駆逐艦のみんなが作るご飯が美味しくないわけではないですけど、それでもやっぱりちゃんと料理ができる人が欲しいです」 料理は主に重巡の足柄と駆逐艦の子たちが作っている。決して不味くはないのだが、本職で無い分やや未熟な部分は見受けられた。作り手の好みが現れるのか、揚げ物や甘いデザートが多い。 「………」 ツクモと扶桑は山城を見やった。 見つめ合い数秒。 「不幸だわ……」 「厳しいな……」 それぞれ呻く。 「二人とも、たまのお休みですし、仕事の事は忘れて今日はのんびり飲みましょう」 窓から離れ、扶桑がそう笑ってみせた。 久しぶりの連休である。ツクモは同じく休みを取った扶桑と山城と三人で晩酌をしていた。外に出かけるほどでもなく、基地内で適当な場所も無かったので、扶桑姉妹の部屋が酒盛りの舞台となっている。 ベッドがふたつと本棚や机が置かれた落ち着いた部屋だった。壁にはどこで買ったのかお守りなどが大量に飾ってある。主に山城が集めているらしい。部屋の中央に折畳式のテーブルと椅子を置き、上に酒瓶とコップが置いてった。 扶桑が椅子に着く。 「そうですね、姉さま」 「堅い話はまた次にしよう」 山城とツクモはそれぞれ持ってきた酒をグラスに空けた。ツクモはビール、山城はオレンジリキュールである。最近果実酒がマイブームらしい。 扶桑も椅子に座り、グラスに酒を注いだ。シンプルな日本酒である。 「では――」 「乾杯」 三人はグラスを掲げた。 「姉さま、起きて下さい」 そんな声が聞こえて、ツクモは薄く目を開けた。目蓋の隙間から明るい日の光が目に刺さる。微かな痛みが目の奥に走った。朝らしい。 「姉さま。朝ですよ」 聞こえてくるのは山城の声である。 寝ている扶桑を起こそうとしているのだろう。 「んー?」 軽く背伸びをしてから、ツクモは目を開けた。 すぐ目の前に山城の顔がある。少し寝癖のついた髪の毛。 ツクモは数度瞬きをした。思考に走る違和感。何かが不自然である。何かがおかしい。山城は扶桑に声をかけていた。それなのに何故か目の前にいる。 「山、城……?」 「はい」 不思議そうに頷く山城。 「………」 頭に浮かぶひとつの考え。半ば信じられない事ではある。 ツクモは右手を目の前に持ってきた。細く白い女の手だった。少なくとも男の手には見えない。そして白い着物のような袖。扶桑が着ていた服である。 視線を下ろすと、椅子に腰掛けた見覚えの無い身体があった。 「マジで?」 小声で呻く。 椅子に座っている自分。白い上衣を纏った身体。胸の生地を押し上げる大きな膨らみ。赤いスカートと、裾から伸びる白い足。足を動かすと、その通りに身体が動く。 肩の辺りに手をやると、長い髪の毛に触れた。自分の髪の毛は長いが、さすがで腰までは伸びてはいない。左手で頭に触れると、塔のようなものに触れた。扶桑がいつも付けている艦橋型の髪飾りだろう。 ゆっくりと自分に指を向け、ツクモは尋ねた。 「扶桑?」 「……姉さま、もしかして寝ぼけてます?」 怪訝そうに眉を寄せる山城。 両手で顔を押さえ、ツクモは大きく息を吐き出した。はっきり言って信じられない事だが、事実は事実として受け入れるしかない。何故か自分は扶桑になっている。理由は全く分からないが。 両手を下ろし、山城を見る。 「えっと……俺、提督。下総ツクモ……」 「朝から冗談はやめてください」 困ったように目蓋を下ろし、そう言ってくる。当然の反応だろう。 しかしツクモは引かずに告げた。 「悪いが本気だ。信じられないかもしれないが……俺もまだ半信半疑だけど、これは冗談じゃない。本当に俺はツクモだ。何でか知らないけど、扶桑になってる」 と両手を広げてみせる。 「………」 山城は数歩下がった。顎に手を当て目を閉じる。 大きく深呼吸を何度か。それから、ぶつぶつと小声で何事かを呟いてから、一人で頷いていた。突然の事に困惑しているのだろう。 十数秒ほどか。 山城はゆっくりと目を開け、口を開いた。 「一度でいいから見てみたい」 「女房がへそくり隠すとこ」 「天光満つる処に我はあり」 「黄泉の門開く処に汝あり」 「じゅんでーす、ちょうさくでーす」 「三波春夫でございます」 「なんだかんだの声を聞き」 「光の速さでやってきた」 「なまむぎなまごめ」 「巫女みこナース」 「………」 数秒の沈黙。 山城は両手で顔を押さえた。 「提督ですね……えぇ、本当に提督ですね……」 陰鬱に呻いて、大きなため息を吐き出している。合い言葉じみた連想。山城なりに考えた確認の質問だった。ツクモならば簡単に答えられる。しかし、扶桑ならばまず答えられない。その問いに完璧に答えたのだ。 「不幸だわ……」 天を仰ぎ、山城が小声で呻く。 |
18/7/28 |