Index Top 第5話 興の無いクリスマス

第2章 壊れたエアコン


 空を見ると日が暮れかけ、薄暗くなっている。
 神社の駐車場にあるベンチに腰掛け、初馬はホットココアを飲んでいた。厚手のコートを着ているが、骨身に染みる寒さがある。車は一台も置いていない。それでも念のためにと、隠れ蓑の術の結界を張っていた。
「遅かったな」
 初馬は右手を挙げた。
 神社の境内から一ノ葉が歩いてくる。黒いコートに灰色のズボン、スニーカーという格好だった。どちらも初馬が術で作ったものである。着替える際に不自然にならないよう、服は脱いでも一日程度は形を留めておくように細工してあった。
「少し片付けに手間取ってな」
 一ノ葉が答える。月並みな台詞であった。
「さて、バイトも終わったし、もう人の姿でいる必要はないだろう? さっさと元の姿に戻せ。式神変化の術は解除に手間取るからな……」
 ぱたぱたと手を振りながら、催促してくる。式神変化の術は一ノ葉の意志では簡単には解けない。強制解除はできるが、手間はかかるのだ。
 初馬はココアの残りを一気に飲み干した。
「お前は本当に人間の姿になってるのが嫌いなんだな」
「嫌いというか、落ち着かないのだ……。ワシは元々四つ足の獣なのだぞ。貴様も一日四つ足で過ごしてみろ。ワシの気持ちが分かるから」
 一ノ葉の反論。両手を腰に当てて睨んでくる。
 言っていることは正しい。一ノ葉は元は普通の狐だ。資料によると、死んだ狐を素体として様々な術加工を施したらしい。
 初馬はココアの缶をゴミ箱に放り投げた。距離は五メートルほど。放物を描いて吸い込まれるようにゴミ箱に飛んでいく空き缶。だが、縁にぶつかって横に落ちた。
 カラカラと乾いた音を立てて転がっていく。
「カッコ悪……」
「ぐ……」
 囁くような一ノ葉の一言が心に突き刺さる。
 だが、気づかない振りをして初馬は足を踏み出した。素早く空き缶を拾い上げ、ゴミ箱に放り込み、何事も無かったように一ノ葉に向き直る。
「式神変化・解除」
 両手の印とともに術が発動。
 微かな煙を立て、一ノ葉が人の姿から狐の姿へと変化する。
 普通の狐よりも二回りほど大きな狐。全身を赤味がかった黄色い気で覆われている。すらりと伸びた手足と、無駄のない体付きが美しい。ふさふさの尻尾が一本。首には赤いチョーカーが巻かれている。
 変化が解除されたことを確認するように、一ノ葉は身体を動かしている。
(やっぱキュウコンだよな……)
 その姿を眺めながら、初馬はそんなことを考えた。ポケモンに出てくるキュウコン。その尻尾が一本になると、おおむね一ノ葉の姿になるだろう。
 訝しげに見上げてくる一ノ葉。
「何を考えている?」
「いや、何でもない。帰るか――」
 初馬は軽く手を振ってから、歩き出した。
 一ノ葉も一緒に歩き出す。首に巻いたチョーカーには隠れ蓑の術を焼き付けてあるので、術を掛ける必要もない。持ち主に対して自動的に術効果を及ぼす仕組みだ。
 駐車場の入り口から出て、一人と一匹で道路を歩いていく。下宿先のアパートまでは徒歩で二十分ほどだった。およそ二キロの道のり。
「そういえば」
 一ノ葉が口を開いた。
 前足と後ろ足を動かすたびに、尻尾が左右に揺れている。やはり動物だからだろう。初馬の普通の徒歩よりも少し早かった。
「今日はクリスマスイブなのだな」
 十二月二十四日。世間一般で言うクリスマスイブだった。クリスマスそのものは、キリスト教が別宗教の冬至祭を取り込んだものらしいが、それはどうでもいい。日本では商業戦略のためか恋愛と贈り物の日になっているのだが、それもどうでもいい。
 初馬は眉を寄せて一ノ葉を見下ろした。
「お前がそんなことを口にするとは思わなかった……」
「ワシも大して興味はないのだが、バイト仲間が言っていてな。恋人とどこかへ遊びに行くとか、そんな他愛もないことだ。そして、夜にはサンタクロースがプレゼントを配りに来るらしい。まあ、そういうお伽話ということはワシも理解しているが――」
 溜めを作るように一ノ葉は口を閉じた。
 初馬の歩くスニーカーの足音だけが響く。一ノ葉は狐であるため、全く足音を立てずに歩くことができる。人間である初馬はそうもいかない。無音の歩行法は習得しているのだが、市販のスニーカーでは完全に音は消せない。
 真横を白い自動車が通り過ぎていった。
 尻尾を一振りし、一ノ葉が口を開く。
「何かくれ」
「ヤダ。俺も金が無いし」
 即答する初馬。
 数秒の沈黙。
 尻尾を一振りして一ノ葉が続ける。
「そういえば、あと一週間でお正が――」
「お年玉もやらんぞ」
 最後まで言い切る前に、初馬は告げた。仕送り生活の学生の身分では、余分な金は簡単に作れないのだ。アルバイトでもすれば話は違うのだが、退魔師という身分上気楽にアルバイトもしていられない。
「貴様はケチだな」
 蔑むような眼差しとともに、一ノ葉が呻いた。
「朝に言ったと思うけど、退魔師ってのは貧乏なんだよ。少ない仕送りから溜めた貯金はお前に貸したからな。それが帰ってくるまで、まとまった金は無い。言っておくが、借金の棒引きってのは絶対しないからな」
「分かっているわ……」
 舌打ちをしつつ、一ノ葉は横を向く。
 どうやら借金の棒引きを企んでいたらしい。もっとも、本人も駄目元で言ってみただけで、上手く行くとは思っていないようだった。言葉にやる気が感じられない。
 信号のない十字路を右に曲がる。
「それにしても――」
 一ノ葉が話題を変えるように空を見上げた。狐耳がぴんと立てられた。空気の音を聞くように。濃い紫色の空。雲ひとつなく、天頂まで澄み渡っていた。
「世間ではホワイトクリスマスとか言っているようだが、雪どころか雨すら降る気配もないな。風情が無いものだ」
「そりゃそうだろ」
 初馬は苦笑した。
 冬の太平洋側で雪が降ることはまず無い。太平洋沿岸を低気圧が通り、なおかつ強い寒気が入ってきた時だけである。今日は絵に描いたような西高東低の冬型。日本海側は雪や雨が降り、太平洋側はきれいな晴れだった。そして、今日は冷える。
「この辺りでホワイトクリスマスなんて聞いたことないぞ。親父が若い頃には一回あったみたいだけど。あったら面白いな」
「そういえば、ワシはまだ雪というものを見たことがないな」
 空を見上げながら、一ノ葉が呟いた。
 一ノ葉が作られた場所は日本海側だったらしい。しかし、作られたのは春の終わりで封印されたのは秋の半ば。冬という季節は体験していないため、実物の雪というものを見たことがない。
 初馬は人差し指をくるくると回しながら、
「この辺りでも雪だけなら冬に一回くらいは降るだろ。積もるとは思わないけど」
 乾いた風が吹き抜ける。太平洋側でも雪が降らないわけではない。積もることは少ないが、雪が舞っているのを見ることは何度かある。積もる時は積雪五センチ程度でさえ交通機関が麻痺してしまうのだが。
「ふむ。楽しみにしておこう」
 一ノ葉は頷いた。
 それから、一度尻尾を動かして思い出したように訊いてくる。
「で、今日は誰と過ごす予定なのだ? 若い連中は皆恋人と過ごすと言っていたが、貴様はどうするのだ? 日本では恋愛祭りになっているが」
 すっと目を細めて見上げてきた。白々しい口調。バイト仲間から色々と話しを聞いているのだろう。訊かなくとも分かることを、あえて訊いてくるのが実にイヤらしい。
 だが、初馬は笑顔で言い切った。
「とりあえずお前がいる」
「クリスマスに過ごす相手が式神とは、貴様も寂しい男だな」
 横を向いてため息を付いてみせる。
 グリッ、と心を抉られるような感触を味わいつつ、初馬はあくまでも平静を装った。反射的に胸を押さえそうになるのを気合いで自制する。
「一人よりはマシさ」
 言ってみるものの、強がりにもなっていない。
 無言のまま、ジト目で見上げてくる一ノ葉。呆れと哀れみの混じった茶色い瞳が、初馬の心を貫いていた。だが、あくまでも平静を貫く。
 初馬はこほんと咳払いをした。話題を変える。
「あと、一ノ葉。悪い知らせがひとつある」
「何だ?」
 露骨な話題逸らしだったが、それを指摘してくる事はなかった。瞳に映る哀れみの感情。傷心を抉るほど冷酷ではないらしい。
 そのことに感謝しつつ、初馬は口を開いた。
「暖房が壊れた……」
「むぅ?」
 訝しげに見返してくる。
「俺の部屋にあったエアコンが動かなくなった。もう寿命なんだろうな。随分と古びてたから。前から調子悪かったけど、とうとう限界が来たらしい……」
 部屋に設置してあるエアコンが壊れてしまった。元々古いもので調子も悪かったので、いずれ壊れるとは予想していた。そして、今日の昼過ぎに止まってしまたのである。色々とやってみたが、結局動くことはなかった。
「あのポンコツか……。修復の術で直せないか?」
 一ノ葉の指摘に、初馬は頭を振る。
 壊れたものなら粉々に破壊されてでもいない限り、修復の術で直せる。仕事柄、公共物を壊すこともある退魔師にとっては、修復の術は必須だった。
「無理なのはお前も分かってるだろう?」
「まあな」
 初馬の言葉に、頷く。
 修復の術で直せるのは壊れた物のみ。経年劣化などで寿命を迎えたものは、直せないのだ。それを直す術も存在するが、非常に高度なため初馬は使うことができない。つまり、エアコンは壊れたままである。
「今日は冷え込むって天気予報で言ってるのに……」
 初馬は両腕で身体を抱え込んだ。この時期暖房無しで部屋にいるのは辛い。だが、外に出かけるという気にもなれない。大家に電話したところ、無料で付け替えはしてくれるのだが、それは年明けになるようだった。
「それだけじゃない……。年末年始、暖房無しで過ごさないといけないらしい。俺は暑いのは平気なんだけど、寒いのは苦手なんだよな」
 陰鬱に頭を押さえる。
 鍛えてあるため皮下脂肪が少ない。そのため、暑い夏より寒い冬が苦手なのだ。術で部屋を暖めることは無理ではないが、炎系の術は苦手なためそれを実行する勇気はない。そもそも、術は仕事以外にはみだりに使ってはいけないのだ。
「ワシには大型ペット用電気マットがある。問題ない」
 しれっと言い切る一ノ葉に。
 初馬は無言のまま視線を向けた。

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